宝永5年5月19日。卯(午前5時)過ぎ、萱屋町赤津の近所の町屋ですのこも(筵みたいなものでしょうか)へ火が燃え上がろうとする。すぐに消し止める。文左衛門のあたりではこのことを知らなかった。文左衛門は勘定を出す。大樹(将軍)の茶壷は清須で昼、熱田へ泊まる。