Hatena::ブログ(Diary)

伊藤計劃:第弐位相

2004 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |

11-29, 2004 私立ウィザードリィ学園

トイレでモクを吸うマーフィー トイレでモクを吸うマーフィーを含むブックマーク

 各所で話題になっているようですが。

 http://www.michaelsoft.jp/wiz/

 キャライラストからはウィズの殺伐さが一掃されて、萌えでヌルめなオタクのみなさんにも取っ付きやすいものになっているのが伝わってきますね。女性にやさしいウィザードリィでもありそうです。ちょっと「Man on Fire」に「マイ・ボディガード」という邦題をつけられたのときの気持ちを思い出しました。しみじみ。

 末弥純テイストで学園ものをやってくれたら、絶対買うが・・・ってそれ、「BLAME学園!」じゃん!ボルタック購買部、カント保健室とかあるわけよ。校舎裏のウサギ小屋にはヴォーパルバニーが飼われてて小屋の周りにはエサをやりにきた女生徒の首がゴロゴロ転がっているわけよ。超狭い(ワンブロックしかない)体育用具室なのにグレーターデーモン8匹とか平気でエンカウントしたりしてさらにその狭い空間でティルトウェイト炸裂したりしてどういう状況なんだかさっぱりわからないわけよ。ミッション系の学校だから聖なる手榴弾を投げる前にちゃんと取扱説明書(聖書)を読むわけよ。女子トイレのおっきいほうにはいつもマーフィーがいてタバコ吸ってるわけよ。

 あ、これが書きたかっただけです。

通りすがり通りすがり 2004/11/30 21:30 女子トイレに大小はないのでは!?

ProjectitohProjectitoh 2004/12/01 12:46 確かに。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20041129

11-27, 2004 みらいのちきゅう

スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモローを含むブックマーク

 予告編の素敵さでごく一部の人間に話題を呼び起こしつつも、公開前になると「話が御都合」「ストーリがだめ」などなどよろしくない評判が出回りはじめ、ああ、こりゃ期待しないで行った方がええんかいな、と思いながら見に行ったら隣の劇場は「いま、会いに行きます」なんかかかってたりして、そこには恋人たちが列を成していたりして、ひるがえって「スカイキャプテン」に入ってみれば、どう考えても世間に堂々と顔を向けて恋愛仕事に励んでいる健康的なライフフォース、というやつが欠けまくったしょっぱい顔といでたちの野郎が何人かいたりして、いわばムジナーズ、俺と同類というやつなんですが、それがまばらな客席に点在している様は実存的な疑問というやつのトリガーになりがちなわけでして、気分はわりとどん底に近かったんですが、

劇場から出たときはとても幸せなきもちになっていました。

「(それっぽい要素を集めつつも)ツボは外している」「単なるファッションで本気じゃない」とか「ロケッティアは良かったなあ」とかいろいろ嫌な話を事前に聞かされていたんですが、俺に限ってはまるまるオッケーでした。

 確かに、興奮するような映画ではない。意外な展開があったり、思いも寄らぬパッションがほとばしったり、そういう映画ではない。「こういうの、好きです」という監督スクラップ帳、それだけで構成された、すげえ後ろ向きな映画だ。だが、だが!後ろ向きってたら「となりのトトロ」だってどうしようもないくらい後ろ向きだ。そして、トトロの風景をほとんど憎悪しているといってもいい自分にとって、これこそが俺のトトロだ、と劇場で大声を上げたい気分になったのだけれども、恋愛とかクリスマスとかそういうものに背を向けたしょっぱいファッションのしょっぱいオヤジである俺様は気が小さいのでそんなことはしませんでした、まる

 スカイキャプテン、という名前にまず痺れる。なにせスカイキャプテンだ。「デアデビルのデアってなんだ」「XメンのXってなんのXだ」「マトリックスってどういう意味だ」「自分の目で確かめろ」などという疑問の余地がない直球ヒーローだ。パニックでルームだったりファイトでクラブだったりするくらいストレートだ。しかもそのヒーローの名前が題名になっている。さらに追い討ちをかけるがごとく「ワールド・オブ・トゥモロー」ときた。ワールドでトゥモロー。微妙に国道沿いに看板が立ち並ぶ消費者金融の匂いが漂う単語だが、それぐらい馬鹿でもわかるというか馬鹿すぎる明るさに満ちあふれたタイトルだ。この時点で「ストーリーが」とか「御都合が」とか言っている人間は馬鹿である。スカイキャプテンなどという題名がついた映画を見に来て、そのような文句を言う輩は八百屋で魚を求める阿呆である。スカイキャプテンの時点で気が付け。場を読め。しかし制作者がわざわざ「スカイキャプテンです。しかもワールドでトゥモローです。そういう映画です。そういうのが嫌いな人は観に来ないでください」と題名で親切に映画のコンセプトを観客に示していても、場を読めない不粋者というのが大多数をしめる世の中なので、そういう阿呆も出てきてしまう。

 そういう題名から、失われた未来への憧憬と、そのスタイルを題名にまで貫徹する頑固さと、そのスタイルがもたらす必然としてのユルさと、それが映画の中でいかに徹底されているかを読み取ることができれば、もう安心して劇場椅子に身をまかせればいい。

 まず、のっけから「ヒンデンブルグ3号」と来た。3号ですよみなさん。ヒンデンブルグが3号まである世界、それがエンパイアステートビルに接舷するところから映画が始まるわけですよ。あの、われわれの世界では使われることのなかった(風が強すぎて使い物にならなかったんですよね)エンパイアステートの飛行船係留塔にヒンデンブルグが繋がれるわけですよ。1次大戦後、ドイツの飛行船が発達した世界を書いた「あの飛行船をつかまえろ」てフリッツ・ライバーの短編がありましたが、なんだかしみじみです。

 そして有名科学者失踪事件、という「わかっている」プロット科学プロジェクトと化し、個人の閃き「だけ」でなくなってしまったことを皆が知っている現在、「天才科学者」を誘拐して何かをたくらむ、というお話は消滅してしまっているのですが、それを堂々と採用している時代錯誤ぶりからも、この映画は現在なんてこれっぽっちも顧みる気はないんだ、ってことがわかろうというものです。それの事件を調査するのがこれまた新聞記者という現在はとんとお目にかかれないプロット。この映画は昔をうわっつらだけ取り入れてアップトゥデートするのではなく、とことん後ろ向きに、非生産的に組み立てようとしていることが、馬鹿でもわかるようになっています。本当に後ろ向きな映画です。私はその後ろ向きっぷりにほとんど泣きそうになりました。

