石陽消息

2017-09-27 インドなネパール、日本なネパール

ネパールの車のナンバーはインド数字で書かれている。読めない。日本のナンバープレートが漢数字で書かれていて、それを(中国人以外の)外国人が見て困っている、というのを想像すればいいのだが、インドですら洋数字を使っているのに、なぜネパールがそうするかね? 小包を送った受取証に代金が書いてないので聞いたところ、ここにあると言われた。インド数字で書いてあるのである。こちらのほうは日本でも漢数字で書くことはあるからわかるが、ナンバープレートは困るよ。そしてこの件のもっともおもしろいところは、なぜインドでないネパールインド以上にインドなのか、という点だ。

王制時代にはヒンドゥー教を国教としていたそうだ。インドはそうしていないから、当時唯一のヒンドゥー教国家だったわけである。統計によると、ヒンドゥー教徒は81.3%、仏教9.0%、イスラム教4.4%だという。インド(78%)より比率がわずかに高いだけの8割でヒンドゥー教国家だなどと言ってはいけないが、要はイスラムなのだろう。ネパールにも無視できないほどいるけれど、インドの場合は13.4%で、比率のみならず数として一大勢力で、ヒンドゥー主義の主張は宗教紛争となるだけだから(なっているし)避けられる。その点ネパールは大胆になれるのだ。

仏教も大きな勢力ではあるけれど、仏教チベット仏教)プロパーとしては山地のチベット系民族の宗教であるか、あるいはヒンドゥー教との二重信仰であるか、という形をとる。もともとインド宗教であり、釈迦はラーマの化身であるとされてもいて、多数派ヒンドゥー教徒から見ればヒンドゥー教の異端の一派ぐらいに考えられているのかもしれない。

そもそもインドである。山地にあり、軍隊が強く、イギリスと戦って善戦したので、植民地化されず独立を守っていて、そのためインドの一部とならなかった、ということだ(現在のインドは英領インドの後継国家である)。インドの一部として見れば、チベットへの移行空間として独特であるが、山地の少数民族は別として、ヒンドゥー教信仰する大多数の人たちの生活文化はまったくインドだ。サリーを着るし、額に赤い印(ティカ)をつけ、女性は手にメンディーという模様を描く。食べ物も、主食が米であるところが西北インドと異なるが(東インド南インドとは同じ)、あとは豆カレー野菜カレー、辛い漬物アチャールヨーグルトなど、インドと同じものが金属盆に盛って出される。牛が町中をゆうゆうと歩いている風景や牛肉を食べないこと(しかし水牛は盛んに食べる)、カーストがあること等々、インドでしかありえない。ネパール語ヒンディー語の同系語だし、文字もヒンディー語と同じデーヴァナーガリー文字である。幅150−200キロの間に標高8850メートルから70メートルまで下る国土のうち、インド国境沿いのタライと呼ばれる低地は掛け値なしのインドで、ラーマ王が婚礼を挙げたのも、ゴータマ・シッダールタが生まれたのもここである。インド文明の重要な周辺部であったわけだ。

ネパールの観光ビザは簡単に取れ、かつ窓口の係員が微笑むというインドでは考えられない対応をして、観光ビザさえ取りにくいインドとは雲泥の差を見せるが(国の基幹産業が観光業で、外国人料金を高く設定して金を搾ろうという意図も当然あろう)、就労ビザネパールも非常に取得がむずかしく、ここではインドと対等である。


だが、ネパールは日本とも似ているなと感じる。山国で、土地が狭く、道が狭く、だからスズキの軽が重宝される。アルトでないタクシーなんてあったっけ? 寺も非常に小さく、寺院というよりお堂という感じである。完全に木造でなくとも、木造部分が多い。屋根が多重で、三重塔とか五重塔を思わせる。

いわゆる照葉樹林文化の東端と西端でもある。タケノコを食べているのには驚いた。

大地震が多いという共通点もある。地震国に対して並々ならぬ共感を覚えるのは、日本人の特性のひとつである。ネパール人のほうでもきっと共感はあるだろう。

精強勇猛なグルカ兵が有名な一方、よく微笑む人たちでもある。こちらが微笑めば、必ず微笑み返す。この点はインドと違い、むしろ東南アジアに似ている。「菊と刀」か?

