宝永2年3月4日。寅(午前3時)に地震がある。近頃、新丁あたりの諸士が博奕をしていると。松井林右衛門などだと。聟養子の廻文がある。彦兵殿の手紙には聟養子のない方もそのように書付寄こすようにと云々。武右のところへ来る7日昼までに持参すること。
宝永2年2月24日。細工の者(細工師)池田伴内・利倉長兵衛が江戸へ下る。箱根畠の茶屋で伴内が長兵衛を切り殺す。茶屋は伴内を捕らえ、急いで江戸へ知らせる。供番真鍋茂太夫、五十人目付伊藤伝九郎がやって来て伴内を請け取り、江戸へ向かう。3月4日朝、切腹したことにして成敗する。長兵衛は広小路本町と長者町の間、仏師伝左衛門の子。畠の茶屋の亭主は藤左衛門という。