正徳5年1月24日。申半(午後4時)過ぎ、文左衛門の下、中の(ノ)町の北側、中根文左衛門の東隣御歩行水野与一右衛門のところから出火する。大騒ぎになるがすぐに鎮まる。与一右衛門は江戸留守であった。極貧で屋敷中の土を掘って売り、その穴の中に小屋をかけ、母と妹と弟とは住んでいた。この小屋の穴の中が焼けたので外からはさほど見えなかった。母と妹は焼け死んだと。与一右衛門仲間が請け負い、安栖院に葬る。弟弾蔵も怪我をし、逐電してしまう。与一右衛門と水野次郎兵衛・元右衛門は従弟であったが、付き合いを絶っていた。