特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

坂の上の雪(笑):★0118 大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議

今日の東京は寒かった〜。雪国の人には笑われてしまうけれど、まるで冷蔵庫の中のようだった。


さて、年初に某財閥系企業の社長から話を聞いた。ボクは文字通り隅っこで話を聞いていただけ、だけど(笑)。彼の会社は本社機能の一部を東京から某アジアの都市に移したという。うまくいけば、さらに機能移転を進めるそうだ。だけど、社長がそう言うと周りの社員はうつむいてたのを見逃さなかったぞ(笑)。その社長曰く香港やシンガポールのほうが東京より交通の便は良いし、海外向けの人材も採りやすい。入ってくる情報の量も多いし、仕事のスピードも速い。今後 海外の売上の比率が高まっていく以上 5年後、10年後を考えたら当然の決断、だそうだ。しかも彼の会社がうまくいけば、同じ財閥グループの他の会社も後に続く、とも言う。

既に年末には三菱商事も利益の約4割を稼いでいる主力部門、金属資源トレーディング部門をシンガポールへ移すというニュースもあった。業種や企業によっても事情は異なるけど、企業が海外へ出て行く流れは今後も続いていくだろう。市場の成長が見込めるのは海外だからだ。昔は海外移転するのは工場だけだったが、今は主力部門や本社部門が移転している。今後 日本の電気は原発無しで足りるに決まってる(笑)。 省エネ技術の進展を考えたら、将来は電気が余って仕方なくなるんじゃないだろうか。
                                           
アベノミクス公共投資、題して『人からコンクリート』はどうも負け組企業を税金で延命させることに向いているようだ。公共投資は緊急手段としては反対しないけど、産業の競争力を高める方向に使わなければ元の木阿弥になるのは目に見えている。09年に経産省が音頭をとって300億円もの公的支援を突っ込んだ挙句、たった3年で倒産したエルピーダメモリーが良い例だ。09年なんて今以上の円安だったんだからね(笑)。国内で生産して輸出で稼ぐ過去の成功パターンはだんだん成り立たなくなってきているのだ。 戦争前は国内に仕事がなくて日本人が海外(アジアやアメリカ西海岸、満州、朝鮮)へ出稼ぎだの、移民だのを強いられていたわけだが、こんなことばっかりやってると将来また同じことが起きるんじゃないだろうか。
バカな経産相原発輸出とか言っている。経済性の面だけ考えても、フクシマを作ったGEのCEOですら将来性がないと言っているような斜陽産業に肩入れしてどうするんだ。新興国の企業とコスト競争に陥ってエルピーダの2の舞になるのが関の山だ(GEだったら当然そこまで考えているだろう)。
                                                   

ということで今週も官邸前へ(笑)。★0329 大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議 | 首都圏反原発連合
虎ノ門の駅から財務省の裏の坂を上って、いつもの場所へ向かう。結構 雪が残っている(それでも前日に反原連の人が雪掻きをしてくれたらしい)。今日の参加者は先週より少なめ、官邸前3千〜4千人、国会前1千〜2千人、併せて5千人くらいか(*主催者発表5千人)。延べ人数だともう少し増えるかな。
だけど参加している人の肉声はいつもより大きかった。PAが時々停まったけど、そうすると多くの人が自分の声を出していたのが良く判った。最初は人もまばらだったのが、いつの間にか周りに人が増えて、自分が皆の抗議の肉声に包まれている、というちょっと感動的な感覚を数ヶ月ぶりに味わいました。
今日は福島から避難してきた女性や19歳の女の子がスピーチに立っていたけれど、そういう人が話す言葉って『生きた言葉』だなあと思った。政治家や官僚の原稿棒読み(今日もそういうスピーチをした人もいたけれど)とは、まるで言葉の種類が違うみたいだ。

経産省前テント

         
●雪が残る坂を上り、官邸前へ

●抗議風景





●大根の扮装をして抗議する人(人気者だった!)

●国会前

●路上に勝手にポットを置いて暖かい飲み物を配る人も居る:題して『ゲリラカフェ!』


                                                    
原発にしろ、経済にしろ、要するに政治家やマスコミは一般の人の生活なんて、あまり真剣に考えていないと思う。他人には他人のことなんかわからないから当然ではあるけれど、彼らと一般人とはあまりにも距離がかけ離れているんだろう。先週に引き続きチョムスキーの『アメリカを占拠せよ!』からもうひとつ引用させてもらう。

アメリカを占拠せよ! (ちくま新書)

アメリカを占拠せよ! (ちくま新書)

この中で彼はメディアのプロパガンダで最も有効なのは『(何が起こっているかはわかっているけれど)自分にはそれをどうすることもできない、自分は孤独だ、誰とも話せない、私みたいな人間には何も出来ない、だから苦しくても耐えるしかないんだ』、と感じさせるものだと言っている。
                                            
確かにボクもそういう無力感は感じる。今日だってシュプレヒコールをしている間でも『自分の存在自体 意味がないんじゃないか?』というような思いもよぎった(だからこそ『Occupy My Heart』という言葉が大事なんだろう)。
だが、そうやって疑い続けること自体が大事なんじゃないかと思う。自分が絶対的に正しい、と盲信するなんて、『安全神話』に毒された某東京電力と同じだからだ(笑)。頼りがいがありそうな政治家やヒーローなんてどこにも居ないし、これをやれば全て解決なんて経済理論もない。そんななかで疑い続けることは苦しいけれど、新しいものはそこから生まれる、と思うのだ。

●たとえ悲しいウソばかりでも