国旗もおもしろい。ヨーロッパの発明した国民国家に覆われている今の世界では、ヨーロッパの決めたルールにのっとって国歌国旗をもたなければならないことになっていて、植民地から独立した国々ではヨーロッパ式に横長長方形を何色か(多くは三色)に塗り分ける旗を作って国旗でございとしているが、日本の日章旗ヨーロッパ方式とは外れて独特であり、扇や鉢巻などにも使えるなど独自のありかたをしていて誇らしく思う。しかし独特ということではネパールはさらに上手で、長方形ルールを完全に無視し、中に太陽と月を描いた三角形を重ねるという奇っ怪な形態をしている。あっぱれである。独立国であったればこそ。エンブレムを中に置いただけのヨーロッパ流三色旗である旧植民地インドとは筋合いが違う。

ネパールではヒンドゥー教仏教が二重信仰のようなありかたをしている。ヒンドゥー寺院に仏塔や仏陀の像がある。各人はヒンドゥー教徒である、仏教徒であると一応認識しているのかもしれないが、どちらの寺院にお参りしてもかまわない融通無碍な寛容さを示す。この点も、平然と神道仏教の二重信仰である日本人には違和感がない。ヒンドゥー教原理主義者や仏教原理主義者(そういう人もいるに違いない)から見れば、いやキリスト教徒イスラム教徒から見ても不純で不快であろうが、なに、これでいいのだよ。

僧侶階層が妻帯しひとつのカーストをなしているのもネパール仏教の大きな特徴であり、それは司祭カーストブラーミンが妻帯しているのに倣ったのかもしれないが、同じく僧侶妻帯の日本にも似る。日本でもお寺さんはお寺さん同士で結婚することが多く(独特の生活習慣があるので)、つまり準カーストと言っていいようなありかたに見える。これも似ている(日本でもっともカースト的なのは梨園だろう。主役を演じる家筋、脇役の家筋などが決まっているところも)。

ネパールにはクマリという生ける女神がいる。あるカーストの女の子が選ばれて、初潮を迎えるまでの間女神化身である少女神として崇拝されるというものだ。1984年から91年までクマリだったラスミラ・サキャは、「回想 神から人間へ」(スコット・ベリーとの共著、江崎秀隆訳、カトマンドゥ、2011)の中で、「外国からの訪問者の中で特に私が好きな人達がいました。それは日本という国から来たと教えてもらった人達で、私が窓辺に現れると必ず拍手をしてくれました。彼らが私を見る様子から私は日本の人達に理解されているように思います」(p.28)とか、「私は日本人と私達ネパール人との間にはある種の「絆」がある様にも感じました。それというのもこの日本の人達が私個人と云うことでは無く、いつも私達の文化そのものを理解し敬意を払っていてくれている様に思えたからです。その文化の密接さという観点から云うと、ネパールは西洋に比べて日本により近いのではないかと思います」(p.162)などと言っている。

すべてのクマリがそんな印象を持つのかどうかは知らないし、彼女の個人的な意見かもしれない。しかし、なるほどとも思った。

クマリは斎宮を思わせるところがある。斎宮の場合は未婚で処女を通すのではあるが、女性であって、初潮前の少女とは異なる。平安時代春日大社などに奉仕した斎女は少女だったようだが、斎宮にせよ斎女にせよ神に仕えるという点では神そのものであるクマリとは違うのだけれども、似ていることはたしかだし、クマリが山車に乗って巡幸するインドラ祭では、クマリの山車のほかにガネシュ、バイラブとしてそれぞれ山車に乗る2人の少年がいるのだが、彼らはこの祭りのためだけに選ばれるのであって、まったく日本の祭りに出る稚児と同じだ。

何より、日本には最近まで現人神がいたし、「人間宣言」をしたあとも常人とは思われてない。女神でなくなったあと普通の女の子にもどるために苦労したラスミラ・サキャの回想録は非常におもしろかったが、読んでいる間感じたのは、要するに平民(もはや華族はいないから、結婚相手はどうしても平民となる)と結婚し臣籍降下した皇女だな、黒田清子さんが書けば似たものになるかな、ということだ。しかり、われわれにはクマリがよく理解できますよ、ラスミラさん。