 そして御存知フライシャーロボット襲来。この後ろ向きさはみなさん予告編で見ることができるのですが、そのロボットに蹂躙され、警察はなすすべがない。そのときニューヨークはどうするか。助けを呼ぶのです。「スカイキャプテンスカイキャプテン、応答せよ」と電波で助けを呼ぶのです。助けを求める電波が、電波塔から輪っかになって眼で見えるように描かれます。後ろ向きさはどんどん重症度を増してきました。こうなると後退ぶりはもう止まりません。この映画はどんどん映像的記憶の中へと埋没してまるっきり外へ出ることはない、と臆面もなく宣言しはじめます。でもいいのです。スカイキャプテンでワールドがトゥモローという題名でわかりやすく皆に事前に説明してやっていたはずなのですから、それを読めなかった観客が悪いのです。

 スカイキャプテン。このP40を自在に駆るヒーローは、自前の秘密基地と軍団を持つ、傭兵部隊のリーダーで、世界中の難事件を解決している国際的英雄で、難事の際は各国がこぞって頼りにするという、これまた現在では到底許されない、だからこそ圧倒的に正しいヒーローです。自前の部隊を運用しつつも財源確保は無縁な、こういうヒーローは、われわれの国でいえば金田正太郎に代表的な「少年探偵」に近いものがあり、これまた私の心を熱くさせる設定です。

 予告編にはマンハッタンと海しか出ていませんが、この映画パルプの匂いを網羅する「だけ」というコンセプトであるため、舞台はそれに留まりません。パルプといえば・・・そう、秘境です。土人です。この映画パルプに欠くべからざる要素である秘境を大フィーチャーしています。その秘境っぷりはサイードの「オリエンタリズム」も逃げ出しそうになるステロっぷりで、ネパールの人が観たら怒ること間違い無しです。さらにこの映画文化的秘境だけでなく、恐竜の登場するような人外魔境(この言葉ももはや消滅しつつありますが)もちゃんと抑えており、一点たりとも前向きになってたまるか、という網羅ぶりでスキがありません。

 しかし、この映画でいちばんしあわせな気分になれたのはなんといってもジョリ姐演じるフランキー・クックRAF中佐。ユニオン・ジャックをデカデカとあしらった空中空母を率いての登場。潜水艦から発射される対空ミサイルに翻弄される空中空母の場面は、もうほんとうにほんとうに幸せいっぱいな気持ちでスクリーンを眺めさせていただきました。こいつらが世界中で戦う映画を俺は観たい。こいつらが主人公のスピンオフ映画誰か作ってくれませんか。

 さらに、登場するキャラクターの厚みのなさっぷりもまさにそうあるべき正しさで、ここで下手に人間を描かれたり感情移入させられたりした日にゃ「それ、違うだろ。パルプじゃないだろ」とゲンナリしたことでしょう。だが、この監督は自分が好きなものは何か、それを描くためにしてはならないことは何か、をはっきり知っているので、そういう色気や深さは注意深く賢明にも避けきっています。

 だから、それなりに気の効いていると思われがちな「カメラの残り枚数ギャグ」や「ヒロインの足手纏いっぷり」や「スカイキャプテンヒロインの恋」もそのような後ろ向きの意匠として存在するのであって、それがたまたま観客にとってはこの映画で最大値の共有できる部分であろうから、かろうじて普通の映画アクセントっぽく機能したにすぎません。基本的にこれらの要素の本質は観客を楽しませようとする意思よりも「こういうの、好きです。だって映画ってこういうものだったでしょ」というやはり後ろ向きな意思が先にあったものだと思います。

 その後ろ向きさは、トーテンコフ博士に端的に表れています。自分でも気持ち悪いと思うのですが、私はいまだに青臭い人間なので、観念型の悪役が大好きなのです。金とか女とか政治目標とか永遠の命とか世界征服とか、そういう具体的なものを欲する悪役ではなく、何かの状態を達成すること、自分の利益にはこれっぽっちもならないけれど、それでも自分の脳裏に宿ったイメージを、映画を撮るかわりに世界というキャンバスに叩き付けようとする、自閉的な悪役が好きなのです。それは分かりやすいところでいえばパトレイバーの帆場であったり、柘植であったりします。そしてこのトーテンコーフもまた、そのような「悪役」のひとりです。かれのたくらむ恐ろしい計画が「明日の世界計画」という名前であるところに、自分はたまらなく興奮します。それが皮肉でつけられた名前で「ない」ところに、よりいっそうの後ろ向きさと恐ろしさを感じて嬉しくなるのです。

 え?映画として面白くない?確かに。だけどいいんだよ!俺にとってこいつは映画じゃねえ!おもちゃ箱だ!「おもちゃ箱をひっくり返したような」映画とは違う!そういう「楽しさ」をいささかも背負ってはいねえ!おもちゃ箱そのものだ!他人のおもちゃ箱。自分が好きなものだけを溜め込んだ箱というものは普通、怨念や暗さやアクや苦味も詰まっているもんだ。だから他人のおもちゃ箱を覗いたところで、趣味があわなきゃ苦痛で仕方がないだろう。だからこの監督は最大限の親切として箱の外に「スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー」と書いておいたんだ。みんなに見えるように。

 というわけで、この長い長い文章が何を意味しているかというと。

 ごめんなさい、これ好きです。映画の面白さとかは関係なく、大好きです。

 というあまり中身のない文章でした。

akizaruakizaru 2004/11/29 22:27 『スチームボーイ』の幻影を追うつもりでチケットを買いました。心強い感想文をありがとうございます。

ProjectitohProjectitoh 2004/12/01 12:49 私個人は「スチームボーイ」よりは断然こっちです。空母がイギリス軍がもう(しつこい)。大友さんって「その機械、好きとかじゃないでしょ?」って感じで「流す」人なので・・・「スチーム〜」は金田バイクのような「うおお!」がなかったし・・。

