陶晴賢

(社会)
すえはるかた

陶隆房とも。
大内氏家臣、尾張守
天文11年(1542年)尼子氏討伐に出陣するが敗退する。
天文20年(1551年)大内義隆に対し反乱を起こし、敗死させる。
大友氏より宗麟の弟晴英を後継当主に迎え、その際晴賢と改名する。
弘治元年(1555年)厳島合戦において毛利氏により敗死する。

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