人を騙すための作り話。能舞台で行なわれる「狂言」と区別するために、「自作自演の犯行」という報道をされることもある。
(1)日本の伝統芸能のひとつ。室町時代に成立した。能狂言。 能と同じく猿楽から発展した芸能で、滑稽さを重視して発展した。 独立して演じられる本狂言と、能の曲中に演じられる間狂言がある。 現在、和泉流と大蔵流の2流派が現存。過去には鷺流と呼ばれる流派もあったが、明治時代に断絶した。 主役をシテ(オモ)、相手役をアドと言う。
なお、明治以後は能と狂言を合わせて「能楽」と呼ばれることがある。
(2)歌舞伎の演目のこと。歌舞伎作者は「狂言作者」と呼ばれる。
能楽、和泉流、大蔵流、太郎冠者、狂言回し
正徳3年4月21日。橘町の芝居は新十二段・東門出・稲荷御利生という狂言で、立田と勘九郎の2人を称える。
正徳3年3月14日。十二郎の狂言が行われ、日々、人が集まる。立田(演者)一人の大あたりと云々。演目は傾城明石の浦で三番続き(三幕)。(役と演者略)
正徳3年3月1日。橘町で十二郎の狂言が行われる。この度は今日から若女方として藤本竜田、道外方は三国勘九郎、立役中村源七の3人を呼び寄せる。藤本竜田、初めは藤本花霧と名乗っていた。但しこの興行は橘町の者が請け負ったと云々。橘町に家を借り、十二郎が毎日機嫌伺に行く。飲食などもてこ(手小)の者とは一緒に食べず、はなはだ大変だった。送迎ならびに逗留の雑用も全て行っていた。これらの37日分の支払いは藤本・三国は15両ずつ、源七は80両であった。去年呼び寄せた立役坂田藤四郎もやって来ていた。法花寺町南の田んぼの水門(イリ)の側で河村丹左衛門定出入三右衛門が女を刺し殺し、自分も死ぬ。三右衛門は初めは権六と名…
正徳2年8月20日。七ツ寺で狂言が行われる、演目は三ツ宝(?)、譲葉のカガミ(しだゆずりはの鏡)。
正徳2年8月15日。この日から七ツ寺で十三郎の狂言が行われるはずであったが、雨のため順延となる。女形・立役などが新たに増える。
個人的に長らく夏の猛暑に苦しめられてきましたが、ようやく朝晩が涼しくなってきました。 とは言え、まだまだ昼間は暑いですが。 To Instagram今日は東大阪市東部にある枚岡神社で年に一度のひらおか薪能を堪能してきました。 ひらおか薪能は能楽の大成者観阿弥の母が、現在の東大阪市にある玉櫛庄の出身という説があったことから、30年ほど前から枚岡神社の境内で有志によって開催され続けています。今回は狂言の魚説法と能の鞍馬天狗が披露されました。 どちらも初めて見ましたが面白かったです。何よりも秋の夜長に涼しく見ることができたのが良かったです。 すぐに寒くなるかもしれませんが、しばらくは秋の夜長にあちこ…
正徳2年2月13日。この日初めて熱田で太々神楽が行われる。見物人が満ちあふれる。五十人目付10人が出向く。この日、大須で十三郎の狂言が行われる。昨年秋の彼岸には行わなかったので。
正徳1年7月14日。大須で十三郎の狂言が行われる。他に芝居が2本。座頭の軽業・12、3歳の一眼童子(眼がひとつの妖怪)。
宝永8年3月9日。十三郎の狂言がこの日で終わる。
宝永8年1月26日。橘町で十三郎の狂言が行われる。十次郎も大坂から帰り、その他にも役者も来ると。榊原式部太輔が熱田に泊まる。成瀬修理が出向く。かもり(掃守)へ縫殿殿ならびに水野分四郎が出向く。