石陽消息

2017-06-18 調査かどうかは知らないが

「一行」(いちぎょう・いっこう)のように、二通りの読み方のできる熟語がある。「気色」もそのひとつで、「きしょく・けしき」というふたつの読みがあり、意味もやや違う。だが、今では「きしょく」は「気色悪い」、「けしき」は「気色ばむ」という慣用句で使われるばかりだろう。

この「気色ばむ」の文例を考えてただちに思い浮かぶのは、わが国の現首相である。国会で不快な質問をされるとすぐ気色ばむよね、あの人。一国の総理大臣として、目をそむけたくなるような幼稚さだ。総理なのにヤジを飛ばすし。誰か注意する人はいないのか。誰からそんなふるまい方を教わったのか。

この人の友人は、トランプとプーチン。いいのか? 歴史に悪名をとどめるであろう人たちだよ。中国首脳とは決して友人になりそうにないのは、いいことか、悪いことか。

北朝鮮に対する硬直した態度にも残念なものがある。ミサイル実験をされるたびに、「断じて容認できない」とコメントするだけ。会見するだけ無駄だ。録画しておいて、その都度再生ボタンを押すことにすればいいだろう。言うだけで、何も打つ手がないのだ。交渉する能力も材料もない。自分の手を自分で縛っているから。アメリカはまだ軍事オプションを持っているが。北朝鮮の今の政体は、早くチャウシェスクルーマニアのように崩壊することが望まれるひどい政権だが、北朝鮮国連にも加盟し、多くの国と国交を持つ中堅国家である。そのように見、そのように対さなければならない。日本人は世界は日米だと思っている。日米の視点が世界の意見だと思っている。国を誤りかねない僻見だ。

印象操作」なんだそうだ。森友学園問題、加計学園問題での野党の追及は。自分のところまで手が回ることはない、犯罪立件されることはないと知っているので、そんな主張ができる。たしかに賄賂はとっていないのだろう。だから疑獄にならない。官僚の「忖度」止まりで、背任か何かで担当した官僚が逮捕されることはあっても、首相は無事。だから野党の論難は印象操作

一方で、加計学園問題で政権に不利な発言をする元事務次官に対しては、文部省天下りが発覚したとき責任を問われても辞任せず地位に恋々としていたと官房長官が事実に反する発言をしたり、出会い系バーなるものに通っていたことを御用新聞に書かせたり、印象操作以外の何物でもないことをしている。完全なるダブルスタンダード。恥ずかしい、恥ずかしい。

民衆について、民衆をそんなに買いかぶるものじゃない、民衆は人も殺せば強盗もする人々だ、などと言った人がいるが、そのことは、そう言うその人が、ことによれば人殺しもするかもしれず、強盗をするかもしれぬということのみを意味している。どんなに追い詰められても、人を殺したり強盗をしたりすることのできない人はけっこういるのである。

出会い系バーというのがどういうものなのかよく知らない。法に触れる存在なのか、法に触れないぎりぎりの存在なのか。通ったという当人も認めている事実によって逮捕されていないところから見て、合法なのだろうと推測するだけだ。女の子を外に連れ出してホテルかどこかで寝るというのが主な用法らしい。そういう行為をした場合、売春として処罰の対象になるのかも知らない。たぶんなるのだろうが、今までの報道を見るかぎり、そのようなことをしていたとの証言は出ていないようだから、むしろ元次官は、女の子を連れ出しても何もせず、話をして小遣いをやっていただけのようである。事実について私は何も知らない。新事実が現われるのかもしれない。だが、興味深いのは人々のそれに対する態度だ。「出会い系バーに通っていた」というのが「女を買って寝ていた」ことをのみ意味すると考える人たちがいる。圧倒的多数派だろう。その人たちは、もちろん自分がそういうところへ行ったらそうする人たちなわけだ。官房長官首相を含め。そういう人々は、そんなところ行って女を買わない男がいるということがただちに理解できない。だが、そんな少数派が存在することは、理解もできるし、想像もできる。「貧困女性の調査」などという釈明が額面どおりに受け入れられるとは全然思わないが、彼女たちの話を聞き、いたわることに喜びを見出す男がいてはいけませんか? ドストエフスキーの愛読者には親しい人物像じゃないか? 「出会い系バー通い」から「女郎買い」の結論しか導けない俗物の最俗物たる輩どもの蠢く現代日本にそのような人がいることは、むしろ喜ぶべきことのように思えるのだが。実に卑賎な森友・加計問題の最良の部分はここにあるとさえ思う。

