第40代とされる天皇。在位673〜686年。 生年不明。686年没。 本名は大海人皇子。
舒明天皇と皇極天皇の間に生まれる。 天智天皇は同母兄。
天智天皇の死後、その息子・大友皇子と対立し、672年に壬申の乱を起こす。 大友皇子を倒して、673年、天皇に即位。 天皇中心の国家体制を築いた。
日本の国号及び天皇の称号は、天武天皇の治世に成立したと考えられている。
先日、NHKの『知恵泉』という番組で、持統天皇が特集されていました。持統天皇は天武天皇の皇后で、天武天皇の政治を引き継ぎ、飛鳥浄御原令の制定、藤原京の造営を行いました。 そんな持統天皇の知恵の一つに天武天皇の殯[もがり]に長い期間をあてたことがあげられていました。殯とは、今でいう葬式にあたる、死者を悼む儀礼のことです。天武天皇はカリスマであり、そんな天武天皇の死は社会に混乱を与え、持統天皇は自身がすぐに政を行っても混乱を助長するだけだと考えました。当時、殯には通常数ヶ月しかあてられていなかったところ、持統天皇は天武天皇の殯に2年3ヶ月あてたといいます。 持統天皇から学ぶ 人々の心の動きを察する…
訓読 >>> 160燃ゆる火も取りて包みて袋(ふくろ)には入ると言はずやも智男雲 161北山(きたやま)にたなびく雲の青雲(あをくも)の星(ほし)離(はな)れ行き月を離れて 要旨 >>> 〈160〉燃える火さえも、包んで袋に入れることができるというではないか。智男雲。 〈161〉北山にたなびいていた雲のその青雲が、星から離れて行き、月からも離れて行く。 鑑賞 >>> 題詞に「或る本に、天皇が崩御した時の、太上天皇(持統天皇)の御製歌2首」とある歌です。「太上天皇」は文武天皇の御代の称なので、そのころに記録された書にあるままをここに載せたものとみられます。実際は、天武天皇崩御の後、やや日が経過し…
何とか続きそうです。。。#10で初日の午後にようやく回った位でしょうか。少し端折るかもしれません。 このあと古墳は一段落として、吉野の方に向かいました。計画としてもそうしようと思っていたので桜井市の方から宇陀で向かいグルっと回るルートで吉野の国栖の里にある浄見原神社が次の目的地。実はここも以前訪問していて、それでももう一度行ってみたく再訪となったのです。 場所は結構離れるんですが、大海人皇子が壬申の乱の前に隠遁した先であり、吉野宮よりさらに奥にある場所です。ここの崖に神社があるのです。そもそも以前なんで行ったのかは記憶にないのですが、再訪してみたくなる場所ということですね。 レポートは動画にし…
gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に「スサノオ・大国主建国論4 古事記神話(伝承)の構成」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina 「日本神話(記紀神話)」(筆者説:スサノオ・大国主建国史)についての私の元々の知識は、小中高の歴史と高校の宮崎修学旅行(高千穂峡・霧島えびの高原・鵜戸神宮)、大学1年の出雲大社旅行によるもので、出雲での「イヤナギ・イヤナミの天下り」「国生み(教師たちが好きだったイヤナギの余ったところでイヤナミの足らないところを塞ぐという話)」「スサノオの八岐大蛇(やまたのおろち)退治」「国引き」「因幡の白兎」「大国主の国譲…
訓読 >>> 4260大君(おほきみ)は神にしませば赤駒(あかごま)の腹這(はらば)ふ田居(たゐ)を都と成(な)しつ 4261大君(おほきみ)は神にしませば水鳥(みづどり)のすだく水沼(みぬま)を都と成(な)しつ 要旨 >>> 〈4260〉大君は神でいらっしゃるので、赤駒さえも腹まで水に漬かる深田を、立派な都となさった。 〈4261〉大君は神でいらっしゃるので、水鳥が群がり騒ぐ水沼を、立派な都となさった。 鑑賞 >>> 672年の壬申の乱で勝利した大海人皇子は、明日香浄御原で即位し、天武天皇となりました。ここの2首は、その宮廷の造営を、あたかも神のしわざであるかのように讃えたもので、4260は…