2017-08-27 「母は娼婦です」

日本語の発音はかんたんだ。母音は5つで、ローマ字にあるのと同数だし、子音は14。こういうものは多くても少なくてもむずかしくなるが、多すぎず少なすぎない適当な数だ。thや反り舌音のような妙なものもない。開音節ばかりなのは、聞くのにはモノトーンな感じかもしれないが、言うのには言いやすいはずだ。

母語が有気音・無気音対立中国語である人には、日本語の有声音・無声音対立がむずかしい、というように、母語によって困難がでてくることはあろう。rとlが言い分けられないわれわれにも身にしみてよくわかることがらだ。だがそれは相対的なむずかしさであり、絶対的には日本語の発音はやさしいと言い切っていいと思う。

とはいえ、特殊拍と言われるもの、わけても長音と促音はむずかしい。「きてください」「きってください」「きいてください」を聞かせてみると、ほとんどの国の学習者が区別できない。つまり発音できない。

しかし、つまる音(促音)はなるほどむずかしかろうとわれわれも想像できるが(「坂の上に住む作家はサッカーがすきだ」)、長い音と短い音が発音できず聞き分けられないのは不思議に思う。伸ばせばいいだけだろ?

「おばさん」を「おばあさん」と呼んではいけない。怒られるぞ、気をつけなさいと言い聞かせると、おばさんに向かってことさらに「おバーさん、おバーさん」とバを強調して言うので、頭を抱えてしまう。「ば」の部分が問題だと認識してはいるのだが、音の長い短いがわからないので、強く発音してしまうのだ(強く発音すると長く聞こえる)。これだったら指摘しないほうがよかったかもしれない。

山陰線には3駅はさんで大田駅と小田駅がある。「大田で降りてください」と伝えたのに小田で降りられては非常に困る。駅前には何もなく、バスもなければ、山陰線は1時間以上待たないと次の列車は来ない。日本人も大田(市とはいえ、東京基準でいけばここも駅前に何もないんだけどね。まあ比較の問題で)で待ちぼうけをくわされるわけだが、小田で降りてしまった外国人のほうがたいへんだ。

「コピー」は「コーピ」と言うし、そう書く。私の知っているすべての国の学習者がそうだった。流暢に日本語を話す者にしてなお。なぜこんなのがむずかしいかよくわからないのだが、わからないからむずかしいのだろう。「コーヒー」は「コーヒ」。「コヒー」と書かないあたりに秘密がありそうだ。

アクセントは、標準である東京アクセントのほかに、それとまったく異なる関西アクセントが一大勢力であるし、一型アクセントもあるので、発音練習において特にこだわる必要はない。しかしながら、私はスピーチ練習などではアクセントを徹底的に教え込む。というのは、長音や促音の箇所にアクセントの変わり目が当たることが多いのだ。「こうとうがっこう」なら、「こう」で上昇、「がっ」で下降。つまり、アクセント練習ではアクセントが本丸なのではない。敵は本能寺にあり。長音・促音を身につけさせる一助に、と考えてのことである。もちろんアクセントが正しければ聞きよくもあるのだし。


母語によって発音の間違いも違う。タヌキの母語は知らないが、人に化けたタヌキは「オレだ」と言えず、「オネだ」と言うのでわかるという。四川人の場合はタヌキと逆で、ナ行をラ行に発音する。つまり「尾根」が「俺」に、「カナダ」が「体」になる逆さ狸。

トルコ人は「せ」が「さ」になる。「千円です」が「三円です」になってしまう。997円も違う。そんな通訳は損するぞ。

中国人の「ません」は「ますん」に聞こえるので、「行きます」だか「行きません」だかわからない。いつも「えっ、行くの、行かないの?」と聞き返すことになる。文末の最後の部分まで聞かないと肯定か否定かわからないのが日本語の大きな欠陥だが、その部分で「ますん」じゃ困るよ。