2017-05-17 中国覚え帳/中共満州国の説

日本人は満州へ行くべきだ。満州国には東アジアの近代の達成も欠陥も凝縮されている。日本はこの奇妙な国家を作り上げた当事者なのだから、ぜひその余影を見ておくべきだ。それはまだそこここに感じられる。

たとえば長春、かつての新京。市政府市役所と考えるのは大きな間違いである。カメラを向けてみなさい。門衛に制止される。写真を撮ることすら許されない役所が市民サービスを担う「市役所」であるはずがない。「道台」とか「衙門」と呼ぶのがいい。つまり旧中国であり、中国は一瞬だけ「新中国」になったが、すぐに元の居心地のいい、賄賂横行・上意絶対の「旧中国」にもどったように見える。

昔の関東軍司令部は今は共産党委員会になっている。市政府の場合は写真を撮ったあとで門衛に撮影不可と言われたので、少なくとも1枚撮れたのだが、ここではカメラを出すとただちに追い払われる。撮られて困る何があるのだろう。今も軍の施設なのかと疑われる。共産党関東軍の後継者ということだ。

中国は「戦前」だと考えると、よく理解できることが多い。

大学で軍事訓練をやっている。新入生の必修科目である。全寮制であり、学生には早操と称する早朝の体操とか教科書音読などが課せられている。かつて新京にあった全寮制の建国大学で早朝全学生が集合し「建国体操」なるものをやっていたのを踏襲したかのように。いわゆる愛国主義教育は皇国史観による洗脳と同じだ。

中国政府チベットや新疆でやっていることは、日本人が満州でやったことそっくりそのままである。圧制下に置きながら、被支配民族の福利を向上させたと誇っているところなど、実によく似ている。チベットにある「万人坑」を見れば明々白々だ。もう70年も昔の日本の侵略を非難しつづける一方で、チベットや新疆では満州国再現をしているのだから、ダブルスタンダードもいいところだ。

尖閣諸島でしくまれた「偶発的衝突」を狙っているらしく思われるところなどは、「柳条湖」や「盧溝橋」をやろうとしているように見える。

五族協和」は満州国のオリジナルではなく、清末から唱えられていたスローガンで、民国から満州国、人民共和国を通じて国是とされてきた。民国・人民共和国のが漢・満・蒙・蔵・回の五族なのに対し、満州国では蔵・回の代わりに日・鮮が入るわけだが。それが美辞に過ぎず、結局は覇権民族の専横に終わることは満州国がよく示していて、人民共和国もそれに続いている。

満州国は近代文明を東アジアへ効率的に移植する実験場のようなものであった。そのことは、戦後の高度成長日本をデザインした人たちのかなりの部分が満州国帰りだったことからもよくわかる。戦後日本は軍抜きでアメリカ民主主義を上塗りされた効率的近代化であったが、中国は軍込み民主主義抜きの効率的近代化(その効率性はいくつかの分野では驚嘆すべきレベルまで達している)、つまり生きている「満州国」と言っていい状態なのではないか? 満州国は今もなお東アジアの大いなる「宿題」でありつづけている。