訓読 >>> み吉野の 耳我(みみが)の嶺(みね)に 時なくぞ 雪は降りける 間(ま)無くぞ 雨は振りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈(くま)もおちず 思ひつつぞ来し その山道(やまみち)を 要旨 >>> 吉野の耳我の山には、時となく雪は降る。絶え間なく雨は降る。その雪やの雨の絶え間がないように、曲がり角という曲がり角を不安に襲われながらやってきたのだ、この山道を。 鑑賞 >>> 壬申の乱直前の天智10年(671年)10月、大海人皇子(おおあまのおうじ)が皇太弟の地位を辞して出家し、吉野に入る時の歌とされます。この時、大海人皇子は40代の前半。兄の天智方と争わなくてはな…
訓読 >>> やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)の 夕(ゆふ)されば 見したまふらし 明け来れば 問ひたまふらし 神岳(かみをか)の 山の黄葉(もみち)を 今日(けふ)もかも 問ひたまはまし 明日(あす)もかも 見したまはまし その山を 振り放(さ)け見つつ 夕されば あやに哀しみ 明け来れば うらさび暮らし 荒栲(あらたへ)の 衣(ころも)の袖(そで)は 乾(ふ)る時もなし 要旨 >>> わが大君の御魂は、夕方にはきっとご覧になっている、明け方にはきっとお尋ねになっている。生きておられたら、その神岳の山の黄葉を、今日もお尋ねになり、明日もまたご覧になられるだろうに、その山を振り仰いで見な…
(約1250文字・購読時間1分30秒) 平安京遷都は、天皇はもちろんすべての貴族・豪族達も移動させるという大規模なものである。政治と仏教の分断、人心の刷新などが考えられる。奈良の平城京では都を平城京から移さざるを得なかった深刻な問題が起きていた。古くからの勢力が幅をきかせ政治が乱れていたことである。古くからの勢力の1つは、仏教勢力で、平城京では仏教は国によって手厚く保護されていたが、そのうち僧の道鏡など力を持つようになった僧の中で政治に介入し始め、天皇の座につこうとする事件も発生し、政治が大混乱する事態となった。問題になったもう1つの勢力は、奈良を根城にする豪族たちで、彼らの支配する土地は朝廷…
訓読 >>> 103わが里に大雪(おほゆき)降れり大原の古(ふ)りにし里に降らまくは後(のち) 104わが岡のおかみに言ひて降らしめし雪のくだけし其処(そこ)に散りけむ 要旨 >>> 〈103〉私の里には大雪が降った。あなたの住む大原の古ぼけた里に降るのはもっと後だろう。 〈104〉私の住む岡の竜神に言いつけて降らせた雪のくだけたのが、そちらに降ったのですよ。それを先に降ったなどと得意になっておっしゃったりして・・・。 鑑賞 >>> 103は、天武天皇が藤原夫人(ふじわらのぶにん)に賜った歌。104は、藤原夫人がそれにお答えした歌。「夫人」は後宮の職名で、藤原夫人は藤原氏出身の夫人という意味で…
今回のブログは、以前「壬申の乱」について記した記事の続編のようなお話です。 www.betty0918.biz 古代最大の内乱「壬申の乱」 その後天武天皇となった大海人皇子。そして妻の鸕野讃良皇女うののさららのひめみこ、後の持統天皇のお話です。 目次 持統天皇(鸕野讃良皇女)って? 天武天皇と鸕野皇后が進めた国づくり 銅銭の始まり 律令の編纂 吉野の盟約 相次ぐ夫と息子の死 即位儀礼 藤原京遷都 持統天皇が定めた皇位継承のルール 日本誕生 崩御 持統天皇(鸕野讃良皇女)って? 中大兄皇子(後の天智天皇)の娘である鸕野讃良皇女うののさららのひめみこは645年、乙巳(いっし)の変(大化の改新)の年…
【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 9月30日 ウォーキングに持参する物 ⑤ スマホ 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。 【 注 】 日記の発…
