ケチらないのは教育費

今週のお題「ケチらないと決めているもの」

ここ最近捨て活ばっかりやっていて。
つまりは持ち物はを把握しながら、今あるもので楽しもうと、あんまり買わずに節約生活をしてます。
だから「ケチらないでお金を使う」なんて何も思いつかんと思ってたんですが、どうしてこう節約生活になったって、根本の原因は

子どもにお金がかかる!!!

からです。
つまり、そこをけちってません。

まだ学生の上の子は、奨学金借りずにこちらの仕送りでやってます。
書類出すの大変そうなのと、あと、もろもろの複雑な事情がいろいろ、、、。
なので、めっちゃかかってます。

下の子は就職して家を出たのですが。
一人暮らし開始にあたって、この春、初期費用がかなりかかりました。
まだお給料が出るわけではないので、こちらが出すしかないです。

ちなみに子どもの友人の中には
「初期費用を親が出してくれない」
とかで苦労したり、希望の家に住めなかったりとかいろいろあるようなのですが、そんなのを聞いてしまうと、とりあえず自分ちの子にはできる範囲で補助するしかないだろう、と思うのです。

今週は、(ようやく)洗濯機を買ってあげました。
ドラム式です。ひー。

多分、下の子にこうして何かあげるのは最後かもなー、みたいな感じです。

cam.hatenablog.com

そういえば、こんなことを言ってたことを書いてました。
決して見栄を張ってるわけじゃないんですが、お金が関係しててもしてなくても、お互いを大切にする、そういう関係をちゃんと築いてゆきたいと思うのです。

コレクションに注意、モノは用途別に

まだまだ片付けやってます。
そこで気づいたことを書いていこうかなと思いまして。

オタク気質があるので、はまったものについてのもの、たくさんありました。
アニメ、バンド、特撮、といろいろその都度夢中になった作品、グループありまして、集めてたものがきれいにまとめて箱やらファイルやらに入れてあったのです。
本棚にきれいに収まっていたので、これまた盲点でした。

が、今回、全出しして中を確認してみると。
いるいらないの前に、用途があるにも関わらず「この作品のコレクション品」ということでしまいこんでいて、使ってなかったものがけっこうあったことに、気付かされたのです。

例えば。
SCRIPTファンクラブの記念品だったかで送られてきた、アイロンワッペン。

これは、コレクションではなく手芸品のところに移動。

ボウケンジャーの切り抜きなどのファイルに入っていた、シールたち。

これはシールを集めてあるところに移動。
「シール使いたい」
って時はここから使うようにしてます。

子どもの記念写真の箱の奥におまけで入っていた、ハンカチまでありました。
ハンカチはハンカチのコーナーに。

などなど、という感じです。
存在を忘れていたものは捨てるのが鉄則かもしれませんが、まぁ、とりあえず存在を認識して「とっておこう」としたので、使うところに置いといて。
それでも使わなそうだったら次に捨てるかな、という感じです。


だいぶ減ったようでいて、自分の歴史の分まだまだモノを持ちすぎているので、見直してゆきます。
昨日は残したものも、数日経ってみて、「やっぱりいらなくね?」って思えるものもあるので、そう焦らずに。

モノ捨てしたら、やりたいことが見えるようになってきた

cam.hatenablog.com

先月にひき続き、モノ捨て続けてます。
ペースは落ちぎみですが、やはりまだまだいらないもの、それから、未開封のものなどありまして。
捨てるだけでなく、見えてなかったものは見えるように、袋からはなるべく出すようにしています。

捨てたり整理したりし続けてきて見えてきたものがあった、その話です。

参考にさせていただいている「しぶ」さんが話していることと同じなのですが。
必要なモノは、「それを使いたい」と思っているモノなので、必然とモノが「やりたいこと」に結びつくのだなと。
つまり、「残した」のだから「やらねばなりません」なのです。

書類系

これまで(というか今も)、自分のモノに対する向き合い方は、「資料室」のような付き合い方がしたかったと気づきました。

誰かに
「⚪︎⚪︎について教えて」
と誰かに言われたら、書庫に向かって資料を探し、
「それならここにこう書いてある」
みたいなふうに説明できる、そんな感じ。

書庫みたいな家ではありませんが、確かにそうやって、いろんな人に
「持ってるんだ」
「すごい」
「助かった」
と言われてきたし、言われたい。

先日も子どもに「きりん座について」聞かれて、天文職やってた時の切り抜きを本棚のファイルから引っ張り出してきましたが。
自分自身が
「そんなの持ってたんだ」
みたいに驚いたのでした。

ただ、時代は変わりました。
手持ちの情報は古く(古くならないのもあるけど)、ネット検索の方が当たり前、手持ちの資料の量こそ中途半端です。
教授でもなんでもないんだから、背景に本棚を作って並べておく必要もなく、もう、自分にとって必要ないものは処分を進めた方が良いようです。
というかそう思って捨ててゆきます。

手芸とか雑貨とか

服も、雑貨系も、子どものものも、だいだい分類されてまとまってきました。

手芸材料は、そもそも何を持っているのか見えてきたので、手をつけやすくなった気がします。
ちなみに年始から編み物やって材料をほぼ使いきりました。
それを機に棒針は処分。
かぎ針はまだ残ってますが、多分、もうこれで編み物は卒業かなと思ったりしてます。

そう、手芸とかいくらかできる分、材料系が出てくると「捨てる」より「これが作れる」とクリエイティブになってしまうのが、よくないのでしょうが。
「作りたい」もやりたいことなら、無理せずやっても良いのではないかと思うのでした。


先週末に作ったエコバック。
材料残しておくなら、作るのです。
(仕事カバンに突っ込んであったのを撮影のために出したら、しわが)

やりたくてもできなかったこと

「1年使ってなかったものは捨てる」
なんていうのが捨て活のルールだったりしますが。

子どもが手を離れて自分の時間が格段に持てるようになって、今までずっと使ってなかったものが出番を得るようになってきました。
「やりたくてもできなかった」ことができるようになったのです。
捨てないでとっておいた自分もすごいですが、ようやく訪れたチャンスなので使います。


年始の頃は「次の旅どうしよう」みたいに検索したり動画見たりしてたんですが。
やることいろいろ発掘されてきたので、おうち時間がとても必要になってきました。
旅はまた考えますが、しばらくは自分のモノとそれを使ったやりたいことに向き合っていこうかと、そう思います。