2017-04-09 WM予選雑感2017

UAEに負けた初戦は、日本にいなかったので見られなかった。イラク戦は中国スマホで見ていたが、3秒動いて30秒止まるというありさまだったので、見たとはいえない。もう試合終了だというところでまた画面が止まり、次に動いたときには監督が笑顔で両手を上げていたので、何かで点が入って勝ったのだなとわかったが、これでは観戦したことにならない。

だから、見たのは先日のアウェイUAE戦とホームのタイ戦の2戦と、再放送のサウジアラビア戦だけである。

引き分けに終わった二次予選のシンガポール戦も見ていない。というわけで、実はハリル・ジャパンのふがいない試合というのはほとんど見ていないのだ。東アジアカップぐらいだ(おそらくあれで監督のJリーグ選手への評価は決定的に低くなったのだろうと思う)。だから私のハリルホジッチに対する評価はかなり高いのである(私の評価など彼のほうでは求めていないだろうけども)。


この監督は、ロシアW杯時に年をとっている者は呼ばない、所属クラブで試合に出ていない者は呼ばない、などと言っていた。いかにも。誰でも納得できるわかりやすい基準だ。そう表明していながら、ぬけぬけとベテランの今野、試合に出ていない川島や本田や宇佐美などを呼ぶ。勝つために必要だと信じれば、前言をこともなく破る。約束は守るものだと教育され、決められた時間の5分前に来ないこと、車の通らない道の赤信号で止まらないことをほとんど犯罪と観ずる日本人記者や評論家が怒るので、多少の釈明はするけども。いやいや、なかなか戦国武将じゃないか。

この人は、やりたいサッカーはやりたいサッカーではっきりしているが、特に目前の一戦に勝つことを徹底的に重視する。それはいっそすがすがしい。私は負けると病気になる、あのUAEとの初戦を思い出すと39度の熱が出る、などと言っていた。ほほえましい。

オーストラリア戦はアウェイの戦いに徹していたらしい。監督にとっては誇るに足る戦術的な試合だったようだが、日本での評価はかんばしくなかったと聞く。その落差に驚いたことだろう。日本にはアウェイ戦というものがない。一応ホーム・アンド・アウェイで試合することになっているが、アウェイの戦い方をしないのだから「アウェイ戦」ではない。だから理解されない。逆にオーストラリアではよく理解されているだろう。

前のアギーレ監督がブラジル戦で経験の浅い選手たちを使って負けたときも非難囂囂だったのを思い出す。外国人監督を雇うのは、日本人のできないことをやってもらうためである。外国人監督に浴びせられる批判は、要するに、日本人ならしないことをしているという理由によるものばかりだ。日本人がするようにやれということだ。まったく無意味である。それでは高い金を出して外国人を雇う意味がない。


八百長疑惑を書き立てられ、マスコミによって追い出されたかっこうのアギーレ前監督は、今UAEクラブチームの監督をしているそうで、UAE戦の前に取材に来た日本のマスコミにアドバイスをしていた。日本に対して悪感情を持っていないようで、それどころか好感情を持ちつづけているようで、うれしいことだ。

ポドルスキー神戸に来ると決まったが、その話が出たとき、リトバルスキーノヴァコヴィッチが日本を褒め、ぜひ行けと言っていたのもうれしい。日本でプレーし監督をした人には日本好きが多いと思うのはひいき目だろうか。クラマーさんもそうだったように思う。現監督もどうやらそうらしいと感じる。

日本人はよい弟子であることに長けた国民であり、学ぶことが大好きで、言われたことはしっかり守る(むしろ、言われたことしかしないまでに守りすぎる)。指導者にとって気持ちよい国だろうと思う。礼儀正しく、安心安全で、人を立てる文化がある。しかるべき高いポジションにある外国人にはきわめて居心地がいいだろう(そうでないポジションの人にとってはこの限りでないが)。

