宝永6年3月15日。夜、西鉄門外の土橋の石垣が崩れる。一昨年膨れた場所であった。戌半(午後8時)頃、女1人を曲淵仁左衛門北ノ町相応寺前から追いかけて切る。女の大きな叫び声がした。刃が切れなかったのか傷が多かった。終には仁左衛門門前北寄りで倒れ、しばらく女は水を求めていた。人々が集まり、何者が切ったか、敵を取ってやると言ったが、話すことなく死んでしまった。この女の初めの住まいは阿知波理太夫借屋であった。九郎介は妻子ともに目あかしの指図で理太夫に預けられ、文左衛門下片町の西側に住む紺屋杢左衛門も大屋十左衛門に預けられる。いずれもやがて許される。