Steven Wilson Interview (2) 

ハリウッド・フォーエヴァー墓地の一員で、最も訪問される墓はおそらくジョニー・ラモーンだろう。レザージャケットを纏いギターを持って反り返る、前髪で目を隠した印象的なパンクの銅像をその敷地は誇る。
「それほどファンじゃないよ」と、ウィルソンは2004年にガンで亡くなったミュージシャンの記念碑を歩き回りながら言う。
「僕はその行為よりずっとそのアイデアが好きなんだ。1度1曲聴けばそれで全部」
ラモーンズがブレイクしたのは1977年、パンクのプロレタリアートがロックの権力者の権限を暴力的に覆した頃だ。ウィルソンはいまだ音楽の黄金期の終焉を嘆き、ほとんどの現代音楽を含むポスト・パンクの趣向よりもっと過激で実験的であったと言う。その信念は彼がキング・クリムゾンの"Lizard"と"Islands"をリミックスしたとき再確認された。
「僕はそれらのクリムゾンのレコードを聴いて『この音楽は尋常ではない』と思っていた。それは規則に従わない。己の規則で創作する。そういう類のレコードを僕は作りたかった」

ロサンゼルスの容赦ない太陽から小休止を求めて、ウィルソンは柳の下に石のベンチを見つける。その場所は、最初のキングコングでの役で最も有名な女優、『絶叫の女王』フェイ・レイの墓地である。
「フェイ・レイの上に座らない?」
にやりと笑うウィルソン。一旦落ち着いて、ウィルソンは彼のアルバムにおけるジャズとロック・ミュージシャンの結びつきでそれら初期キング・クリムゾンのアルバムを見習おうとしたことを説明する。
「その考えはどうにかして霊性とジャズの即興の性質を捕らえる、しかし、そのためにロック・ミュージシャンが違った方法の演奏でやるというのもあった」
ウィルソンは言う。
「僕のお手本はフランク・ザッパだった。いつも並外れたミュージシャンを雇い、許容して、言うまでもなく、彼らの個性を彼の音楽上で実にタイトなやり方で全てコントロールし続けて発揮させる人がいたんだ。バンド・リーダーとして、この状況で何をするかは、ミュージシャンを雇い、その人の流儀に関して何を好むか把握すること。それから曲を書き、それを役立たせる。僕にとってこのレコードは凄くエキサイティングなものなんだ。"Grace For Drowning"は抽象的な中でミュージシャンのために書かれた。このアルバムは具体的なミュージシャンのために書かれている」

