宝永5年6月29日。東鉄門の土橋辺りの石垣の側の地面に長さ2、3間(1間は約1,8メートル)、深さは4尺(1尺は約30センチ)ほど、幅は2尺ばかりの穴が開く。相応寺天歴自筆の書置があった。その内容は、高岳院に泰心院様が何度かお訪ねになったが、その度に金がかかり、このように貧窮してしまったと長々と書いてあった。つまり御上のことで物入りだということがいろいろなことまで記されていた。寺家・玉相院などで話し合い、これを出しては御上を非難することになると書置きを焼き捨て、書置きなどなかったと報告した。