11-22, 2004 叙情と叙事

ハウルの動く城 ハウルの動く城を含むブックマーク

 なんだこれわ。

 なんか凄い映画を観てしまった。何か狂ったものが映画全体を覆っている。たぶんそれは高橋洋が「自主映画」と呼んだ状態、誰にも望まれず生まれ落ちた企画であるかのような呪われた手触りなのかもしれない。

 何が凄いって、宮崎アニメなのに話がさっぱりわからない。押井の「イノセンス」が話はわかるが何を言ってるんだかわからない映画、とするならさしずめこのハウルは何を言ってるんだかはものすごくわかるんだけど話がどうだったかはさっぱり解らない、という感じ。

 その場その場で展開することに疑問を差し挟んでいる余地はない。適確なレイアウトと、エモーションな台詞と、滑らかな編集によってシーン単位で何が起こっているかは淀みなく、疑問の余地なくわかる。が、物語がどう、と言われるととたんに不明瞭になる。

 この徴候は「千と千尋〜」ですでに表れていた、と言うことはできる。んが、まさかここまであのヤバげな匂いをこのオッサンが全面展開するとは思っていなかったので、ものすごくびっくりした。

 これにくらべれば「イノセンス」はなんとまあ実に愚直に「映画」していたことか。この作品の混乱と「イノセンス」の混乱ははっきり別種のものだ。どちらもマスに望まれないもの、ある種の弱さや欠陥ととられかねないこと、において共通しているだけで、「ハウル〜」の混乱はものすごい歪だ。

 これに似た感触の映画。それは自分でもどうかと思うが「アカルイミライ」や「カリスマ」だ。恐ろしいことだが「ハウル〜」は黒沢清映画に似ている。「ハウル〜」は出来事の連鎖にすぎない。「ハウル〜」は首尾一貫した「メロドラマ」ではない。登場人物は確かに愛を叫び号泣する。にもかかわらずだ。

 宮崎駿に首尾一貫した物語が書けないことはない。それは彼の今までの作品群を見れば解ることだ。しかし宮崎駿は今回、そうした美しく誠実な構成を組むことを心底どうでもいいと思ったようだ。だって、伏線もはってなければ因果関係を説明しようもとしていないんだもの(伏線が生きてない、とか言ってる人、そもそもこの映画には伏線なんてひとっつもありゃしないんだよ)。これは「失敗」じゃなくて最初からそういうのをとことんやる気がなかったから、脚本上その種の因果伏線は存在しないのだ。そのエゴに対して拒否反応は出て当然だし、その意味でこれはウエルメイドな傑作では到底ない。この映画は異様であり、どう考えてもマスの方向を向いた映画ではないのだ。この映画は叩かれてしかるべきだ。

 この映画宮崎アニメですらないのかもしれない。単なる出来事の連鎖。因果も連鎖もない残酷で無情で理不尽な出来事の連鎖。それを通常人々は神話と言い、叙事という。今までの宮崎アニメははっきりと叙情だった。それは偉大なるメロドラマだった。登場人物の感情とともに寄り添った物語が展開して行く、人間から見た世界の有り様だった。が、この映画は180度正反対の方向を向いている。ここで展開される物語(と呼んでもいいのだろうか。もしかしたら物語ですらないのかもしれないのに)は意味を拒む、残酷で人を翻弄する出来事の群れにすぎない。何か大きなことが成し遂げられるわけでもなく、その場その場の出来事に対して人々がそうあるべき反応を返しつつ対立と衝突が発生し、物語が収束する。それは叙事だ。

 この映画魔法もまた、そのような「出来事」としてある。なんでハウルは溶けるのか?サリマンが出した魔法陣の周りを踊る抽象化された人影のようなものは何か?それは多分、解釈を拒む物理的現実としてそこにあるだけだ。飛行石だったり王蟲だったりといった何かのメタファー、意味や解釈を付与されたいわば現実の影だったりはしない。そうなってしまったもの、そうだったもの。そういう叙事としてこの映画魔法はあるのだろう。「ハリー・ポッター」の魔法は現実にある何かの劣化コピーに貶められているわけで、それは「我々の現実ある何か」の影でしかない。しかしこの映画魔法はそうした現実との対応を拒む「現実」として、「出来事」として有無をいわさぬ説得力で描かれる。その説得力は理解不能な出来事として描かれることから生まれる力だ。

 なんでこうなるの?なにがしたかったの?今までの宮崎アニメはその問いに対する答えをきちんと用意していた。それがメロドラマの正しい在り方であり、誠実さだった。しかし、このハウルメロドラマではない。叙情ではない。それが記号にすぎない以上、現実の「象徴」にすぎない以上、アニメで叙事をやることは本質的に不可能だとぼくは思うが、宮崎駿はそれをやろうとして、しかも今回それをある程度成功させてしまった。「カリスマ」でハンマーが人間の頭を静かに砕いた場面のあの匂い、シンドラー〜でアーモン・ゲートが射殺したユダヤ人のあの物質感、それと同じぼっきらぼうな「ただ存在し、起こる」圧倒的な世界の有り様を、ぼくは「ハウル〜」に見てしまって狼狽したのだ。

 人にお勧めできないタイプの傑作。いや、傑作という言葉はやはり語弊が・・・少なくとも、過去の宮崎作品の焼き直しでは決してない。だってこれは、今のところ宮崎映画特異点宮崎映画の奇形なんだもの。今までの宮崎映画とぜんぜん違うことやってるんだもの。

 あと、押井が出てた。絶対あれは押井だろ。押井に対する冗談だろ。

パニッシャー パニッシャーを含むブックマーク

 これ、不覚にも面白かったです。ただ、「マイ・ボディガード」でトニー・スコットがやった物凄い技・・・鬼畜拷問中に大音量で歌謡曲かぶせて怨念のこもったお笑いにする(見ればわかる。俺は不謹慎にも笑った)・・・を見たあとだと、ヌルい、ヌルいぞヘンスレー!そこにこそもっと智恵を絞るべきでしょう!そう思いませんかねえ、奥さん!

