この秋、「大正」が注目される?

 班長の飯島です。
 意見は私個人のものです。
費用は建設当時のおよそ10倍の保存・復元プロジェクト


 東京駅が開業したのが大正3年(1914年)12月18日、今年はちょうど100年にあたります。現在進行中の保存・復元プロジェクトは、丸の内の新たなまちづくりの完成に整合をとり、メモリアルなタイミングを逃さない、見事なものです。
 明治29年の第9回帝国議会で中央停車場の建設が可決されましたが、日清・日露の戦費のため、実際の工事着工は伸びることになったようです。国家の中央駅、帝都の玄関口としての性格を映した意匠が求められたことは言うまでもないでしょう。いわゆる「辰野式ルネッサンス」による皇室用玄関の存在が強調されたデザインは、「天皇の駅」としての象徴的意味を東京駅に持たせることになったのでした。建設予算は当初42万円(当時)だったものが287万円、およそ7倍に時跳ね上がっています。これは現在価値に換算すると57億4千万円という計算がありますが、案外安くできたということではないでしょうか。今回の保存・復元プロジェクトはおよそ500億円ということですから10倍近い金額です。
 それはともかく、現在は、東海道新幹線の駅はJR東海が、その他についてはJR東日本が運営を行っています。そして、JRによる10月の完成に向けたキャンペーンが始まっています。東京駅100年と合わせて、「大正」という時代への関心が高くなっていくのではないかと思います。
 また、「大正政変」と護憲派と軍部の台頭、関東大震災の発生、新しい女性像や企業の創業(カルピス、グリコも大正の創業です)など新しい時代でもあった大正は、混迷状態の現在を見通すマイルストーンとなるかもしれません。
 そこで、大正時代を全体として見渡すためにビジュアル 大正クロニクル (懐かしくて、どこか新しい100年)が参考になります。

懐かしくてどこか新しい、というのはいかにも「大正」という気がします。

 そして、「大正」となれば、大正天皇のことについても改めて、その実像を確認しておきたいと思います。私には、この20年くらいの日本の状況を考えてくると、近い将来、象徴天皇制を含めて、日本という国家のことを考えることが、避けて通れない国民の課題になるだろうと思えるからです。病弱のイメージが強い大正天皇ですが、皇太子時代には全国順啓を、それも健康なものにも過度に思われるスケジュールをこなしたと原武史氏の大正天皇 (朝日選書)にあります。ちなみに、大正天皇が、伊藤博文の要請によって韓国を行啓したことも本書で知りました。

 心打たれるのは、終章も終わりに、「忘却される『大正』」の結びに引用されている秩父宮の回想と原氏の言葉です。

 話を東京駅に戻しますが、「帝都の玄関口」、「天皇の駅」としての東京駅を事実として確認する景観を最後に確認しておきたいと思います。実は、駅舎を見るのに格好の場所が正面の道路ですが、そこから駅舎を見るのではなく、振り返って反対側を見れば、道路の一直線に向かう先になにがあるのか。東京駅から出てきた人が何を見るか、そのことに気がつけば、ここにある都市計画の意志は明らかでしょう。

外国人はどう見ているのでしょうか。国際的な報道、評価をふまえ、平和への均衡を維持することの重要性を考える上で、追加の資料です。