「白村江の戦い」について、実際に戦った兵力はどの程度であったのか。 日本書紀の記載 日本書紀には百済救援戦争への兵力投入について、いくつか記事がある。661年8月前軍 安曇比羅夫、河辺百枝後軍 阿倍比羅夫、物部熊、守大石(兵力の記載なし)661年9月狭井檳榔、秦田来津(朴市田来津)豊璋を送り届ける動員数五千662年5月安曇比羅夫 170艘663年3月前軍 上毛野稚子・間人大蓋、中軍 巨勢訳語・三輪根麻呂後軍 阿倍比邏夫・大宅鎌柄二万七千663年8月『廬原臣(臣は名前、姓は君)が万余の軍勢で助けに来る』と豊璋がコメント 日本書紀は、それぞれの記事について、原典に数字があった場合に記録に残したのだ…