そしてネパールでは、面接で「母は娼婦です」と答える学生が出てくる。面接の練習のためにネパール教師がモデル問答集を作るのだが、それに「はははしょうふです」と書いてあり、学生はそれを暗記する。ハハハ。ここは「しゃ・しゅ・しょ」がうまく発音できない者が多くて、「でしょう」を「ですよ」と言う。書き取りをさせても「しゅ」を「しょ」と書いたり、その逆に書いたりする。この点と、長音の無能があいまって、「しゅふ」が「しょうふ」になってしまったわけだ。大使館での面接のような大事なものなら、日本人に見てもらうべきだろう。学生がいい物笑いだ。

ま、私たちもシラミ(lice)が主食だし、おたがいさまだけどね。しかし「母は娼婦です」の破壊力はそれをだいぶしのぐと思うよ。

2017-07-29 交通に寄生者多し

カトマンドゥのパシュパティナートというシヴァ寺院へ行ったとき、道を歩いていたら男に呼び止められ、1000ルピー払えと言われた。外国人は料金を払うことになっているのだと言う。ネパール人は無料。そのことはガイドブックで承知してはいたが、柵などで仕切られたエリアに入るときに払うものだと思っていた。仕切りなど何もない、人々が大勢行き交っている道である。これには驚いたし、腹が立った。肝心の寺院や周囲のいくつかの寺院はヒンドゥー教徒以外は入れない。つまり、道を歩くだけで1000円払えというわけだ。むろん払わず、背を向けて立ち去った。

施設に入るとき、あるいは柵などで囲われた区域に入るときに入場料を払うのはわかる。それが高くてもしかたがないし、自国民無料・外国人高額でも、腹立たしくはあるけれど、決まりごとならやむをえない。だが、これはただの道なのだ。寺院のかたわらを通るとはいえ。自由な通行を妨げられて金をむしりとろうとされた過去の不愉快な思い出が浮かび、条件反射的に拒絶した。

ガイドブックを見ると、ネパールにはそのような場所が多いようだ。王宮広場とか、観光価値が高いところはみなそうなっているらしい。よろしい、それならそんなところには行かない。観光はだいたいが嫌いである。観光業は餌付けに似ていて、観光業者はいわば餌付けされた猿のようなものだ。白人の餌に群れるのは見よい眺めではない。それよりも、人の顧みない小さくささやかなもの、しかし当該文化の本質がうかがい知れるようなものを好む偏った習性をもっているので、むしろ好都合かもしれない。

しかし、自分一人ならそれでいいが、お客さんが来て案内することになればそうも言っていられない。そのときは払うことになるだろう。是非もない。

思い出される不愉快の数々。ルーマニアなどでは車掌がありもしない故障を言い立てて金をむしろうとする。こっちは列車に乗っている身だから、いわば身柄を押さえられている状態なので、たちが悪い。コンパートメントに一人でいるとねらわれる。

不良警官が通行人や車を呼び止めて難癖をつけ、金をまきあげることもよくある。実によくある。実際に何か違反をしていて、目こぼしのため金を渡す運転手も多いので、彼らによって助長されている側面もあるのだが。

逆に、税関や国境検問は通行をさえぎり検査をする当然の権利も義務ももっていて、それで時間をとられることも多いが、不当な要求をされた経験はほとんどない。

タクシーは、メーターで走るなら非常に便利な乗り物だが、私が行くような国にはメーターで走るタクシーなどないのが普通だ。乗る前に値段交渉をしなければならない。むろん外国人にはふっかける。交渉がまとまっても、途中で値上げしてくることも珍しくない。雲助、胡麻の蝿の類である。世界のいたるところに江戸時代がある。

天下の大道の画竜点睛、乞食は心騒がせる存在だ。私もけっこう歳は取っているが、日本で乞食は見たことがない。浮浪者はあるが。日本の乞食は東京オリンピックとともに消えたらしい。だから異国で初めて乞食に相対したときは、途方に暮れてしまった。ムスリムにとっては施しは義務である。ムスリムでなくとも、ゆとりのある者が困っている者に施すのはあるべき行ないだろう。といって、袖を引いたりまとわりついたりする職業的とおぼしき乞食にやるのは業腹だ。いろいろ迷った末、ポケットに裸銭があるときはやる。なければやらない、という原則を定めた。つまり、財布を取り出してまではやらない、ということだ。そして、くれくれとねだる者には決してやらない。そのように自分のルールを決めてからは、心穏やかに乞食に対せるようになった。

