宝永4年6月6日。馬廻日置甚左衛門が改易となる。兄篠岡佐源治も江戸で逼塞となる。昨年冬に建中寺に入った盗人の中で甚左衛門の町屋に住む者がいた。しかし、町屋の名代は清左衛門という者にしていた。町へ預けられた時、清左衛門から番を付けるよう言われたが、実はこの町屋は甚左衛門殿の家であると言った。甚左衛門に言うと、番を付けるにはいろいろ無理があると言った。番人の代金はしぶしぶ甚左衛門から出すことになったが、甚左衛門は町から番を付けるといろいろ費用がかさむと思った。このため甚左衛門のところから番人を出して番をすることにしたが、これもよくないとまた町から番を出すように頼んだ。つまりのところ、甚左衛門がとて…