<2005/12/ 3>

成田空港に集合。チェックイン。荷物は23kgでO.K. チェックイン時、荷物はムンバイまで、との確認がのちにトラブルを招く。

バンコク空港に到着。AI309からAI359にトランジット。結果的には航空券の券面を信じてここでムンバイ行きに乗り換えるので正解。ただ、デリー経由ムンバイ行きという事前情報があったため混乱。一部の方があやうくAI-309に残るところだった。スチュワーデスさんもこれでいいはずだ、などと言っていたとのこと。

ムンバイ空港に到着。滑走路ながら、インドの大地に初めて降り立つ。なにか空気が濃い感じがしてひそかに圧倒される。

早々に大トラブル。ほぼ全員のスーツケースがロスト。職員に貧しい英語でかけあう。調子のよい職員で、知っている日本語を妙に使いたがる。でも最後まで根気よく付き合ってくれた。とにかく明日に届ける予定とのこと。

空港を出ると、人の山、山。なんだこりゃ。現地時間で零時を回っていたと思うが、なぜか人で溢れている。迎えに来ていたバスに乗って、一路プネへ。ここから日本と違う点が目白押し。車線はなく走りたいように走るし、クラクションは鳴りっぱなし。道も車のサスペンションも悪く、ひどい揺れよう。車窓から何度も見たのが、男性二人組が立っていたり座っていたり、談笑していたり、黙りあっていたり。。野良犬も多い。バスの車内ながら、蚊に何箇所も刺される。かゆみすら、日本のそれと少し違う。

<2005/12/ 4>

ラッキーなアパートにあたったようだ。が、トイレが壊れている。

仮眠を経て外へ。アパートの門番さんにフレンドリーに話しかけられるが、まったく言葉が通じない。わかったのは、Buddist、fifteen yearsくらい。何の話だ。とりあえずガッチリ握手してバイバイ。

陽射しは強く、重い。湿度が低いので不快ではない。非常に埃っぽい。

見つかった荷物が本日深夜に届く予定との朗報。歓声が上がる。

スーパーマーケットにみんなで行ってみる。

ウェルカムディナー。こちらでは飲酒は基本的に好まれないが、日本的な盛り上がりを見せる。いいのか?

<2005/12/ 5>

インド訛りがきつい方の英語はかなり聞き取りづらい。相性があるようで。

夕方は、プネサバイバルと称して、リクシャを拾ってマーケットへ。リクシャでの移動はスリリング。

降りてすぐ立ち寄った商店で、赤い粉を額に塗ってもらう。Kun-Kuと言うらしい。流れで金額を確認せずに塗ってもらってしまったので、高額の請求をされるかと身構えてしまったが、店主はノープロブレムという表情。恥じる。

食器洗い用のスポンジや洗剤を購入。屋台で値段交渉。面白いやり合い、と言うこともできるけど、購入者が納得した値段がその商品の価値だ、という本質を意識する行為でもあると思った。

帰りのリクシャでは、道半ばでいきなり停車。運転手が無言で下車して公衆便所で用を足す。あのう、急いでるんですけど。。

<2005/12/ 7>

少し慣れ、緊張感がほぐれてきた。用意された夕食をキャンセルして街へ。思ったよりとても暑く、Tシャツを買いたかったが、思ったように入手できず。先日行ったマーケットの方が適しているかもしれない。夕食はFat Kongというお店でChineseを。味はまあ、世界各地にある中華、という感じ。ただ、インド価格(われわれには安く感じる)。人懐っこい担当(華僑?)のためにチップを置いたが、インドでの相場はよく分からない。気持ちということで、フルーツが買えるくらいのコインを置いてきた。