ご飯を食べたら、「野間大坊」へ ☟旅の前編はこちらから。 相変わらず天気は雨ですが、「納屋」から「野間大坊」は目と鼻の先。 ここは行くしかあるまい、とお参りすることに。 大御堂寺 野間大坊|源義朝公最期の地 ★野間大坊とは★ 愛知県知多郡美浜町にある真言宗豊山派の寺院。 「野間大坊」として知られているが、正式には「鶴林山大御堂寺」であり、本尊は阿弥陀如来。 歴史は古く、天武天皇の時代に建立される。 平安時代の末期、平治の乱で平清盛に敗れた源義朝の最後の地であり、境内には墓がある。 源義朝の嫡男であり、鎌倉幕府をひらいた源頼朝が寄進した念持仏を本尊とし、豊臣や徳川の庇護を受けた。 境内の地図を見…
西国三十三所(第二章) 今回から、10回のシリーズで、再び「巡り旅のスケッチ」を綴ります。紀州熊野の青岸渡寺から始まった、西国観音霊場を巡る旅。紀伊半島の西側を、紀ノ川から泉州へ、そして、河内、飛鳥と辿った後に、三輪山の奥に姿を隠す長谷寺へ。春頃に一区切りした第一章では、この長谷寺までの巡拝を書きとめてきたところです。 今回からの第二章、まず、奈良平城京へと足を進めて、興福寺へと向かいます。その先は、京都の南部、宇治、伏見を辿った後で、近江の国へ。そして、再び京の都に戻ります。 平城京へ 奈良盆地の南の地域に展開する、幾つかの霊場を巡り終え、奈良の都、平城京に入ります。奈良県では、残すところあ…
奈良時代を800字程度でまとめると以下のようになります。 奈良時代:概要 奈良時代は、8世紀の初め(710年)から末(794年)にかけての日本の歴史時代。この時代は、日本が平城京(奈良市)に都を置いていたことからこの名がついた。中央集権体制のもとでの国家運営が本格化し、律令国家の形成が完成した期間である。 律令制の整備 飛鳥時代に始まった律令制は、奈良時代においてその体制が本格的に整えられ、実施された。全国の土地や人口を調査するための国勢調査である「戸籍」と「計帳」が定期的に行われ、国家の基盤を支えた。 文化の発展 奈良時代は「奈良の大仏」として知られる大仏の建立を始め、多くの文化的事業が行わ…
薬師寺に到着し、6年生は法話を聞いております。 薬師寺は天武天皇が建立しましたが、なぜ建てられたか、6年生はしっかり勉強してくると思います。 保護者の皆様、ぜひお子さんからそんなことも思い出の質問として聞いてくださいね。 薬師寺の後は、いよいよ大仏様とご対面です。
文字霊日記・3361日目 2023年9月24日 ・・・東の空に半月・・・西の山に落ちかかっている太陽・・・ www.youtube.com https://www.youtube.com/watch?v=ry3eW0AkYMM 昨日も今日(25日)も庭を遮蔽(シャヘイ)する松の木々と、それらに並ぶ2本の桜の木、白とピンクの花を咲かせている名前不明の花・・・ 子供のころは「こけこッこゥ花」なんて花弁を取って 鼻の上にクっけて遊んだが・・・ 「コケコッコー花」・・・ タチアオイ(立葵・Althaea rosea・シノニム・Alcea rosea) アオイ科の多年草 属名 Althaea ギリシア語…
0、「神樹様に拝」 ―神世紀300年の宗教的日常風景― ・「起立、礼、神樹様に拝」という「異常」 ・神世紀四国の「宗教的日常風景」 ・本コラムの構成 1、「神樹様」とは何を意味するのか? ―神世紀四国の宗教体系を問う― ・神樹信仰とは何か? ―神樹信仰概説― ・「一元化」された日本列島の神々 ―神樹信仰における「一元化」― ・「異形」の「一元的」宗教体系 ―「神政国家」の「異形」なる相貌― 2、補論 「神樹様に拝」という身体技法 ―神世紀四国の「規律訓練」― ・「規律訓練」とは何か? ・「規律訓練」と学校教育、そして神世紀四国 ・近代(公)教育と宗教教育をめぐる問題 3、花本美佳の「神樹教」批…
あれもこれも旅行記を始めなければと思いつつ、こちらをまず。 9月15日の(家康的)歴史的勝利日のちょっと前に行ってきた関ヶ原。 関ヶ原古戦場記念館で迫力のシアターやパノラマ展望を楽しみ、お腹もいっぱいになったところで、徳川家康の陣跡へいざ出陣!