適例として、オープニング曲の"Luminol"は、名ジャズ・キーボード奏者で、黒いTシャツ収集ではウィルソンのライバルですらあるアダム・ホルツマンの試演の場だ。
「僕が『素晴らしき有機的』サウンドと呼ぶ、フェンダー・ローズ、ハモンド・オルガン、そしてメロトロンを支持したジャズ奏者にはかなり心を奪われたよ」ウィルソンは言う。
テオ・トラヴィスが脚光を浴びる瞬間は"The Holy Drinker"。
「重くて暗くて、レッド・ツェッペリンマイルス・デイヴィスと出会う感じだね」と、トラヴィスはべた褒めする。そのトラックはソプラノ・サックスのソロも含み、その甘いトーン全てに激しいドリルの穿孔を持つ。実に、ポーキュパイン・ツリーの要素である低く歪むギターの不在にも関わらず、そのソロ・アーティストは彼の新しいアルバムが『めちゃくちゃヘヴィー』である部分を保持する。あるとき、ウィルソンはミュージシャンへ質問した曲の『パスポートを失くしたトロルを想像して』という要望を熱心に伝えようとした(これが結局同じ人間が書いたポーキュパイン・ツリーの"Message From A Self-Destructing Turnip"という曲である)。
「最も重い楽節はへヴィー・メタルのギターとかへヴィー・メタルの語彙で演奏されてなくて、それらはバリトンサキソフォン、歪んだフェンダー・ローズ、オーヴァードライヴしたハモンド・オルガン、グロッケン、ファズ・ベースみたいな物で演奏されたんだ」ウィルソンは言う。
「そういった諸々で、それらは実際により効果があるんじゃないかな」
重みをもたらす2人の助手がドラマーのマルコ・ミネマンとベーシストのニック・ベッグスだ。亜麻色の髪のベッグスはたとえステージにファンがいてもコンサートでキルトを身に着けることで知られている。全くもって内気じゃない、言い換えると、プログ誌がウィルソンとの作業について質問してみるときを除けば。
「ウィルソン氏はおしゃべりはミックスをぶち壊すとかカントリー・ミュージックなんてものはないよって言うよ」
ベッグスは謎めいた返しの冗談を言う。
バンドの原動力は、しかしながらもちろん、気ままなキース・ムーン原子時計の計時の融合、ドイツ人ドラマー、マルコ・ミネマンだ。
「彼はやることがおかしすぎて笑わせてくれるよ」と、ウィルソンは言う。
「ときどき言うんだ、『ごめん、今日は君を見れなかったよマルコ、そうしたら一晩中笑いっ放しだから』。彼はとてつもなく愉快だ」
ウィルソンのバンドへ最も新しい加入のガスリー・ゴーヴァンはスティーヴ・ヴァイジョー・サトリアーニ、そしてポール・ギルバート等に称賛されているギタリストだ。バラードの"Drive Home"で、ゴーヴァンはフィンガー・プレッツェルのような手法で情熱的なタッチを兼ね備える驚くべきアウトロを弾く。ウィルソンはそれをいままでに録音された最高のギター・ソロの1つと呼ぶ。最初のテイクには悪くない。
ゴーヴァンがそれを語る。
「ラ・ローズ・ギター社が"Drive Home"のセッションの日に新しいギターをスティーヴンに送ってきたんだ。見た目はフェンダージャズマスターによく似ているけど、ネックが硬いローズウッドでサステニアック・ピックアップ(基本的にイーボウのタイプで無限のサスティンを生み出すための機器だが、外部の携帯機器ではなくギターのボディに内臓されている)がある。僕はサステニアックで弾いたことがなかったので、それを試すのに興味津々だった。僕は本当にギターの仕組みを調べてなくて、あまり強く弾くといつもE弦のトップがブリッジから飛び出がちだったから、全部演奏するには使用に適さなくて。ソロがある間はやったけど…まあ、キース・リチャーズなら常に5弦をうまく処理するんだろうね、僕は全部のテイクが台なしみたいに、ちょっとやっかいを起こす見苦しい奴だと思ってしまった! 僕達は更に何回か録って、彼らにはより『完璧』に聞こえたかもしれないが…その最初のソロの真意については何かしらあったね」


「僕は常に倫理観について考えていた」
ウィルソンは言い、墓地の中のアヒルの池に浮かぶ小島にある寺院のような地下聖堂に見惚れる。
「人生を愛するほど人は倫理観と死に取りつかれる」
そういった1つの引用は、スティーヴン・ウィルソンが気難しい男だとファンに信じ込ませるかもしれない。それはウィルソンの宣伝写真よりラッシュのニール・パートが更にカメラに微笑んでも救いにならない。しかしながら、ウィルソンは大抵とても陽気で常に積極的に人を笑わせる。ウィルソンのひねくれたユーモアのセンスの微光はアルバムの1曲目"Luminol"を通じて現れる。それは、みすぼらしい.ストリート・ミュージシャンという極めて珍しい思いつきから生じた怪談である。
「それは僕が住む所の大道芸人が土台になっている。彼は本通りに連日いるんだ。これが下手くそでね! 向上しそうにないけど絶対やめない。僕はこう思いついた、こいつがある日低体温症か何かで死んでしまう。それで死んでもまだそこにいるつもりでいる。で、死んでそれを自覚せずそのまま通りで演奏し続けるという、それがこの大道芸人のアイデアなんだ」
その他の物語はもっと哀愁を帯びた、生死間の埋められない溝にある悲しい回想である。
「死とその後の世界と幽霊のアイデアは我々に生について多くを教えると思う」と、ウィルソンは言う。
幽霊のテーマは、言葉通りの意味と比喩的な意味の両方、際立って叙情的なテーマがほぼウィルソンの全ての(彼の不朽の魅力である列車、殺人鬼、過ちの関係と並ぶ)プロジェクトの随所にある。2005年、ポーキュパイン・ツリーはウィルソンが映画化を望む、オリジナルの怪談を土台にした断片的な物語風のコンセプト・アルバム"Deadwing"を作った。その他、ベース・コミュニオンの"Ghosts On Magnetic Tape"、ノー・マンの"Schoolyard Ghosts"、ブラックフィールドの1stアルバムのタイトル曲、そしてウィルソンのソロ・カヴァー版の伝統的なフォーク・ソング"The Unquiet Grave"の例を含む。そうなると驚くのは、さて、そのウィルソンは実際に幽霊を信じていないのである。
「こういうことさ、僕は幽霊の存在を信じたい。誰かが霊的な跡を残して去るという考えが大好きなんだ。僕は何となくそれが起こると思う。それは超自然的じゃなくて科学的なことだ。魂とかエネルギーとか、人がそれを呼称したいものは何でも、誰かが逝ってしまった後に残るものだと思う。部屋の中で人があちこちにいるのを感じるんだよ」
ウィルソンは彼の父親の死後1年足らずで3rdソロ・アルバムを書き始めた。彼はいまだに父親のエネルギーをその書斎から持ち物が片づけられているにも関わらず感じる。
「必然的に、人は両親の片方が亡くなると次は自分だと悟るんだ」ウィルソンは言う。
「僕はいま自分の人生の終わりがその始まりよりも近いとわかる」

