宝永7年7月27日。昼、今井甚左衛門東鉄門と御屋形の間の作事小屋で町大工の肝煎善右衛門が自殺する。駿河町板木屋での町大工の一件で吟味があり、肝煎善右衛門の下ふれ(配下)十右衛門という者が、町大工弥右衛門のところからの人を集めろという廻文を請け取ったと話していた。このため弥右衛門は牢に入ることとなった。この弥右衛門の父は初め修理殿の組で立合(監視?)の足軽で、弥右衛門は父と共に御下屋敷の近所に住んでいた。父はこのことで含むところがあった。父は弥右衛門が牢に入ったのは善右衛門の仕業だと腹をたてて恨み、仲間の足軽1人に頼んでいろいろと嫌がらせをし、時に刀を抜いて脅していたと云々。善右衛門は小心者なの…