宝永3年4月2日。熱田大宮の鏡を磨(すま)し、簾を新たに調える。昨1日未刻(午後1時)過ぎ、京鳥部山妙伝寺の隣の墓所で、名古屋伊倉町貴道平兵衛の子源助という者が濃州加納の医者の娘21になるもんを連れて来て刺し殺し、自分も自殺しようとするのを墓廻りの者が見とがめ、棒すくめにして縛り付けた。牢に入る。宿は京三条で十左衛門という者のところであった。十左衛門はこの女とかつて関係があった。女の父はこの女をほかへ嫁がせようとしたため、近頃名古屋を逐電した。京にはやって来たけれどこの先のことが見えないのでここに及ぶ。源助は初め石川伊織に歩行として奉公し、この春までは遠山彦左衛門のところに奉公し、その後牢人と…