しかし、最後のトラボルタはよかった。あれはお笑いではなかった。素直に「そこまでやらなければ、映画ではない」と監督か制作者が思ったのだろう、と信じたい。駐車場にあの紋章が浮かび上がるあれはお笑いではない。あれが映画なのだ。

 ・・・まあ、ロシア人とか、ステートメントをシコシコ鉛筆で書く、とかは笑ったが。

 あと、微妙にウェスタン入った音楽が良かったです。サントラ買ってこよ。

TEARTEAR 2004/11/23 03:30 ハウルは初日観て、こんなプロットを放置されっぱなしで続いていく映画を一般客は大丈夫なのだろうか?と、思っていたら一緒に見に行っていた人は全然気にもしていなかったようです。
これはこれでちょっと悲しい・・
あと、押井はサルマンと1字違いの魔法使いとの戦いなど所々感じました。間違えなくあれは押井です。

通りすがり通りすがり 2004/11/23 06:53 実はソフィは魔法を使えるのですが、本人にはその自覚がない訳です。
ソフィの外観は彼女の内面を反映しています。だからその時々の気分によって容姿が若返ったりする訳です。

ProjectitohProjectitoh 2004/11/23 12:08 宮さんは嫌みをそのまんま言う人なので、押井はダイレクトなそのまんま似顔絵であるヒンであると思います。

HtandJINGHtandJING 2004/11/23 15:41 この映画は『叙情』で無く『叙事』なのだとの評を読んで、もしかしたらこの『ハウル』という映画全体が押井に対するあてつけなんじゃねぇかとか思いました。お目汚し失礼。

jembajemba 2004/11/28 23:00 黒沢清を例に出されていましたが、私が最初につながりを感じたのは、『プライベート・ライアン」でした。拘っているところのイビつさが、ある種のスピルバーグと似ているような。最近の宮崎は、その世間から(賛辞する側、非難する側どちらからも誤解されているような気がします)の距離、孤独っぷりが際立って入るような気がします。

ProjectitohProjectitoh 2004/12/01 23:31 スピ!そうですね〜。そういえば宮さんにはスピルバーグのほうが黒沢よりずっとずっと「似ている具合」がしっくりきていると思います。違うのはスピルバーグは孤独が深まれば深まるほど興行収益にモロに跳ね返ってくる(確かに「A.I」を万人に理解しろというのは酷な話ですが)のに対して、宮さんは鉄壁のジブリブランドに守られていてモーマンタイ、なところくらいでしょうか(笑)

ProjectitohProjectitoh 2004/12/02 01:37 まあ、押井さんは(意外なことに)どう転んでも叙事になれない叙情の人なので。ロゴスの人のくせに事物を頭を通さずに、ぶっきらぼうに描くことができない人なんだよなあ。「紅い眼鏡」なんかまんま「荒野のダッチワイフ」モロパクリのリスペクトなんだけど、大和屋がやると叙事になり、押井がやると叙情になる。そう考えると、ここに来て唐突に叙事方面に大転換した宮さんのほうが、作家としては予測がつきにくくて面白いんですけどね。押井ファンではあるんだけど、なにせあの人安定しきっているからなあ(笑)

11-20, 2004 サムはいい人

ドクトル・マブゼと映画恐怖省presents「ああっ、映画の魔がやってくる!高橋洋vs小中千昭トークライブ」in ロフトプラスワン ドクトル・マブゼと映画恐怖省presents「ああっ、映画の魔がやってくる!高橋洋vs小中千昭トークライブ」in ロフトプラスワンを含むブックマーク

 金曜2400時からなので2300時まで職場でねばる。その間に職場の人間がボージョレを買ってきたので思わずお相伴にあずかってしまう。やべえ、アルコール入れて今夜一晩起きていられるのか、と思いつつ新宿。そのまま歌舞伎町へ直行、ではなくひとりジェニファー・ジェイソン・リー祭りを決行すべく新宿ツタヤへ行く。

 とりあえず第一弾として「初体験リッジモンド・ハイ」「グレート・ウォリアーズ」「地獄のシスター」を予定していたが、どれも見つからず、若くてかわいらしい店員の女性に「すいません、『初体験・リッジモンド・ハイ』ってどのへんですか」と恥ずかしい質問をする羽目になる。なぜこの3本なのかはボンクラ映画ファンなら皆知っている筈だから訊かないでくれ頼む。

 結局「地獄のシスター」はなかった。シット。

 というわけで、これで思う存分ジェニファーはぁはぁだぜ、ポケモンゲットだぜ、と心の中で呟きつつ歌舞伎町はロフトプラズワンに到着。

 というわけであたりさわりのなさそな部分を。

 前半戦というか全体の3/2は高橋洋さんと小中千昭さんに加えて、もはやサウザンドミリオンディレクターである清水崇さんが飛び入りで参加。高橋さんは清水さんからハリウッドのドロドロしたパワーゲーム体験談を聞きたがっている(というかそういう自分の『地獄ハリウッド』妄想を事実として聞きたがっている、という風情で爆笑した)のだけど、確かにいろいろ苦労はあったけどべつにそういう話はないし普通でした、とのこと。サム・ライミは本当にいい人だと言ってたのが印象的。サムのおかげであまりよくわかってないのに口を出したがる連中からずいぶん守ってもらったみたい。みなさん、サム・ライミはいい人だそうです(外見からしていい人オーラが漂ってますが)。

「The Gruge」の音楽クリストファー・ヤングなんですが、私このひと、そういう(B級サスペンスやホラー映画が多いので「やりたい作品がやれず地味に苦労している人なのかなあ」と勝手に思っていたのですが、清水さんがヤングの家に行くとドクロとかその手のゴスアイテムやDVDがびっしり。本当にそういうのが好きな人らしいです。

 いままでも各所で繰り返し語られているとおり、小中さんも高橋さんも、自分自身の「怖かった」記憶をネタにしている、というかその体験をなんとか画面に結実させようとしている、という欲望で作品を作っている。実際に見たものを描く、という話。ただ、その処理が高橋さんは自分の妄想を映画として「信じて」いく作家であるのに対して、小中さんは「クールな」タイプ。金縛り体験について「睡眠障害と解ってはいるんだけど、でも怖いんです」と小中さんは語る。むろん、この話は恐怖というものの絶対性というか、「理性で解っていても怖いもんは怖い」ということを伝えたかったのだろうけど、「睡眠障害だとわかっていても」という前置きそれ自体に、やはり小中さんの脚本家としての理性、ある意味で誠実な態度を感じる。高橋さんの妄想力、妄想に忠実であること、は、それはまた別の意味でとても誠実であり、ぼくはどちらかというとそちらの方が魅力的なのだけど、それは関係ない話なのでまたいずれ。

