さて、後白河法皇は、 成親、俊寛のように自分も遠い国、 遥かな小島に流されるのではなかろうかと、 お考えになっていたが、 そういうこともないまま鳥羽殿に 治承四年までお暮しになっていた。 この年の五月十二日の正午《ひる》ごろ、 鳥羽殿の中で鼬《いたち》がおびただしく走り騒いだ。 常にないことである。 法皇は何の兆《きざし》かと自ら占われて、 近江守仲兼《おうみのかみなかかね》、 その時まだ 鶴蔵人《つるくらんど》とよばれていたのを御前に呼ばれた。 「この占いを持って安倍泰親《あべのやすちか》のもとへ行き、 しかと考えさせて、吉凶の勘状を取って参れ」 仰せを受けた仲兼は、安倍泰親のもとへ急いだが…