享保2年7月2日。惣打が行われる。修理殿が出向かれる。辰半(午前8時)、大膳・小兵・甚右・弥次右などが文左衛門のところにやって来たので吸物で酒を出し、それから一緒に矢田へ出かける。文左衛門が弁当を全て用意する。酒は3升。弥次右は酒だけを1升。酒や食事を気持ちよく楽しみ、夕暮れ過ぎに帰る。(惣打の成績は略)弥左衛門の話は鉄砲に関することではなし。弥左衛門の聟で関右衛門の子である正木源八が初めて惣打に参加するが、貧乏でもてなすことができなかった。左のごとく弥次太夫が酒・食事を遣わし供応した。海部伝右衛門姉聟米屋与兵衛の娘を弥左衛門の娘にして遣わした。海部弥左衛門は以前から鉄砲を自慢の一品にしていた…