正徳3年12月15日。逝去後、城では御城代衆は交代での泊番があった。御小姓立(小姓あがり)は昼夜とも城で番をしていた。ただし新御番頭は1人ずつ夜だけ番をしていた。五十人頭・御歩行頭・御側足軽頭は1人ずつ昼の間勤めていた。ただ今まで続いていたが、この日から中止となる。御城代肝煎も鉄門で昼夜に限らず番を勤めていたが、これまたこの日から中止となる。公は中将に任ぜられ、かつ一字を進められ継友公と称する。一昨日13日に大須真福寺へ智積院の所化(座もよし?)葦船坊が住職として入る。