もちろんこんな態度は最善ではない。あれこれ考えず施すのが最善だ。だが、私程度の者には最善は望むべくもなく、次善くらいが相応である。乞食諸氏は諒とせられよ。

2017-06-18 調査かどうかは知らないが

「一行」(いちぎょう・いっこう)のように、二通りの読み方のできる熟語がある。「気色」もそのひとつで、「きしょく・けしき」というふたつの読みがあり、意味もやや違う。だが、今では「きしょく」は「気色悪い」、「けしき」は「気色ばむ」という慣用句で使われるばかりだろう。

この「気色ばむ」の文例を考えてただちに思い浮かぶのは、わが国の現首相である。国会で不快な質問をされるとすぐ気色ばむよね、あの人。一国の総理大臣として、目をそむけたくなるような幼稚さだ。総理なのにヤジを飛ばすし。誰か注意する人はいないのか。誰からそんなふるまい方を教わったのか。

この人の友人は、トランプとプーチン。いいのか? 歴史に悪名をとどめるであろう人たちだよ。中国首脳とは決して友人になりそうにないのは、いいことか、悪いことか。

北朝鮮に対する硬直した態度にも残念なものがある。ミサイル実験をされるたびに、「断じて容認できない」とコメントするだけ。会見するだけ無駄だ。録画しておいて、その都度再生ボタンを押すことにすればいいだろう。言うだけで、何も打つ手がないのだ。交渉する能力も材料もない。自分の手を自分で縛っているから。アメリカはまだ軍事オプションを持っているが。北朝鮮の今の政体は、早くチャウシェスクルーマニアのように崩壊することが望まれるひどい政権だが、北朝鮮国連にも加盟し、多くの国と国交を持つ中堅国家である。そのように見、そのように対さなければならない。日本人は世界は日米だと思っている。日米の視点が世界の意見だと思っている。国を誤りかねない僻見だ。

印象操作」なんだそうだ。森友学園問題、加計学園問題での野党の追及は。自分のところまで手が回ることはない、犯罪立件されることはないと知っているので、そんな主張ができる。たしかに賄賂はとっていないのだろう。だから疑獄にならない。官僚の「忖度」止まりで、背任か何かで担当した官僚が逮捕されることはあっても、首相は無事。だから野党の論難は印象操作

一方で、加計学園問題で政権に不利な発言をする元事務次官に対しては、文部省天下りが発覚したとき責任を問われても辞任せず地位に恋々としていたと官房長官が事実に反する発言をしたり、出会い系バーなるものに通っていたことを御用新聞に書かせたり、印象操作以外の何物でもないことをしている。完全なるダブルスタンダード。恥ずかしい、恥ずかしい。

民衆について、民衆をそんなに買いかぶるものじゃない、民衆は人も殺せば強盗もする人々だ、などと言った人がいるが、そのことは、そう言うその人が、ことによれば人殺しもするかもしれず、強盗をするかもしれぬということのみを意味している。どんなに追い詰められても、人を殺したり強盗をしたりすることのできない人はけっこういるのである。