ただし、日本人は言い訳するのを極端に嫌う。いさぎよくない人は、ただそれだけでほかの数ある美点もろともに人格否定される。言い訳せず、部下の失敗はすべて自分の責任だとするのが上に立つ者のあるべき態度だと信じて譲らない。それはいいことだと思う。その点をあまり理解していなかったため、ハリル監督も日本人にとっての「地雷」を踏みそうになったことがあるが、だんだんわかってきたようで、けっこうだ。


UAE戦でびっくりしたのは、今野の起用はともかく(少しは驚くが、長谷部がいないのだから納得できる)、川島を使ったことだ。

監督は試合で使う選手を招集する。使う局面がないと判断すれば、実績のある選手ほど招集すべきでない。使わずずっとベンチに座らせておけば、チームに悪影響を与えるから。岡田監督がカズを切ったのがその最たる例で、トルシエ中村俊輔を切ったのもそうだ。逆に、使われなくても全然腐らず、チームを活気づける役割を担える選手なら、呼んでもいい。ゴン中山秋田のように。

3人のゴールキーパーの1人に川島が呼ばれたのも、こういう「ゴン・秋田枠」だと思っていたのだが、どっこい、この監督は使うつもりで呼んでいた!

たしかに、第一候補だったと思われる東口が負傷でおらず、試合の重要性を考えればいきなり林というわけにはいかない。最近不安定だった西川と川島の二択なら、川島は全然ありだとあとで気づくわけだが、でもこれは勝負師のやり口だよ。その起用にみごとに応えた川島もえらい。これをしびれると言わなくて何と言う。


タイ戦については、結果の4−0を見れば文句のない快勝だが、内容を見れば文句は大いにある。押されすぎ、シュートを打たれすぎている。内容だけなら互角である。だが結果はこれ。批判されなければならないし、選手は反省しなければならない。しかし、このゲームについてはむしろタイ側から見たほうがいい。

たしかアジアカップで、何度もディフェンスラインを破ってチャンスを作り、明らかにタイのほうがいいサッカーをしていて、オーストラリアはつまらなくくだらないサッカーだったにもかかわらず、結果が0−3か0−4だった試合があったのも思い出す。

いい試合をしながらゴールが決められず敗れる彼らを見て、「これはわれわれだ」と思った。かつて試合内容で上回りながら敗れ去る日本代表に泣いた経験を忘れた人たちは、真性の健忘症である。あのときの日本チームを今タイチームに見ているではないか。160センチにも満たない小さな選手の俊敏な好プレーは、欧米の巨人に立ち向かう小柄な日本選手にダブる。

見ていないが、どこか第三国でやって0−3か0−4で負けたブラジル戦、本田が満足した旨のコメントをしていたのが印象的だったあの試合とか、岡田さんのときアウェイで0−3で負けたオランダ戦。内容は善戦健闘だが、結果では大差がつく。まるでこの日泰戦のように。言うなれば、日本はタイにとっての「ブラジル」なのだ。

日本代表チームが弱かったころタイは好敵手だったが、日本が力をつけるにつれて差が大きく離れた。その差はまた詰まってくるだろう。日本はいつまで「タイにとってのブラジル」でありつづけられるか。とりあえず、札幌に来るという「タイのメッシ」が楽しみである。


WM予選はまだ続く。しかし、どうやら前の3試合が見られなかったのと同じ理由で残りの試合は見られそうにないので、ここで感想を書いておく。最終的によい結果に終わることを願ってやまない。

2017-03-06 中国覚え帳/満州三異人

終戦時の満州には150万人の日本人がいたというから、満州生まれ満州育ちの戦後日本人も大勢いるわけだ。小沢征爾など有名人も多い。しかし、たとえば加藤登紀子ハルビン生まれと聞くとなるほどと大いに感じ入るが、1943年生まれだから、そこに生まれただけで満州の記憶はほとんどあるまい。親はきっと満州生活の影響を浴びていて、その話を聞いて育つことで事後の記憶は形成されたかもしれないが。

