北山修の公開講演/公演を聴く

あの素晴らしい愛をもう一度」といえば、作曲者の加藤和彦、作詞者の北山修を語らないわけにはいかない。
晦日の午前10時から、北山氏のインタビューと公開講演のビデオがテレビで放映されていたので、つい惹き込まれる如く見てしまった。    
    煤逃げやフォークルの愛もう一度    コスモ

北山さんの公開講講演には、姜尚中(カン・サン・ジュン)さんがゲストとして招かれていたが、彼はフォークルの「イムジン河」を聴いて自分の存在の根柢を揺り動かされるような感動を覚えたと云っていた。カンサンジュンさんは、北山修は1970年代の若者を代表する「哲学者」であるともいっていたが、これは、その時代を表現する思想家という程度の意味なのだろう。私から見れば、北山さんは、繊細な情念を表現できる詩人であると同時に、人間の心の内側を探求する科学者=精神分析学者でもある。
北山さんの公開講演の内容は、歌麿の浮世絵に描かれた母子像の意味するものを題材にして、日本人の心の深層を探るという趣旨のものであり、さすがに手慣れた堂々とした名講義であった。日本人にとって、こころは「うら」であり、「表=建前」を支配する父性原理のおよばぬ母性原理の支配する世界である。その日本的な母性の伝統的な表現を、母親に抱かれつつ「共に何かを見る」歌麿の浮世絵の構図のなかに見出すというユニークな学説を一般の人にわかりやすく説明したものであった。確かに、「うらみ」「うらぎり」「うらかなしい」など、心の深層をあらわすときに「うら」という言葉を使うのは日本語の独特の表現であろう。西洋には、聖母子像をのぞけば、歌麿が描いたような母子像はないらしい。

私自身は、精神分析学の話よりも、北山さんの作詞された音楽の方を聴きたかったので、この点はちょっと不満が残った。しかし、幸い、今年3月のコンサートの模様がYouTubeにアップされていたのを後で発見した。これは北山修さんの九州大学の定年退官記念コンサートであったが、本来ならば加藤和彦さんも参加される予定であったとのこと。期せずして追悼コンサートにもなったが、此処で初めて公開された「七色の光の中で」が圧倒的な印象であった。かつてフォーク・クルセダーズで同志であった仲間の死を生きて行かねばならぬ北山さんのどうしても作らねばならなかった作品、友への思いの籠もった名曲・名演であった。

四〇年前の二人の貴重な映像と弾き語りの「あの素晴らしい愛をもう一度」がYouTube にアップされていた。
加藤和彦のギターは天才的であるが北山さんは当時から決して上手い歌唱であるとは言えなかったが、その木訥な素人臭さが魅力のライブ演奏であった。

大学教授でもあり精神科の医者でもある北山さんは、鬱病であった友人を救うことが出来なかった自責の念にかられて、その「悲嘆経験」から抜け出すのにずいぶんと時間がかかったらしい。そのとき彼を救ったものは、最終的には歌ではなかったのだろうか。一旦は日本の芸能界を決別して学問の道を選択した北山さんではあったが、音楽は学問のなしえないことも出来るのである。