かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

11月26日、レッド・ツェッペリンが一時的再結成!


ロック・ファンはもう知っているでしょうけど、こちらのニュースを見て、びっくりしています。


レッド・ツェッペリンが、ロンドンで再結成コンサートをやるそうです。


これまでも、85年(あの「ライヴ・エイド」)ともう1度88年に一時的な復活をしていますけど、それももう随分前ですね。ペイジ・プラントという新編成バンドでレコードを出し、日本へ来日したときコンサートも見ましたが、あれは彼らの主旨としてもレッド・ツェッペリンそのものではありませんでした。


ぼくとしては、レッド・ツェッペリンビートルズと同じく特別な想いのあるロック・バンド。当日の生ライヴは見れなくても、遅れて映像やライヴ音源が公開されることは間違いない。


気になるのは、ジョン・ボーナムに代わるドラマーだけど……?


とにかく、これはうれしいことになりました。

溝口健二監督『残菊物語』(1939年/松竹)

現在残る芸道三部作のうちの1本。歌舞伎役者と彼を支える女性との悲恋を描く。ワンシーンワンショットに近い入念でねばり抜いた撮影によって、溝口の「長廻し」撮影は完成の域に達した。


(「新文芸座」パンフレットより)


女性が身を尽くして、芸の未熟な男性を一人前の歌舞伎役者にする、という話。地を這うような貧乏生活をともに生き、男はみごとに成功。女性はそれをよろこびとしながら、身をひき、病いで死んでいく。いくらなんでも……というような涙涙涙の筋書き(笑)。


女性が身を尽くして、男性を立身出世させる、という筋書きでは、ほかにも『滝の白糸』(1933年)、『折鶴お千』(1935年)の溝口作品がある。


しかし『滝の白糸』や『折鶴お千』との決定的な違いは、溝口の関心が人間を描くことよりも、歌舞伎そのものの映像化に気持ちがはいっていること。


長い歌舞伎舞台の描写、大阪道頓堀での舟の一座のお披露目(?)などがたっぷり描かれるが、二代目・尾上菊之助花柳章太郎)とお徳(森赫子)の悲恋は、まったくの類型で、やりきれない。


それから、主演の女性を山田五十鈴のような優れた女優が演じると、類型を超えて生きるが、森赫子はまったく平凡で、お徳には魂が吹き込まれていない。溝口健二の<リアリズムの眼>はどこにいったのだろう?

溝口健二監督『マリヤのお雪』(1935年/松竹)

モーパッサンの「脂肪の塊」を川口松太郎が翻案。西南戦争のさなか、町を出るため名士を乗せた馬車には酌婦のお雪たちも乗り合わせていた……。溝口作品としては珍しく銃撃戦が描かれる。


(「新文芸座」パンフレットより)


西郷軍と明治の官軍の戦い。パンフレットの通り、銃撃戦がある。もとが翻案のためなのか、溝口作品らしくない。ひとりの官軍将校を二人の酌婦が愛するが、「だからなんなのだ」というくらい何もそこにない(笑)。


酌婦を演じる山田五十鈴も『折鶴お千』のようなきわだった魅力を欠いている。名優山田五十鈴も、これ以上どうとも役の解釈のしようがなかったのかもしれない。


溝口作品らしくないのが、いまとなってはみどころ(笑)。天才監督とはいえ、全部が全部傑作でないのはあたりまえだ。

溝口健二監督『夜の女たち』(1948年/松竹)

夜の女たち [DVD]

瓦礫の風景が残る戦後間もない大阪新世界を舞台にパンパン(街娼)の群れをリアリズムで描き当時大ヒットした。トップスター田中絹代がパンパンに転落した戦争未亡人という汚れ役を熱演し話題を呼んだ。


(「新文芸座」パンフレットより)


強烈な溝口リアリズムで貫かれた作品。戦後の街娼の、荒れ果てた精神風景が恐ろしいくらいみごとに描かれている。


◆   ◆   ◆


和田和子田中絹代)は、売れるものはすべて売っても、なお赤子(あかご)を育てる食べ物がなかった。待っていた夫は結局戦死して帰らない。唯一和子を支えていた赤子(あかご)は、幼児結核で、十分な栄養もとれぬまま死ぬ。


ひとりになった和子は、夫が生前努めていた会社の社長・栗山の世話になる。栗山の愛情の告白で、和子はわずかな平安を得るが、好色な栗山は、朝鮮から帰った和子の実妹・夏子とも関係をもつ。男と妹の裏切りに、和子は絶望する。