出会い系バーというのがどういうものなのかよく知らない。法に触れる存在なのか、法に触れないぎりぎりの存在なのか。通ったという当人も認めている事実によって逮捕されていないところから見て、合法なのだろうと推測するだけだ。女の子を外に連れ出してホテルかどこかで寝るというのが主な用法らしい。そういう行為をした場合、売春として処罰の対象になるのかも知らない。たぶんなるのだろうが、今までの報道を見るかぎり、そのようなことをしていたとの証言は出ていないようだから、むしろ元次官は、女の子を連れ出しても何もせず、話をして小遣いをやっていただけのようである。事実について私は何も知らない。新事実が現われるのかもしれない。だが、興味深いのは人々のそれに対する態度だ。「出会い系バーに通っていた」というのが「女を買って寝ていた」ことをのみ意味すると考える人たちがいる。圧倒的多数派だろう。その人たちは、もちろん自分がそういうところへ行ったらそうする人たちなわけだ。官房長官首相を含め。そういう人々は、そんなところ行って女を買わない男がいるということがただちに理解できない。だが、そんな少数派が存在することは、理解もできるし、想像もできる。「貧困女性の調査」などという釈明が額面どおりに受け入れられるとは全然思わないが、彼女たちの話を聞き、いたわることに喜びを見出す男がいてはいけませんか? ドストエフスキーの愛読者には親しい人物像じゃないか? 「出会い系バー通い」から「女郎買い」の結論しか導けない俗物の最俗物たる輩どもの蠢く現代日本にそのような人がいることは、むしろ喜ぶべきことのように思えるのだが。実に卑賎な森友・加計問題の最良の部分はここにあるとさえ思う。

2017-05-17 中国覚え帳/中共満州国の説

日本人は満州へ行くべきだ。満州国には東アジアの近代の達成も欠陥も凝縮されている。日本はこの奇妙な国家を作り上げた当事者なのだから、ぜひその余影を見ておくべきだ。それはまだそこここに感じられる。

たとえば長春、かつての新京。市政府市役所と考えるのは大きな間違いである。カメラを向けてみなさい。門衛に制止される。写真を撮ることすら許されない役所が市民サービスを担う「市役所」であるはずがない。「道台」とか「衙門」と呼ぶのがいい。つまり旧中国であり、中国は一瞬だけ「新中国」になったが、すぐに元の居心地のいい、賄賂横行・上意絶対の「旧中国」にもどったように見える。

昔の関東軍司令部は今は共産党委員会になっている。市政府の場合は写真を撮ったあとで門衛に撮影不可と言われたので、少なくとも1枚撮れたのだが、ここではカメラを出すとただちに追い払われる。撮られて困る何があるのだろう。今も軍の施設なのかと疑われる。共産党関東軍の後継者ということだ。

中国は「戦前」だと考えると、よく理解できることが多い。

大学で軍事訓練をやっている。新入生の必修科目である。全寮制であり、学生には早操と称する早朝の体操とか教科書音読などが課せられている。かつて新京にあった全寮制の建国大学で早朝全学生が集合し「建国体操」なるものをやっていたのを踏襲したかのように。いわゆる愛国主義教育は皇国史観による洗脳と同じだ。

中国政府チベットや新疆でやっていることは、日本人が満州でやったことそっくりそのままである。圧制下に置きながら、被支配民族の福利を向上させたと誇っているところなど、実によく似ている。チベットにある「万人坑」を見れば明々白々だ。もう70年も昔の日本の侵略を非難しつづける一方で、チベットや新疆では満州国の再現をしているのだから、ダブルスタンダードもいいところだ。

尖閣諸島でしくまれた「偶発的衝突」を狙っているらしく思われるところなどは、「柳条湖」や「盧溝橋」をやろうとしているように見える。

五族協和」は満州国のオリジナルではなく、清末から唱えられていたスローガンで、民国から満州国、人民共和国を通じて国是とされてきた。民国・人民共和国のが漢・満・蒙・蔵・回の五族なのに対し、満州国では蔵・回の代わりに日・鮮が入るわけだが。それが美辞に過ぎず、結局は覇権民族の専横に終わることは満州国がよく示していて、人民共和国もそれに続いている。

満州国は近代文明を東アジアへ効率的に移植する実験場のようなものであった。そのことは、戦後の高度成長日本をデザインした人たちのかなりの部分が満州国帰りだったことからもよくわかる。戦後日本は軍抜きでアメリカ民主主義を上塗りされた効率的近代化であったが、中国は軍込み民主主義抜きの効率的近代化(その効率性はいくつかの分野では驚嘆すべきレベルまで達している)、つまり生きている「満州国」と言っていい状態なのではないか? 満州国は今もなお東アジアの大いなる「宿題」でありつづけている。