映画の魔」でも触れられている「セブン」の「本気じゃない」話(セブンよりコピーキャットだろう、ていうアレ)に絡むのだけど高橋さんが、世の中には「(あなた)なんかあっただろう系」の映画と「なにもありませんでした系」の映画がある、という話をしていた。ぼくはその作家が(人生において)逃れ難い呪いのようなものを体験しているか、という話しだと受け取ったのだけれども、そこで高橋さんいわく「俺はやっぱ、ポランスキーの映画が好きなんだよ」と言って(不謹慎だが)会場爆笑。じゃあ(我々のような何も体験していない、全共闘にも乗り遅れた世代に)「何かあった」ような呪いを受けた映画を作れるのか、という小中さんの問いに、高橋さんは戦時中の「呪われたUボート」の話を出す。波にさらわれたとか、戦闘以外の出来事で乗員が死んでいく呪われたUボート。戦場という死が遍在するはずの場所でも、怪談は、妄想は、ファンタジーは発生する。その話を知ったとき高橋さんは妄想の可能性に勝機を見い出したのだ、と。

 後半は中原翔子さんも登場。「ソドム〜」メイキングとともに特撮担当アニメーション作家の新谷尚之さんが秘蔵ビデオを見せてくれるが、なんといってもびっくりしたレアビデオが「空手道」。空手家浅井哲彦氏(日本空手松涛会主席師範、だそうな)のビデオで、型の紹介とか、演武とか、浅井哲彦氏へのインタビューで構成されたビデオなのだけれど、監督鈴木清順。なぜに清順。しかもスタッフ原田芳雄さん(ナレーションしてた)と大和屋叡子(大和屋竺の奥さん)さん。謎だ。

 内容は本当にどうということないフツーの空手ビデオに見え、これっぽちも映画的であったりはしないのだけど、何せ監督が清順なので、赤いカーテンの背景をバックにシルエットで演舞する空手家、という映像などは、これが清順でなかったらスルーされていただろうけど、なにせ赤バックにシルエットで演武なので(笑)ステージから「これ、美術は木村威夫か?」などというギャグが飛び出す。インタビューでは清順さんみずから浅井哲彦さんと対談。ブルース・リーとかジャッキー・チェンと浅井氏が会った話をする。「リー・シャオロン」「ゴールデン・ハーベスト」などとという単語が自然に浅井氏から飛び出し、微妙に詳し気味なのが爆笑。

 という感じで5時すぎに終了。今からジェニファー祭りに入ります。まずは「リッジモンド・ハイ」からだな。フィビーよりジェニファーのほうが絶対に可愛いと思うんだが、どうか。

もののけ姫 もののけ姫を含むブックマーク

 DVDは持っているのだけれど、前述の理由で会社から出る2300時までだらだらと観ていた。

 宮崎作品でこれがいちばん好きだ。傑作だと思う。

トトロ」はあまり好きではない。というか嫌いだ。ああいう風景は小岩で生まれて江戸川を眺めて育ち、千葉北西部のスプロール、東京に通う会社人が寝るために買った新興住宅地で育った自分には、憧れようがないあらかじめ喪われた風景だからだ。あの映画に出てくる背景の、物語の、どこにも自分は惹かれようがないし、それに惹かれることがあたかも「正しい」と言われているような映画のたたずまいには正直「貴様に憧れの対象を指し示される謂れはない」と文句のひとつも言いたくなる。

ナウシカ、は今見るとたまらないやるせなさを憶える(だからこそ漫画の方は映画やらかしたことを周到に回避し、回避はしたものの逡巡しまくり、だからこそ傑作になったのだけど)。大ババ様の「なんといういたわりと友愛じゃ」なんていう台詞はとてもじゃないけど聞いていられない。恥ずかしいのではない。陳腐なのではない。やるせないのだ。自分でも嘘だと解っているその言葉を、しかし観客に「終りの言葉」として「しれっと」言わなければならない、そんな嘘がたまらなく辛いのだ。そのやるせなさは耳を塞ぎたくなるほどで、正気の人間が真顔で画面と正対しながら聞ける台詞ではない。

とかまあいろいろある。かといって世間に背を向けた(としか思えない)「カリ城」を傑作と言う気にはとてもならない。

もののけ姫」はそんな宮崎作品の中にあって、唯一宮崎駿がヤバいところまで行った「狂気」に限り無く近いものが、ある種の逡巡と傲慢さが同居した結果落とし所がまったく不明なまま物語が暴走する、「手に汗握る絶望」が全編を覆っている凄い作品だと思う。会社で一緒に話していた人は、漫画のナウシカを映画にしたらこんなふうになるんじゃないか、と言っていた。

宮崎駿が唯一、絶望をはっきりと指し示した作品。宮崎駿が真摯であろうとした結果、まったく答えを指し示せないまま終わらせてしまった作品。この映画と「紅の豚」が、ぼくは宮崎作品の中でいちばん好きだ。

 これを見ると、エヴァって物凄い勢いで古びているのがわかる。劇エヴァを観ているあいだ、ずっと感じていた退屈さ。見え見えの落とし所に、すべてがきれいに収まっていく退屈さ。映画はこんな退屈さをフィルムに焼きつけるものではなかったはずだ。少なくとも、その種の退屈さは「もののけ」にはなかった。今ならわかる。なぜエヴァが退屈だったか。それは「常識」を延々と2時間かけて説教されただけだったからだ。一方、もののけが退屈でなかったのは、それが全然説教になっていなかったからだ。

 たぶんエヴァ悲劇エヴァの弱さというのは、は巨大綾波を観て「うははは、でかすぎだろそれ!」と笑ってくれる観客があまりにも少なかったことにあるのじゃないか。あれが公開された夏を思い出すに、そんな気がする。

やられた〜! やられた〜!を含むブックマーク

ツタヤで店員に見つけてもらった「グレート・ウォリアーズ」、バーホーのじゃなくてクリストファー・ランバートとかマックス・フォン・シドーとかが出てる「DRUIDS」のほうでやんの!ガリア戦記でやんの!ジェニファーのジェの字もねえ!ヌードもねえ(あ、自分で言っちゃった)!


