元禄3年6月。平田屋が逼塞となる。女房のことで。
隼人正歩行でまたの名を用馬次郎右衛門という者は高須に知行があったが、近年落ちぶれて昨年暇をもらい、大光院を頼って剃髪し、庫裡で道心(仏門に入った者)として暮らしていた。去年の冬、西国巡礼に出かけ縁者のある讃岐高松を尋ね逗留していると、そのことが源英様(松平頼重)の耳に入り、鉄砲のことなどを聞かれる。お抱えとなり10人扶持を下される。元禄3年6月上旬ころ、妻子は引っ越しのためにやってくる。かつ大光院には断りを入れ還俗する。讃州から中間1人が付き添う。