そうではなくて、ものごころがついてのち、少年期、あるいは青年期まであの地に暮らし、はっきりと「満州育ち」と言える人の中で、いかにも「満州」だと思われる代表的人物は誰だろうか、と考えてみる。そうすると、文芸の分野では、安部公房別役実赤塚不二夫の三人が「三傑」ではないか、と思った。

この三人には共通する匂いがある。その作品は論理的だが、その論理がねじれている。あるいは、始まる前から論理が脱臼している。

乾いているのも大きな特徴だ。日本の風土特性である湿気が感じられない。抽象性が高い。いわば無国籍、あるいは根無し草の感覚がある。

そして、演劇性が強い。劇作家の別役はいわずもがな、マンガは絵による演劇ないし映画表現と言える。安部公房は、日本の小説家の中で演劇に関わりが深かった点で三島由紀夫と双璧である。単に劇作が多いというにとどまらず、安部公房スタジオという演劇集団を作って活動してもいた。

さらに、この三人は満州時代についてほとんど書いていない。満州を売り物にする「満州屋さん」になっていない。安部公房は、いくつか文章はあるし、「けものたちは故郷をめざす」という敗戦後の満州が舞台の怪作を書いているが、彼の文業全体の中ではほんの一小部分だ。

満州国の日本人、特に俸給生活者たちは、周囲の「現実」、土や油や草の匂いの中で地に足をつけて彼らの確かな手ざわりの生活を生きていた人々から遊離して、囲われた小世界の中に暮らしていた。そしてその子供たちは、引き揚げを経て、祖国という名の異郷で故郷喪失者になった。そのような経歴がのちの人生に影響を及ぼさぬはずがない。

赤塚不二夫には自伝「これでいいのだ」があって、その中にはもちろん満州時代の思い出も書かれている。彼の父は特務警察官だったし、敗戦に遭遇したので、人が殺された場面も何度も見ている。感傷もなく淡々と、敗戦後それまで威張って中国人いじめていた日本人が一家惨殺に遭ったという話がぽんと出てくる。逆に、中国人に親切だったり公正だったりした者は、戦後引き揚げまでの間に中国人に助けられたという話もよく聞く。敗戦の混乱は一種人民裁判だったのだなと思う。剥き出しの「民主主義」でもあろうか。

敗戦前も敗戦後も、赤塚少年は中国人の子供といっしょに遊んでいた。ただ敗戦前は、彼は中国人の子供に「遊んでやるから、頭を殴らせろ!」と言った。敗戦後は、中国人の子供に「遊んでやるから、最敬礼しろ!」と言われた。そしていっしょに楽しく遊ぶ。民族の垣根はあるという原則と民族の垣根はないという、矛盾しているようで矛盾していないらしい原則が並存している。それに、どうも日本人のほうが粗暴であるようだ。

赤塚漫画のルーツが満州にあることは明らかだ。そして、同じことは安部公房別役実にも言える。失われてなお、満州日本文化に貢献している。正確に言えば、失われたからこそ、だが。

2017-02-26

昭和製鋼技術研究所 22:06

これはいいものだと思った。1930年代ぽいと思った。戦前の昭和製鋼所で働いていた家族の回想記にある簡単な昔の鞍山の地図を手に、かつての建物が今も残っているのか探し歩いていたとき、当時の技術研究所、新しいビルの並ぶ今の鞍鋼集団鋼鉄研究院の敷地の中に、古そうな建物がひとつあるのを見つけた。今は理化検験楼という名のその建物を見てそう思ったのだが、しかし、建築専門家でもない者がそんなことを言っても、個人の感想にとどまる。

そこで、まず鞍鋼展覧館で建築年を聞いてみたところ、1948年という答えだった。そんなはずはない。それは激しい内戦の末共産党国民党軍を破って製鋼所を手に入れた年だ。ソ連軍が工場の設備の3分の2をロシアに運び去り、内戦でも被害を受けて操業停止の状態、ようやく復興への第一歩を踏み出そうという時期だから、その年にこんな立派な建物が建てられるはずはない。おそらく建物でなく組織の話なのだろう。