三重県多気郡多気町土羽『御船神社・牟弥乃神社』 2023,9,23 伊勢参りしてきました(´(ェ)`)。 伊勢神宮については、あらためて神社巡り記事として特集したいと思ってます。今回は先行して、以前から当ブログお馴染みの、伊勢神宮別宮摂社末社125社のなかでもさらに下位、御船神社・牟弥乃神社・蚊野神社についてご紹介を。 なんで伊勢まで行ってまず摂社末社なんだ?、さらになんで下位?、いくらなんでもこの人マニアックすぎる…、コワイといわれそうだが(苦笑)。 前記事からお伝えしてきたように、この神社は富士朝解明のヒントが隠されていそうなのだ。当ブログではお馴染みの瀬織津姫命や賀茂別雷命(宮下文書版カ…
『上賀茂神社』は平安京建設前から鎮座する京都最古の神社! 平安京建設前から鎮座する、京都最古の神社『上賀茂神社』。この社の南にある「下鴨神社」とふたつでひとつの神社ですが…漢字が違うのはなぜ? 筆者紹介 こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均35泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。 旅人サイファ実績 ・スキルマーケット「ココナラ」にて旅行お出かけカテゴリ売上実績No1 ・グルメサイト「ニッポンごはん旅」公認ライター ・スマートニュース/Yahoo!ニュースほかメディア掲載実績多数 ・「にほんブログ村」国内旅行カテゴリPVランキング1位を記録 こちらの…
9月も半ばになってこぼれ種から朝顔の花が咲きました。 色は白の縁取り青の朝顔です。 毎日次々咲いて嬉しい花の一つです。 別名 牽牛花とも言われますが、 絵画などにも沢山描かれています。 下の写真は川越出身の小茂田青樹の図録です。 「牽牛花」(1924年)があります。 絵葉書。 小茂田青樹展 | 川越市立美術館 | 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 桔梗のことを日本では古くから万葉名で「あさがほ」とも言われています。 奈良県明日香村にある古墳の名前にも使われています。 天智天皇、天武天皇の母、第37代の斉明天皇(第35代皇極天皇)陵は、 牽牛子塚古墳と言われています。 詳細は下記から。…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 日本民族が朝鮮半島人・半島系渡来人を嫌い差別するのは、偏見ではなく恐怖からであり、その恐怖とは現人神・神の裔である天皇の暗殺である。 ・ ・ ・ 2023年9月21日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「韓国「反国家勢力」に「日本の政治家」が“急接近”って…! 「在日3世」の私が呆れる「一緒に日本批判」の“おかしな現実”と、日韓関係に浮上する「新リスク」の正体 韓国の「反国家勢力」 残念なことに、いま韓国野党は「真っ黒」だ。 最近の韓国野党の立場は、尹大統領が8月15日の…
新版まえがき この『日本国史』(上・下)を出すにあたって、最初にこの著作の「歴史」について述べることをお許し下さい。 まずこの二冊は『國文學』(学燈社)という雑誌の、平成十九年(二〇〇八年)十月号から翌年の七月号にかけて連載した原稿が最初でした。つまりきっかけが国文学の雑誌の依頼であったということです。それまでの日本の歴史が、世界でもレベルの高い芸術、文化を蔑ないがしろにし、ただ政治と経済に終始し、貧富の差を殊更強調したものが多かったのです。戦後は、民主主義と称して、意識的に左翼のイデオロギーで書かれるものばかりでした。 文化を階級的なものとして考え、せっかくの『源氏物語』でさえも、貴族階級の…
本コンテンツは、底本の発行当時の収録内容をもとに作成されています。 底本とは一部の表記・表現が異なる場合があります。 また、使用するリーディングシステムや機種によって、表示に差が認められる場合があります。 天皇の国史 竹田恒泰 はじめに 日本は天皇の知らす国である。 「日本とは何か」という問いに真しん摯しに向き合うと、自ずとこの答えに辿り着くのではないだろうか。明治時代、大日本帝国憲法を起草する大役を担った天才官僚の井いの上うえ毅こわしは、第一条を書くために、『古事記』『日本書紀』をはじめとする国史に関係する膨大な量の本を読み込んだ。憲法の冒頭に日本の国柄を、つまり「日本とは何か」を簡潔に書く…
今日のおとな塾は薬師寺のDVDを鑑賞しました🦌 奈良時代につくられた薬師寺。奈良県にある東大寺や唐招提寺と並んで有名ですね。国宝の東塔も教科書に載っていた思い出があります。 「薬師寺」は、当時の天武天皇が、後に持統天皇となる「皇后さま」の病気が治ることを祈って建立したものだそうです。 ただ、その天武天皇はその後お亡くなりになってしまい、持統天皇やそれ以降の天皇の代に建設が進んでいったそうです。 教科書で読んだのかもしれないですが、大人になってから聞くと色々考えますね✨ 闘病のために寺を建てるという考え方のスケールが凄まじいなあと思いました🫡 おとな塾は毎週火曜日13時~15時、室町事務所で開い…