白村江の戦いのような最大級の国難に対し、斉明朝の国力として動員可能な最大軍事力はどの程度であったのだろうか。 隋に見る遠征軍動員可能兵力 参考になるのが、隋による高句麗遠征である。 598年に文帝は30万の軍勢を高句麗に送った。そして612年に煬帝は113万の軍勢を高句麗に送り、618年には隋は滅びてしまった。 従って、『隋にとって30万はいいけど113万はやり過ぎ』というのが見て取れる。 当時の隋の人口は約4600万人とされている。 このため、動員可能兵力の人口比として113万/4600万=1/40が国が傾く限界といえる。余裕ある動員可能兵力人口比は30万/4600万=1/150程度となる。…