というわけで、ジャニファーを拝めたのは「初体験リッジモンド・ハイ」だけでした・・・てか。これ、脚本キャメロン・クロウでやんの!うお〜ジェニファーかわいいなあ。童顔だなあ。「イグジステンズ」のとき年齢調べてびっくらこいた記憶が懐かしい。

ジャッジ・ラインホールドが出てるとなんか和む。あと、存在自体が暴力装置であり、ゆえにあの「アイ・アム・サム」にすらうっすらと殺気が漂っていたショーン・ペンが和みキャラで殺気がまるでないのが逆に怖い。

hisamura75hisamura75 2004/11/21 03:32 『ナウシカ』は映画館で9回見た(!)んですが、漫画が完結した後となっては、もうこわくて見られないですね……たぶん死ぬまで見ないと思う。ただ「ここまでで映画一本にしましょう」という決定が最初にあったわけで、他にどんなエンディングがありえただろう、とは常々思います。

ProjectitohProjectitoh 2004/11/21 04:19 うーん、当時、物語の終り方自体はあれしかなかったとぼくは(「も」?)思うんです。プロットのレベルでは。ただ、台詞のレベルでどうだったかというと・・・他にやりようがあったんじゃないか、という気が正直します。漫画にしても、意地悪くいえば「あ、前言撤回」みたいなシロモノであるわけですが・・・。時代って逃れ難い呪縛を作品に与えるものですね。

teskereteskere 2004/11/21 05:06 >フィビーよりジェニファーのほうが絶対に可愛い
確かに自分も以前から、ジェニファーがそっち方面で正当な評価を受けていないと常々思っていました。自分、3本ともDVD持ってるし… 第二弾には「他人の眼」と「大阪殴り込み作戦」も推薦します。
…でも、やっぱり自分はフィービーの方が好き。(ああっ)

ProjectitohProjectitoh 2004/11/23 00:27 大阪殴り込み作戦、って置いてあるレンタル屋あるんでしょうか?実はニッポン描写映画マニアとして以前から探している映画ではあるのですが・・・。

teskereteskere 2004/11/26 01:09 「大阪殴り込み作戦」はビデオ屋で見かけたことないです… なので安直ですが、激安輸入DVD(6$位)を買って見ました。邦題も素晴らしいけど、”DEATH RIDE TO OSAKA”って原題もかなり良いです。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20041120

11-16, 2004 戦の王

「ロード・オブ・ウォー」 「ロード・オブ・ウォー」を含むブックマーク

ガタカ」のアンドリュー・ニコル監督最新作。

監督作「ガタカ」「SIM0NE」とか「トゥルーマン・ショー脚本とか、この人独特の寓話テイストが好きで(短編SFみたいな話ばっか映画にする人だなあ、という印象。そこが好きなんだけど)、お気に入りの作家の1人なのです。「ターミナル」の原案もやってますが、自分の国が政変で消滅し、アメリカに入国できずに空港で過ごす羽目になる、というプロットは確かにニコルっぽい。で、この最新作「Lord of War」の最初に出回った情報は、武器商人ニコラス・ケイジインターポールイーサン・ホークが対決するサスペンス・アクションという情報でしたが・・・。

http://www.gaga.ne.jp/whatsnew/lineup/s-08.html

全然違うやんけ。

というわけで、GAGAが配給すんのね。ヘビーな内容のようですが、ポスターはいつものような寓話テイストを残しているようです。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20041116

11-15, 2004 The Prince of Darkness

「恐怖の詩学/ジョン・カーペンター〜人間は悪魔にも聖人にもなるんだ」 「恐怖の詩学/ジョン・カーペンター〜人間は悪魔にも聖人にもなるんだ」を含むブックマーク

ヒーローというのは、目的がひとつしかない人物のことだ。

 とカーペンターは語る。「そのただひとつの目的がなんであるか、その目的が邪悪であるか軽薄であるかポジティヴであるかにかかわりなく、それがヒーローなんだ。」と。

手帳を十五冊も持っているヒーローなんかに興味はないね。

 フィルムアート社の「バートン・オン・バートン」とか「クローネンバーグ・オン・クローネンバーグ」とか「スコセッシ・オン・スコセッシ」とかの、「映像作家が自身を語る」翻訳シリーズ。原著はシリーズじゃないとは思いますが。ちなみにこのラインナップの中ではクローネンバーグ・オン〜が最高に面白い。

 というわけで、このシリーズにカーペンターの名が列せられることになったわけだが・・・最近、「映画の魔(高橋洋)」とこのカーペンター本、と映画より映画にまつわる書物の方に衝撃を受けっぱなしなのはちょっと危機的というか・・・俺って、観客として衰えつつあるんじゃないか、という恐怖を感じているんですが。たまたまいい映画に出会えてないだけかしら。

 まあそれはともかく、これは凄い本だ。映画それぞれのインタビューはいままでのこのシリーズの中では最もボリュームに乏しく、薄い。それが猛烈に残念ではあるが、仕方がない。もっと凄い本が出来たはず、とか言ってもはじまらない。これはこれで、じゅうぶん凄い。というのも、題材がカーペンターだからそれだけですごいのだ。

 薄いことは薄いけれど・・・訊いてほしいことはきっちり訊いてくれてますよみなさん!「どうしてゼイリブの格闘場面は10分もあるんですか?」そう!それだ!それを訊いてほしかったんだ!で、カーペンター曰く、長い喧嘩を撮りたかったし、それをできる肉体を持った役者がいたからだ!一ヶ月半もかかったが!とすがすがしいお答えをくださるカーペンター翁にもうただ平伏するしかないですよみなさん!「やりたかったし、できたから」これ以上にシンプルな解答があるだろうか!欲望、そう、あの長い長い喧嘩は欲望によって生まれたのだ。

 という楽しさとは別に、この本はカーペンターのストイックさを、力強さを、ズバリ端的に伝えてくれる本でもある。カーペンターの口から次のように語られるとき、ぼくは深く感動し、うちふるえる。