製鋼所で重要なのは、一に生産、二に経営で、研究所など眼中になく、調べるのに苦労した。中国の本、「鞍山冶鉄文化」(瀋陽、2015)とか「鞍山城市史」(北京、1994)を見ても、日本時代の記述はきわめて少なく、だいたいこの時代は「瘋狂掠奪」で片づけられていて、研究所のことなど言及されない。研究については、梅根常三郎らによる貧鉱処理の還元焙焼法という会社を救う発明が有名で(ただし研究所がまだ独立した組織になっていない臨時研究部時代の発明、1921年)、それには中国の本でも記述があるけれど、研究所の建物となると付けたりのそのまた付けたりである。なので、宿題として日本へ持ち帰った。

康徳7年(昭和15年・1940年)刊行の「昭和製鋼所廿年誌」を見ると、「新装なれる研究所」として写真がある。これで日本人によって建てられたことがわかった。

1930年代という見立ても当たった。研究施設はさまざまな組織の改変を経ている。もともとは鉄道西側の製鋼所構内にあった。昭和8年(1933)に研究所として独立した。それ以降、康徳7年までの間の建築ということになるが、「新装なれる」と書いてあるところから踏んで、1940年の1、2年ぐらい前ではないかと考えられる。

ところで、越沢明「満州国首都計画」(日本経済評論社、1997)に前川国男設計の昭和製鋼所事務所本館のコンペ当選案(1937)の写真が載っている。これが技術研究所によく似ている。「建築家前川国男の仕事」(美術出版社、2006)によると、同コンペで前川案は1等と3等に入選していて、平面図も掲載されている(なお、これには誤って大連としてある)。その後の戦争の拡大によるのであろう、結局建設されないで終わった。

満鉄は、木戸孝允の子息木戸忠太郎の地質調査によって鉄鉱が発見されたあと、鞍の形をした山の麓にある昔の鞍山(今の鞍山駅堡)の北5キロの広野、南北に走る南満洲鉄道の西側に工場を作った。鉄路の東側(鉄東区)には市街地と社宅を建設した。鉄東区はほとんどが日本人の居住区だったのだが、その一画に八卦溝という中国人街があった。ここはもともと中国人の集落があったところで、首山の戦いに赴く途中、のちの軍神橘中佐がここの農家の庭で露営したそうだ。そのころは数軒の家があるだけだったようだが、その由来から中国人がこの地区にまとまって住むことになったらしい。「鉄都鞍山の回顧」(満洲製鉄鉄友会、1957)によると、満州国建国と同時に八卦中国人集落の鉄西区移転が決定され強行されたという。1935年前後に中国人街の建設が始まり、終結時までにはほぼ移転は完了した。その跡地に新本社を建てる計画だったというから、そのための設計コンペが行なわれ、前川案が1等になったわけだ。たしかに平面図の敷地は三角形で、八卦溝の跡地とぴったり合う。そのころに研究所の新築も成ったのであろう。本館のデザインと類似しているのは、前川案を模倣したのか、あるいはこの設計も前川事務所に依頼したのか。後者なら中国に残る唯一の前川建築になるし、前者でも前川国男の影響として意義はある。

いずれにせよ、これはいいものだ。戦前の鞍山を代表する建築だと言ってもいいのではないか。鞍山の満鉄時代満州国時代の建築で残っているものは、市政府や製鋼所事務所「大白楼」は1階増築、満鉄医院(今の市中心医院)もファサードをかなり改変されている。この建物は、写真を見るかぎりでは、屋上に突き出す塔のような部分が短くなっているほかは、原形のままのようだ。また、建てられた当時の最新の建築理念(モダニズム建築)の反映ということでも、代表的建築とするにふさわしいと思う。ともあれ、素人の感想もけっこう当たっていたんじゃないか。