元禄8年6月19日。申半時(午後4時)に文左衛門は渡辺八郎兵衛と堀川へ4ツ手(網)を持って出かける。4ツ手は興津安右のものであった。先頃、真福寺宝生院を寺社奉行へ呼び、今までは真福寺は天王坊の本寺であったが、以後は天王坊には本寺を置かないと。前々は真福寺より直に天王坊へ住職を送っていたが、これもやめると。宝生院は不機嫌となり、退出するときひとつ屁をこく。寺社奉行も椽が鳴ったのかと思う。また杉戸の側でふたつ屁を大きくこく。門から10町(1町は約109メートル)ばかり行くが、また戻り、10人衆林弥太助を呼び出して話し始めた。このような時のばかげた振る舞い、かねてからの持病といえども、何となくお上の…