わたしがアクション監督なのは、ただ次の意味においてだ。つまり、映画というのは、動いているときに、アクションを描いているときに、なにかが起きるときに、争いや相反する力があるときに、最高のものになるということだ。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20041115

11-13, 2004 クリスマスと死

誰にでもやってくるらしいぞ 誰にでもやってくるらしいぞを含むブックマーク

 さて、今日は買い忘れていたアメコミを買いに行こうと思い、15時頃家を出て、駅のケンタッキーで遅い昼飯のチキンフィレサンドセットを喰っていたら、こういう曲が聴こえてきた。

クリスマスは誰にでもやってくる〜♪

 初耳だ。少なくとも俺には来たことがない。俺が気がついていないだけかもしれんが、まさか誰にでもやってくるものに世界で俺1人だけ気がついていないなどというディック的状況などあるわけがない。誰にでもやってくるのは死だけだ。死が暴力的なのは有無をいわさず誰にでもやってくるからだ。ちなみに俺はこの「暴力的だ」という断定が大好きだ。「電話の呼び出しベルは暴力的だ」「メールは返事を強要するから暴力的だ」「地震の際に緊急放送『なんか』より種デスを放映しろと電話メールをよこしてきたアニオタが1万件以上いるという現実が暴力的だ」「矢田亜希子の微笑みは暴力的だ」「ペ・ドゥナの瞳は暴力的に可愛い」

 というわけでクリスマス暴力的だ。なにせ誰にでもやってくるそうだから。死と同じく。そうなると「たかが毛唐の偉人の誕生日」などと言ってはいられない。森見登美彦の名作「太陽の塔」はかかる事態を「クリスマスファシズム」と形容していたが、誰にでもやってくるとなればもうこれはファシズムどころの騒ぎではない。ファシズムなら国外へ逃亡すればいいのである。だが死から逃亡することはできない。なぜなら、それは国も時代も関係なく、誰にでもやってくるものだから。クリスマスが誰にでもやってくるものならば、それはファシズムよりもタチが悪い。回避不能を宣告されたわけだから。クリスマスが叫ぶ。クリスマスが高らかに笑いながら叫ぶ。「我が名はオジマンディアス、王の中の王!我が業を見よ全能の神!しかして絶望すべし!」

 となると、私はクリスマスに備え防衛しなくてはならないだろう。やってくるのはかまわんが、俺の砦には一歩も入れさせん。退かぬ、媚びぬ、顧みぬ。俺をクリスマスに屈服させたいのならば、愛のひとつでも持ってきやがれ。

 お願いします。愛があれば、いいんです。それさえあれば、私はユダにブルータスにカシウスになります。愛です。

 というわけで「アキラ・アーカイヴ」と「リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン」を買ってきた。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20041113

11-12, 2004 ソドムとゴモラ

ソドムの市 ソドムの市を含むブックマーク

 仕事がなかなか抜けられずに、しかもウェブでユーロスペースのページみたら今日が最終日でやんの。しかしそんな事情はおかまいなしに仕事はあるわけで、結局赤坂を1840時に出る。上映は1900時。20分で渋谷?ちょい無理かな〜、でも「映画の魔」で「(テレビでオンエアされる)CMでズダズダになった映画」を見ることを「映画本来の姿を確認すること」と言い、「ワンシーン、ワンカット」ならぬ「ワンカット、ワンシーン」について憑かれたように語る高橋洋の映画なのだから、途中から入っても問題ないだろう、とか考えて到着。この時点で1910時。すでに上映時間は過ぎている。

 が、ふと思い出しユーロスペースの1Fにあるアニメイトで「ヘルボーイ〜妖蛆召喚」を買う。中々見つからずここでも時間をロスト。ユーロスペースアニメイトが同じビルの1Fと2Fを有していることにいまさらながらおかしみをおぼえる。両方使う客もそういないだろう。俺は使うが。

 というわけで入る。ユーロスペースは障害者が1000円なのでうれしい。見るとなんと最終日につき舞台挨拶。映画始まってないでやんの。俺の「高橋洋の映画を本人の著した本の欲望に基づき途中から見る」といういささか歪んだ遅刻の自己正当化はここで崩れる。シット。高橋洋が胸に「映画番長」と名札のついたガクランを着せられている。なんなんだこれわ。

 で、映画なのだけど、「自主映画」「プロの仕事じゃない」「B級」とかいろいろ言われていたし、私は「刑事まつり」で「アメリカ刑事」を見ているので、そんなにリッチなもんを期待していたわけではないのですが

 すんません、これフツーに面白いんですけど。

 まあ、確かにいろいろと安い映画ではあるし、その安さを隠すなどということに払う智恵も勇気も労力もこれっぽっちもない、そんな下らないことに才能を使うよりも映画ってもっと面白いことがあるだろう、という態度は、まさに自主映画のそれだ。が、高橋は脚本家としてはプロなわけで、頻繁に炸裂するギャグが観客を飽きさせないようになっていて、とくに「キンタマ拷問」ギャグは本当に笑った。

 しかし、ギャグというのは照れ隠しというか作品そのもの、作り手の意図そのものを相対化してしまう効果もあるわけで、それがこの映画にとって幸福なのかどうかは、ちょっと判断しかねる。この映画には間違いなく「怨み」のような(怨念、とは違う・・・なにか立ち上る正体不明のモノ)感情もあるからだ。安い安いいっときながら、タイトル・ロールソドムの市の座頭市アクションは正直あざやかに決まっていたし、最後のミニチュアの安さを隠そうともしない東京○○○場面は、その安さゆえ逆に「怨み」のようなオーラを画面から放っていたではないか。

 また、「映画の魔」を読んでしまっていたのがいけないのかも知れない。この本を読んでいると「ソドムの市」に込められた妄想の力は、ある種の了解できる枠内に収まってしまうから。言語として了解されたもの、をスクリーンで再確認する作業に「望まずして」陥ったという僕自身の個人的な困難さが見ているあいだ厄介で厄介でしょうがなかった。本来それ自身が妄想のもつ原始的な混沌、映画的な混沌として受け止められ、大いに混乱し、あるいは腹を立て、あるいは勇気づけられるはずのものが、「映画の魔」という書物を前提としてこの映画を見た場合、その力をいささか弱めることになってしまうのだ。これは本を映画が越えられなかったというか、言語が映画を先行してフレーミングしてしまった窮屈さというか、そんなものが見ているあいだずっとつきまとっていたのだった。ああ、マブゼね、という、その種の了解がものすごいバインドになってしまうのだ(もちろん、その了解で映画自体は終わらない。むしろマブゼであるところから映画は始まるのが幸福なのだけれども、そうは転んでくれなかったのだ)。

