正徳1年11月9日。三州挙母(コロモ)城主1万石本田山城守は毛利甲斐守の実子であった。長門守に入婿となり、拳母の城主となった。長門守弟は伊保の城主本多弾正といい、まぎれもない権力者であった。この日(10月9日)150石山城守側用達三村市左衛門(39才)と200石栗山加太夫が切腹を申し付けられる。加太夫は24歳で、辞世に「ちりぎはは猶哀なりかえり花」とあった。目付役100石中沢甚右衛門は手討ちにされる。中小姓丸山六太夫は暇を出されたが、岡崎のあたりから戻り、禅寺長興寺で自殺した。書置がありその大意は右の3人と自分の4人は国元から附いてやって来たにもかかわらず、3人は死んだのに、1人は暇を下された…