教皇チベットに憂慮 ダライ・ラマはすごいなぁ

先日。カトリックチベットに沈黙やで。と書いたら。本日教皇が水曜日の恒例謁見でチベットについて憂慮してるとのニュース。

http://www.radiovaticana.org/gia/Articolo.asp?c=193897
チベット情勢に対話と寛容を呼びかける、教皇、一般謁見で

教皇ベネディクト16世は、バチカンで19日、水曜恒例の一般謁見を行なわれた。

集いの中で教皇は、チベットにおける最近の出来事に対する憂慮を表され、暴力ではなく対話をアピールされた。

ここ数日のチベットの情勢を深く案じつつ見守っていると述べた教皇は、多くの人々の苦しみを前に悲しみと苦悩を禁じえないと話された。そして、イエスの受難と死の神秘を追体験する聖週間にあって、彼らの状況はひときわ私たちの心にかかるものであると述べられた。

暴力は問題を解決せず、それをさらに悪化させるだけであると教皇は強調され、一人ひとりが勇気を持って対話と寛容の道を選ぶことができるようにと、皆に一致した祈りを呼びかけられた。

ああ。あんな意地悪な海外ニュースを見つけてしまったもんで、どうなることかと思ったんですが、今週は聖週間。チベットの人々の為に祈りませうとの呼びかけですよ。まぁこの内容だけでは判らないんで全文が出たら読みたいもんです。ここ読んでいるカトリックな方はよろしくなのですよ。

で、まぁカトリック典礼的には今週は受難を思い起こす時期であるわけなのだが、上記にあるようにまさに受難のただ中にあるのがチベットの人々で、そのチベットの宗教指導者ダライ・ラマ14世は中国の傍若無人な言動、デモは暴力で圧殺、対話にも条件付けを真っ先に求めるという、まるでどこぞの暴力団のような態度に対し、チベットの人々と中国に対し、徹底して非暴力と対話を訴え続けている。また事態が収拾できなかったら辞任すると、チベット人の過激派がエスカレートするのを牽制していたりとなんとも涙ぐましい。
圧倒的な暴力の前で一貫して非暴力と、しかし信念を崩さないというあたり、流石だなぁと。

ダライ・ラマ14世退任示唆、中国・チベット双方に自制求め
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080318-OYT1T00719.htm
 【ニューデリー=永田和男】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(72)は18日、亡命政府の置かれるインド北部ダラムサラで記者会見し、チベット自治区で起きた暴動について、「事態が手に負えなくなれば、私には、完全に退任するしか選択肢がない」と述べ、亡命政府の指導的立場から退く考えを示した。


 ダライ・ラマは、亡命政府で「国家元首」に位置づけられ、中国への非暴力抵抗運動と対話路線を主導してきた。実際に退任すれば、中国からの完全独立を主張する強硬派が台頭し、さらに大規模な衝突につながる恐れもある。退任の示唆により、中国側と、対話路線に不満を強める亡命チベット人社会の双方をけん制したと見られる。

 記者会見でダライ・ラマは「暴力は自殺行為だ」と述べ、チベット人側に非暴力の重要性を強調。また、「我々(亡命政府)が中国統治下にあるチベット人に、ああしろこうしろと言えない」と、対話で解決を探る責任が中国側にもあると指摘した。

 また、ダライ・ラマは、「独立要求は論外だ」と述べ、「高度の自治」達成によるチベット問題解決を目指す「中道のアプローチ」に理解を求めた。自身が提唱してきた、この路線に対しては、亡命チベット人の間で、「成果がなく不毛」とする不満が、特に暴動発生後、目立ってきている。

亡命チベット人の間で不満が起こりつつあるのも懸念しているのでしょうが、ダライ・ラマ14世の苦悩は相当なもんだろうなと。
カトリック脳なわたくしとしては、今もっとも神の救いを必要としている人なんじゃないかと思ったりしますが、仏教的にはそれはちょいと違う、余計なお世話的かもしれないと思うので、こっそりと遠巻きにお祈りしときますよ。