 自分の映画について語りまくり、それを商売にすらしている押井守の映画が、皮肉なことに監督の語っていることの注釈になっていない、監督の意思を無視して存在する無気味なシロモノとして立っているようには、この「ソドム〜」は「映画の魔」という書物から離れられなかった。というのがいささか残念ではありました。

 とはいえ、面白い映画ではありました。ギャグに相対化されそうになる寸前で、妄想がそれを圧倒してゆくような、そんな揺り戻しが交互に来る奇妙なブレがたまらん。

ヘルボーイ/妖蛆召喚 ヘルボーイ/妖蛆召喚を含むブックマーク

 原著で持っているのだけど、エーゴ苦手なので、微妙なニュアンスとかわからんし。

 衝撃を受けた。これは傑作ではないか。すくなくとも、いままでのヘルボーイでは一番の。

 ゴシック・ホラーといいつつ、いままでのヘルボーイは全然こわくなかった。けれど、この「妖蛆召喚」は違う。なんというか、いままでのヘルボーイからは一歩はみ出たイヤーなものが全編に漂っている。「ソドムの市」のあと、帰りの電車の中で一気に読んでしまったのだけど、妄想の力、怨み、という点では「ソドム〜」を越えているのじゃなかろか。物語が、設定が、という点から来るのではなく、ひたすら嫌なディテールが重ねられている。「首だけ男」クロンプトが見た虚無。屍体を載せて打ち上げられた宇宙船。ガスマスクを取ったあとの女の顔。そういう瞬間瞬間にこめられたものが嫌な感じだ。この「妖蛆召喚」には、いままでのヘルボーイにはなかった「死」の底知れぬ恐怖がぱっくりと口をあけている。良質のホラー映画が持つ、心地よい絶望が、さまざまな瞬間に宿っている。

 絵の魅力、民話的雰囲気の魅力、ゴシックの魅力、そうしたいままでのヘルボーイの魅力はある程度「枠」、了解されやすい形態に収まっていたように思う。が、この妖蛆召喚はそこをすこしはみ出た、「嫌な感じ」「死の臭い」を獲得している。

 これからヘルボーイがどこへいくのか、ちょっと面白くなってきた。

オールドガールオールドガール 2004/11/13 19:55 ヘルボーイもいいが、オールドボーイの感想も聞きたい。

ProjectitohProjectitoh 2004/11/14 01:18 明日(てか今日か)観てきます。でも、書くかどうかはわかりませんが・・・ここに書いてない映画の方が多いのですが、体調だったり、気分だったり、めぐりあわせだったり(つまり作品の質とは関係なく)で書かないことのほうが多いのです。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20041112

11-10, 2004 コミケとソラリス

見つかった 見つかったを含むブックマーク

 定期が見つかってハッピーだ。とはいえすでにパスネットを1万円買ってしまった俺は先物買いのなんとやらでそう幸福でもないのだが。まあいいことだ、ハッピーだ。

 というわけで機嫌が良かったので「タモリのTOKYO坂道美学入門」とか国書の「ソラリス」とか「エンベディング」とか買う。結構な浪費だがハッピーなので気にしない。帰りの電車の中で「ソラリス」を読むと、すっかり忘れていたのだがハリーは19歳という驚愕のロリ設定だったことに愕然とする。萌え思弁小説。

 とささやかな幸福に包まれて当落検索したら冬の陣@有明はがっつり落ちていてヘコむ。

 だれか委託させてくれませんか・・・。

ソラリス ソラリスを含むブックマーク

 わかった。あれだ、セカチューだ。つまりだな、映画の世界の中心〜は、若い頃長澤まさみタンとよろしくやってた主人公が大人になってから柴咲コウでは満足できませんでした、やっぱあんなにかわいい子と付き合ってたのに柴咲じゃダメダメです、EDは悩まないで医師に相談してください、って話だったわけだが(曲解1)、つまりケルビンはハリーが自殺したあとぜんぜん男としてダメだったわけだ。そりゃそうだ、ハリーは自殺当時19歳、いわゆる若妻ってやつだ。死んだとき19歳なんだから結婚したときはもっと若かったハズだ。そのあとどんな女性と付き合ってもダメに決まっている。だからソラリスにそこをめざとく探られるわけだ。つまりこれはセカチューのその後なんだ(曲解2)!

 まあいいっす。コミケに落ちてクダまいてるだけっす。

なまくらなまくら 2004/11/10 13:16 当落検索は全て落選表示になってしまうエラーがでていたようですので、再度検索してみたらいかがでしょう。

ProjectitohProjectitoh 2004/11/10 22:10 駄目でした。今検索したらがっつり落ちてました・・・。リベリオン本やろっかな、と思ってたのに。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20041110

11-05, 2004 きょうのできごと

アパーム!定期もってこい! アパーム!定期もってこい!を含むブックマーク

ああ、落としたんですよ。今日から更新期間のやつ。1ヶ月3万4千円。

というわけで今月映画観れません。貧乏です。ギリギリです。

あ、いまアパムメールって思いついたんですけど。弾もってこいとかカレーパン買ってこいとかジャンプ買ってこいとかジャイアニズム溢れる命令形で書いてあるの。あ、あとアパムの歌ってのも思いついた。単にパイソンのスパムソングをアパムに変えただけだけど。くそ。こんなくだらない駄洒落をこぼしたくなるほど落ち込んでいるということです。

倶零舎倶零舎 2004/11/09 23:53 「アパーム! タマとってこい」というヤクザ映画を観たいと思いました。ウソです。定期券ご愁傷様です。

ProjectitohProjectitoh 2004/11/10 22:12 見つかりました。ほっとしましたがコミケは落ちてました。等価交換の原則ってやつです。もう若くないやつはコミケにくるなってことでしょうか。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20041105