街を歩いていて物乞いの子供に出会う。私は、せがむ彼の目を見てNo、と言った。今は自分の知らない・分からないことが多いが、だからこそ、そういう方針。

帰りはリクシャ。最後で若干迷ったが、ほぼストレートに着いた。メータ正規料金より多く(と言っても差分は25円)請求されるが、手持ちの料金換算表を見せて正規料金のみ支払って降りる。車夫は、メータが壊れているから本来より安く出ているんだ、と言っていたが、それが本当なら直しとけよ…、と思った。ただ、深夜でないとは言え、若干郊外まで乗せてもらったので少し後ろ髪を引かれた。

<2005/12/ 8>

ポールを使ったアクロバティックショー(マラカムというらしい)を見に行く。地上から真上に2mくらい突き出たポールに、小さな男の子たちがぐにぐに絡まったり、先端に立ったり、そこから宙返りしたりするもの。呆気にとられる。小さな女の子たちが、5mくらい垂れ下がったロープをするする登ったりやはりぐにぐに絡まったりするものも見る。

誘われて夕食へ。インド食ですが、これまで食べたうちで、一番美味しく頂きました。右手だけで頂くのも少し慣れてきました。

<2005/12/9>

日曜日にDさん(インド人)たちと映画を見に行く約束をした。最初はインド人3×日本人3のグループ交際のはずが、他の日本人たちもご一緒することになって3×9のアンバランス。競争率高し。

昨晩の夕食後はうちのアパートで飲み会。ほとんどの研修生が集まる。20人くらい。同じ会社の人はともかく、仲介会社の方のお話が面白い。幸せな働き方を探せるアグレッシブさがうらやましい(私自身も相当ラッキーだと思っていますが)。仕事自体より個性の面で刺激を受けます。

<2005/12/10>

今日はプネ巡り。特別、観光地ではないのですが果たして。

まずはプネ大学へ。

プネ大学構内は緑が多く、とても静か。アパートでも研修所でも、車の走行音とクラクションが聞こえっぱなしだが、道路からちょっと離れるとこんなにも静かなのだ。構内のオープンテラスカフェでチャイを飲んでいると、仔猫が寄ってきた。インドでは道端にいろんな動物をよく見かけるが、猫は比較的珍しい(だいたいは野良犬、野良ヤギ、野良牛)。

丘の上にあるパルバティ寺院へ。

プネ市内を一望できて気持ちがよい。夕日も美しいらしいが、少し時間が早かった。

子供たちはとても元気。写真を撮られるのが大好きで、デジカメで撮った写真を再生して見せると大喜び。フィルムカメラだとプレビューできなくて少しがっかりそうにする。

しかしこのあと「写真を撮らせてやった代」2ルピーを請求される。彼らは身なりもよく、楽しそうで困っているふうでなく、お金を乞う必要はないのでは、と感じたのだが。チップということか。払わなかったけど。難しい。

プネ・セントラルという(こちらでは高級)デパートへ。品揃えはともかく、日本のデパートと雰囲気的には変わらない。価格もこれまでの中で最高。数千ルピー(〜万円)の商品がたくさんある。日本人からすると奮発して買えなくもない値段だが、インドの物価を考えると物凄く高いということになる。というわけで、お客もおそらく富裕層ばかり。ちなみに私は今朝がたアパートの近くで75ルピー(200円くらい)のTシャツを買った。

アパートのある郊外アウンドゥに戻って夕食へ。Polka Dotsというお店。途中、結婚式のパレードに出くわす。大音量の音楽で通りすがりの人たちを巻き込んで大盛り上がり。道端の子供たちもノリノリで踊っている。笑顔で見ているとまた1ルピー請求された。

まだ1週間だが、本に書いてあった通りの、極端な貧富の差をどうしても実感する。今日いち日だけでも。。

<2005/12/11>

今日は映画を見に行く。

ちなみに出かける前に近所のPizza Hutで昼食。ここは高級店のようだ。高級と言っても、値段ではなくて雰囲気というか客層というか。実は昨日の昼食と夕食についても、値段はほぼ同じながら、客層というのが全く違うとのこと。われわれ外国人には敏感に察知できない壁があるようである。