突然姿を隠した和子は、街娼となっていた。和子の精神は荒廃し、男からもらった梅毒を、男という男へ「バラまいてやる!」、と訪ねた妹・夏子にうそぶく。


◆   ◆   ◆


救いがない。若い女性は男にアッサリ騙され、売られて、街娼に転落していく。騙される女がバカなのだ。街娼たちは病気に汚染され、それが男たちに伝染していく。


田中絹代のパンパン(街娼)も、溝口演出は容赦がない。スターが演じるときありがちな<同情をさそう>パンパンではない。田中絹代は、体当たりで、心の荒れた街娼を演じる。凄い女優だ、と改めて感心。


前日(9月11日)見た『残菊物語』、『マリヤのお雪』のわずかな不満が、これで晴れた。溝口健二のリアリズムに圧倒される。

溝口健二監督『女優須磨子の恋』(1947年/松竹)

女優・松井須磨子と、文学者で新劇運動の先駆者、そして妻帯者であった島村抱月の悲劇的な恋。当時の舞台劇の再現を豊富に盛り込みながら、自由恋愛に対する偏見や重圧に挑んだ須磨子の姿を重厚に描き出す。


(「新文芸座」パンフレットより)


イプセンの『人形の家』の女性主人公・ノラは、夫の愛玩物であるとを嫌い、ひとりの人間として自立を願い<家>を出る。イプセンが書いた『人形の家』は、近代劇のなかで、女性の解放と自立を描いた「事件」だった。


近代思想の先端にたつ島村抱月山村聡)は、この『人形の家』を舞台化したいとおもうが、いまの日本にはノラを演じられる女優がいない。ついいましがたまで、舞台の女を女形(おやま)が演じていた時代なのだ。しかし、この劇を女形が演じたのでは、意味がない。かといって、旧来の道徳にまみれた女優にノラは演じられない。


そんなとき、抱月は、「別れたくない」とすがりよる夫に、決然と別れを叩きつける松井須磨子田中絹代)を知る。須磨子は、抱月が所属する、「演劇研究所」の研究生だった。


抱月は、おもう。ノラを演じられるのは、須磨子よりない!


抱月の厳しい演出に須磨子は少しもひるまない。「先生、わたしをもっと鍛えてください」という。抱月と須磨子の命がけのような稽古が連日続く。


島村抱月演出、松井須磨子主演の『人形の家』は大ヒット。ノラを演じた松井須磨子は絶賛される。そのとき、抱月と須磨子のなかには、演出家と女優以上の強い感情が芽生えていた。


日本の思想界では最先端にいる島村抱月だが、彼は旧家の養子で、彼の妻も義理の母も、古い道徳のなかで生きていた。そんなさなか、抱月の須磨子とのうわさが大問題になる。


「演劇研究所」の中心的存在、坪内逍遥東野英治郎 )は、抱月の義母の依頼を受けて、抱月の説得にあたる。同時に、須磨子は「演劇研究所」をクビになった。


旧来の道徳のなかに生きるか、自分の心に正直に生きるか、島村抱月には、それは観念的な命題ではなく、自身に直結する問題だった。


抱月は、妻子と家をすてる。そのことは「演劇研究所」から追われることであり、坪内逍遥との訣別も意味している。


抱月と須磨子は、互いを欠かせない伴侶となった。抱月は「芸術座」を立ち上げる。が、つねに資金不足がつきまとい、地方を巡りあるいて資金の調達に奔走する日々が続く……。


◆   ◆   ◆


島村抱月の病死を悲しみ、日本最初の舞台女優・松井須磨子は、その2ヶ月後、自殺する。須磨子は、その時女優としての頂点にあったが、抱月の死の悲しみを乗り越えることができなかった。


溝口監督は、もともと近代女性の先駆け的なノラを描くよりも、時代から取り残された女性たちを描く方が芸風にふさわしい。映画の前半は、観念的なセリフが多くて、人物も類型を出ていない、と思った。


しかし、段々それを忘れる。観念的な硬いセリフが浮いてないのは、島村抱月を演じる山村聡が、抱月にきちんと魂を吹き込んでいるからだ、と思う。抱月を演じた山村聡がいい。


見ていてついつい連想してしまうのは、舞台と映画という違いはあっても、同じ演出家と女優であり、生涯の伴侶であった新藤兼人乙羽信子のこと。


独立してからの苦労まで、よく似ている。


しかし、須磨子は病死した抱月を追って自殺してしまったが、乙羽信子の最期を看取ったのは新藤兼人であり、その新藤兼人は95歳の現在も元気で映画の仕事をしている。こちらは悲劇でないのが、うれしい。


溝口健二、得意の作風ではないが、それを超えて力強い作品でした。