海軍の連合艦隊にいた伯父の日記を発見

戦艦八雲

伯父の日記からミッドウエー海戦の嘘と脚色の伝説神話を読み直す

 海軍士官だった私の亡き伯父・宮田栄造は太平洋戦争時、山本五十六長官の率いる連合艦隊でミッドウエー海戦にかかわった。最近、伯父の戦時中の日記、手記らしきものが出てきたと従姉から連絡があり、夏休みを利用して読んでいる。
 われわれが知っているミッドウエー海戦の伝説や神話は嘘と脚色で粉飾されていることがわかった。

 戦後65年のいま、太平洋戦争の現場の知られざる一断面を見る思いで、感慨深い。
 鹿児島出身の伯父は海軍兵学校を出たので出世も早く、若くして海軍大佐に昇進しており、南雲忠一中将や久邇宮の直属の部下として、戦艦・八雲(写真=ウィキペディア)の副長や給油艦・針生の艦長などを務めていた。伯父の専門は給油・補給であり、連合艦隊の後衛を任務としたので、前線のような派手な戦闘の経験は少ないほうだ。
 戦時下とはいえ、暇な時間もあったらしく、釣りを楽しみ、大漁のときは山本長官に”戦果”を届けて、喜ばれたなどのエピソードも書いてある。
 
 内地に戻って海軍兵学校の教員をしたり、戦艦大和の設計や鋳造などにも極秘でかかわったりしていて、戦場と内地を行ったり来たりの多忙な軍人生活だったらしい。

 日記のなかで最も面白いのは、ミッドウエー海戦とガダルカナル島攻防での敗北をめぐる記述である。この海戦は南雲中将が直接指揮した戦で、日本軍は戦艦を大量に投入して物量作戦を展開したが、米軍はレーダー網や暗号解読技術を持って日本軍の作戦を解読していたため、日本は大敗北を喫した。その後に続く、陸軍のガダルカナル島の戦で日本軍は壊滅の打撃を受けた、とされている。

 このミッドウエー海戦の敗北は大本営にも知らされなかったとの説がある。山本五十六長官は連合艦隊や南雲中将の失敗を隠ぺいしたとされた。
 しかし伯父の手記によれば、大本営はミッドウエー海戦の敗北を熟知しており、なぜ日本が敗北したのか、生存者に当たって緊急の聞き取り調査をせよ、との命令を受けたとある。極秘調査チームには海軍の3人の幹部が選ばれ、伯父はその中の一人だった。
 この極秘チームの存在は初めて知ったニュースであり、日本ではまだ知られてはいない。 

 ミッドウエー海戦で生き残り、負傷した将兵が千葉などに極秘で分散収容されており、その秘密の館に赴いて、聞き取り調査を行ったという。
 しかしその内容は極秘で、「死ぬまで墓場まで持っていかばければならない」といって、詳しい内容は日記にも書いていない。
 
 しかし日本海軍の欠点は、レーダー網が弱いとか敵に作戦暗号を解読されていたなどの俗説以上に、戦艦には余計なものや装備が過剰にあり、戦闘には不向きな図体をしていること、もっと軽量で機能本位の設計に改めれば、敵の空爆を受けても戦艦が火災で炎上沈没する可能性が低くなる、などの指摘がある。
 館長室などには有名画家の日本画が飾ってあるし、舶来の豪華インテリアやソファも設置されているが、いざ戦闘というときには、これらは邪魔で火災には弱いものだ、といっている。
 要するに邪魔で余計なものが多すぎる海軍組織を合理化しないと、米国との戦にはとても勝てないということだ。
 
 またミッドウエー海戦の敗北とガダルカナル戦の敗北を機に、山本長官は大本営に対して、犠牲を最小限にとどめるために、この辺で戦争を一服させたらどうか、との伺いを立てたとの記述がある。停戦と和平の模索である。
 大本営はこの提案を一蹴した。大本営は戦闘の現場を知らず、いたづらに精神主義を鼓舞して戦争継続の消耗戦にのめり込んでゆく。それが3年後の敗戦まで続いた。

 ミッドウエー海戦は、1942年6月、真珠湾の奇襲から半年ほど後の戦だ。それなのに、伯父はこのまま戦争を継続すれば敗北することを暗示している。「誰にもいえないことだが」と書いている。

 海軍の前線には合理主義精神と現実主義があった。若かった伯父は当時の山本長官の提案には疑問を持ったようだが、よく考えればそれが妥当だったと思う、としている。

 少なくとも、山本長官がミッドウエー海戦の敗北を隠ぺいしていたというのは誤りだ。このことは伯父の手記を読めば一目瞭然だ。

 山本長官は翌年、米軍の攻撃で戦死し、南雲中将はサイパンの戦闘で敗北して自決した。伯父は尊敬する上司や同僚を失って、敗戦を迎えた。忸怩たる気持だったようだ。
 海軍幹部でありながら、真珠湾奇襲の開戦も終戦の決定も、事前には何も知らされておらず、釈然としない気持ちで戦争に臨んだようだ。
 戦後、公職を追放となり、亡くなるまで小中学校の子供たちに教科書を売る仕事をしながら生計をたてていた。

 伯父の手記が語るように、もしミッドウエー海戦の後、停戦が実現していたら、原爆投下も過酷な本土空襲も玉砕の島も少なく、沖縄戦もなく、数百万に及ぶ国民の命が守られたことだろう。

 そう考えると、大本営が徹底抗戦で突っ走り、戦争末期には少年兵の特攻隊を作り、沖縄を犠牲にし原爆を招いた罪は重い。

 思うに、ミッドウエー海戦の調査で叔父が指摘した軍組織の非合理性と無駄の横行はいまの日本の中央集権政治にも当てはまっている。また前線の幹部にすら情報を明かさないで、ことに及ぶことも共通している。
 こんなことが継続すれば、国民はいつでも国家の破たんや失敗のつけを、自らの命と財産で埋め合わせなければない羽目に追い込まれるのだ。