元禄15年閏8月22日。6月、高須で川口三右衛門の百姓文兵衛が同僚を切って逃げ出した。その時から請人や村へ命じて方々を尋ねるが見つけられなかった。近頃になって文兵衛兄の請人が牢に入り、母と姉は村から番が付いた。近頃、また村の百姓が手分けをして他国に尋ね行く手はずになった。ところが、この日申(午後3時)頃、文兵衛が法花寺へ書付を持ってやって来て命乞いをした。法花寺では迷惑と思い、弟子たちが取り次がなかった。夕暮れ前、文兵衛は門から出て行ったので弟子たちは門を閉ざした。文兵衛は門の側で立ったまま腹へ突き立て、そのまま右へ回して喉を突き死んでしまった。この首は高須にて獄門となった。相手は斬罪となった…