『立正安国論』の奏呈から9年後の文永五年正月、大聖人の予言された他国侵逼の難が蒙古の来牒によりいよいよ現実として現れてきました。大聖人は、『安国論御勘由来』など幕府への諌言をしますが何の返答もないことから10月11日に、北条時宗・宿屋左衛門光則(宿屋入道)・平左衛門尉頼綱・北条弥源太・建長寺道隆・極楽寺良観・大仏殿別当・寿福寺・浄光明寺・多宝寺・長楽寺に対して、有名な通称『十一通御書』を認めますが幕府はこれも黙殺します。更に3年後、大聖人は極楽寺良寛との祈雨対決に勝利します。良寛は敗北したら大聖人の弟子なるという約束を破り、逆に大聖人に対し憎悪の炎を燃やしデマを用いた裏工作を謀り、ついに大聖人…