宝永2年2月8日。昼頃、万場村で家30軒ほどが焼失する。佐藤治左衛門召仕長屋彦左衛門が評定所東の家に入る。治左衛門と知行百姓との間では取り合い(米などをめぐる争い)があった。
宝永2年1月8日。杉村薬師寺に称入という坊主がいた。今朝、近所の者が称入の戸が朝早くから開いているのを不思議に思い、入って中を見ると称入の部屋には血が流れていた。その血は井戸まで続いていた。井戸の中には称入が落ちていた。自害して入ったのか、それとも賊に殺されて入れられたのか。乱心して井戸で死んだことで決着する。