厳罰主義雑感

調べ直す時間がなく、記憶に頼って書くので細部に間違いはあるかもしれない事を前置きしておきます。

厳罰主義と聞いて思い出すのは古代中国の法家思想です。これが国家レベルで実を結んだのは戦国前期の魏であったと言われています。魏は春秋時代の大国晋が魏、趙、韓の3つに分割された時に出来た国ですが、名将呉起を擁して覇権を握ります。呉起とは呉子の事であり、孫呉の兵法として孫子と並び称される名将中の名将です。

覇権を握るとは戦争に継ぐ戦争で周辺の国々を攻めて勝利した事を指すと言っても良いかと思いますが、古代であっても戦争は国家の財政を傾けます。その内政を支えたのが法家思想による政治であったと言われています。

法家思想はやがて秦に伝わります。秦は東方西方の大国ではありましたが、中原諸国に較べると文化的にも経済的にも劣っていたとされます。中原の国々から見ると蛮国と見下されていたとも伝えられます。ただ国としては覇権どころか天下統一を望み続けていた国で、国力強化のために法家思想を大々的に取り入れる事になります。

ここで活躍したのが商鞅であり、それまでの貴族主義による政治体制を根本から改革し、徹底した法治主義を行ったとされています。商鞅の国政改革により国力の強化に成功した秦はやがて他の六国を併呑し、始皇帝の時代に中国統一に成功します。中国を統一した秦が行った政治も徹底した法治主義、中央集権主義による政治であったとされます。


秦が用いた法治主義は信賞必罰です。大雑把に言えば、賞も罰も万人に公平に与えられる制度であったとしても良いかと思います。当たり前と言われそうですが、古代において身分は絶対であり「礼は庶人に下らず、刑は大夫に上らず」の言葉が礼記に記されているほどです。これを法治主義では刑を太夫(貴族)に平等に適用した点に特徴があります。

貴族の恨みを買って商鞅は刑死しましたが、思想は受け継がれていきます。これは秦が覇権を握る過程においては威力を発揮します。秦の軍隊は個人が手柄を立てるともちろん賞されましたが、一方でヘマどころか手柄を立てられなかっただけで厳罰に処されたとされます。罰を免れるためには死力を尽くして戦う以外はなく、戦国期のある時期から秦は無敵に近い状態になります。

天下統一に驀進している時期には完全な軍事国家であり、大目標に向かっているためさしたるデメリットは生じませんでしたが、天下統一後にデメリットが噴出します。秦は上述した通り、秦で用いていた政治体制をそのまま拡大しています。つまり平時にも同じ体制のままの信賞必罰の法治体制で臨んだわけです。

これは私の推測なのですが、戦時においては信賞部分が必罰部分とそれなりにバランスよく存在していたのだと考えています。さらに信賞の財源として征服地の収入がアテに出来たと。これが統一後になると信賞部分がどんどん小さくなり、必罰部分のみが拡大してしたんじゃないかと見ています。つまりはひたすらの厳罰主義です。

厳罰主義の反動は陳勝呉広の乱として噴出します。この乱の原因も、労役に借り出された陳勝達が定められた期日に現場に着きそうでなくなり、遅れることによって罰が下されるのが間違いない状態に陥った事と伝えられます。厳罰を下されるぐらいなら秦を倒してしまえの反乱です。秦の厳罰主義に辟易していた民衆が大挙参加し、この乱をキッカケにして最終的に秦は瓦解します。


厳罰主義も一概に悪いとは言えません。とくに政治体制が緩んでいる場合には、これを引き締め強化することが国力の増強に繋がります。たとえば三国時代の大政治家である諸葛孔明が蜀の政治を担当したときもかなりの厳罰主義であったとされます。それでも孔明の政治は誰にも不満を起こす事無く、大国魏と戦い抜いています。

孔明の政治が成功した原因も、厳罰主義の代償として信賞が約束されていたんじゃないかと見ています。サボれば罰が下るのは仕方が無いにしろ、頑張れば必ず賞されるです。秦と違い孔明の場合は領土拡大による信賞のための原資が期待しにくい状態だったので、一体どうやったのだろうと思うのですが、それでも孔明は成功し、現在ですら大宰相として称えられています。

おそらくぐらいのレベルなんですが、孔明が行った信賞の実質は小さかったんじゃないかと思っています。そりゃ無い袖は振れないです。ですから小さな賞を大きく感じさせるような演出を巧みに行っていたと考えています。また厳罰はあくまでも公平に遂行する一方で、今で言う情状酌量を巧妙に取り込んでいたです。情状酌量も乱発すると人治主義になってしまうので、法治の原則を徹底すると強く印象付けながら、誰もが「これだけは情状酌量が必要」と思う時だけに効果的に用いたです。

書くと簡単ですが、物凄い難しいサジ加減が必要な政治を見事にやり遂げたのが孔明だと思っています。


話のまとまりが悪いのですが、厳罰主義は一種の劇薬で症状によっては非常に効果的ですが、これを長期に用いる時には細心の注意が必要そうだと考えます。また厳罰による苦痛緩和のために信賞は絶対必要で、このバランスを欠くと厳罰による不満で政府さえ倒してしまうエネルギーが発生します。為政者が政治状況に応じて厳罰主義を用いるのはアリと思いますが、あくまでも劇薬であり、サジ加減を間違うと猛烈なしっぺ返しが訪れるのは歴史の教訓として良いと考えています。

さて現在の厳罰主義者はどういう采配を揮われるのか注目していきたいと思います。