ウィルソンはここしばらく人生の意味を熟考している。例えば、ポーキュパイン・ツリーの1996年のアルバム"Signify"は、人々が人生の意義を見つけるための方法が、宗教、ドラッグ、セックス、コンピューター上での浪費生活を通してあるかどうかについてだった。いずれにしろ、彼の父親の死は全人生を労働に費やしたくないと自覚させたのか。彼はいつかちゃんとした旅行がしたいという。その点を強調すると、ウィルソンはべニスへ3回行ったことがあるが、空港の中とツアーバスと地元のコンサート会場しか知らないと嘆く。そして、今後5〜10年間くらいでプロデューサーとしての新しい生活を心に描いている──それは彼が冗談で言うのであって、人々がもし20年間レコードを作り続けるならば。
「それは人生を有意義にする過酷なことで、自分の人生と共にするであろうもの」
考えながらそのミュージシャンは言い、池の水に頭を潜望鏡のように上げる亀をじっと見る。
「人生まるごとビーチでごろ寝なんて期待した? 僕は全男女が簡単なことを見つけ出すとは思わない。思うに僕達は何かレゾンデートルを持たなきゃいけないと感じるんじゃない? 僕達は何か行動の目的を持つ必要を感じるみたいだ」
では、ウィルソンの人生に意味を与えるものとは?
「いくらかさっきの質問に戻るけど、僕はこれから先も、人々が100年間僕の音楽を聴くだろうと思うか? 僕はそう思いたい、ある意味、僕の人生は何か有意義で単なる自己満足以上の目的があったと思いたいから」
そうして、そのミュージシャンはスタジオに戻れるように靴ひもを締め始め、それはウィルソンが、今度ばかりは、アルバム制作で途方もなく重要な役割を彼のバンドにプレイさせる幸福の場であるが、彼自身はそこに馴染んでいると認識しているだろうか。
「比較的プレイは少なめだけど、指揮や指導の立場はとても楽しいよ」と、彼は言う。実際、彼はこのアルバムでミュージシャンとしての役割を控えめにしている。ウィルソンはベースに貢献し、更にキング・クリムゾンのデビュー・アルバムに使われた初期のメロトロンを弾いた。
ゴーヴァンは言う、「きっとこのレコードで、例えばイーボウのメロディやアコースティック・ギター全般でスティーヴンのギター・パートを聞けるよ。もしレコード上の至る所で2本のギターが同時に鳴っているのを聞いたら、1つはスティーヴンで他は僕のだ」

「その全てが僕に書かれ、その全てが僕にプロデュースされ、当然僕が歌っているけれど、音楽の演奏に関しては、僕が出来ない諸々をやれるという彼らがプレイしてくれて嬉しいよ」
彼らで実行出来たのはともかく、ついに彼のカルペ・ディエム版は成就する。
「色々なことが変わったと思う、僕は驚くべき、突飛で、対立的で、偏屈で、取っつきにくくて、野心的で、見栄っ張りで、限界を超えるかもしれない、そんなレコードを作りたいときが僕の人生でいまこのときみたいな感じなんだ」

最後の質問、ウィルソンはいずれはジョニー・ラモーンのような墓や記念碑が欲しいのだろうか?
「ある意味僕の自尊心が僕の人生のために何か自然の一枚岩みたいなものにするだろうね」と、ウィルソンはくすくす笑い、
「て、言うのはちょっとだけ謙遜で、実は自己中なだけだよ。どうでもいいや」
ティーヴン・ウィルソンは墓地に埋葬されたくないのかもしれないが、もし彼に石碑があるならば、以下の墓碑銘が刻まれているだろう、
『人生を音楽で楽しもう』