さて、行ったのはシネコンで、これが設備面ではほとんど日本のそれと同等である。値段はわれわれにはとても安い(80ルピー=200円くらい)。
観たのは、NEAL&NIKKIというラブストーリー。インド訛り英語+ヒンディ語(もちろん字幕無し)でほとんど聞き取れなかったが、それでもストーリーは伝わり(単純)、例によってダンス&歌に圧倒され、とても楽しめた。

Dさんに日本のお土産を差し上げる。お餅、味付け海苔、ゆかり(紫蘇ふりかけ)、レトルトのケララカレー。最後のはつまり、南インド風のカレーだが、Made in Japanなわけで、ご感想を伺いたく。。各食材の食べ方を説明していたら、じゃあ今度の日曜Dさんのアパートに来て手伝ってくれとのこと。実現できるかな?

<2005/12/13>

月、火と、ほぼ研修所との往復生活。

研修所すぐ近くのチャッパル屋でサンダルを買った。例によって値段交渉。300Rs(≒750円)から始まって結局215Rsで手を打ったが、インド人たちは100Rsくらいで買っていると見た。たぶん。ちなみに買ったのは日本にもあるようなしっかりしたサンダル。いわゆるチャッパルだともっともっと安そう。100Rsを超えるものは高く感じるようになってきた。

<2005/12/17>

週末がやってきた。平日はかなり時間に追われている。

年末年始にゴアに行く予定なので、バスの予約をしに行く。ほぼ英語が通じるので基本的には大丈夫だが、どうもアバウトなところがある国なので、紙に旅程を書いて確認しながら予約。Prevention is better than cure.

夕方は、G先生のお宅でのパーティに招待される。ご親戚にタブラを演奏される方がいらっしゃって、拝聴。すごい。。指を結構使うんですね。

<2005/12/18>

早起きして日の出を見に行く。CHATURSHRINGI(チャトルシンギ)という寺院の上の丘がビューポイント。そう高くないとは言え、時々手を使う必要のあるようなちょっとした山登りであった。

この時期の朝はスモッグが非常に濃く(大気汚染がひどい)、見えないんじゃないかと危惧したが、さすがお天道様はものともせずにくっきり出現。感動。来年は富士山の上で見たい。。

アウンドゥに戻って朝食。最近、朝晩は冷える。熱いチャイがとてもおいしい。

お昼はインド人Dさん、Nさんとランチ。リクシャでアウンドゥと逆方向の郊外のレストラン(Mirch Masala)まで行く。

待ち合わせまで時間があったので、レストランからちょっと歩いて商店街で水とテレホンカードを買う。水を買ったお店はほとんど英語が通じない。居合わせた英語を話せる客がフォローしてくれた。一方、テレホンカードを買ったお店では、店主が英語でわざわざカード券面を説明してくれた。ランチはとても美味しかったが、惜しくも、味より値段(200ルピー)のほうが上だったかもしれない。ちなみにこのランチ前後は日本人ひとりでの行動で少し消耗(でも気楽だし自信もつく感じ)。

アユールベディックなるインド伝統のオイルマッサージを体験に行く。感想を一言で言うと、得がたい体験をしました、というところ。。詳細は直接私に聞いて下さい。:-p ちなみにこちらの感覚では目の飛び出るような値段(900ルピー≒2,300円)。

夕食はステーキレストランへ。普段はあまり肉らしい肉にありつけないので(もちろんチキンは口にしている)、久々にビーフを食べようと意気込む。が、注文したミックスグリルはラム肉であった。あとで他の人に聞いたらビーフもあるらしいが。。それにしてもボリューム多すぎ。

あまり関係ないが、成田空港を出発以来、禁酒中(と言っても、お付き合いで2回だけビール1杯ずつ飲んだ)。インドにいる間、何か続けてみようかと。たいしたことじゃないですが。。ちょっと痩せて体が軽くなった(ような気がする)。

<2005/12/19>

インドでは、'Yes'とか'No Problem'の意味で首を横に振る。もちろん、'No'のときも首を横に振る。これが非常にまぎらわしい。'Yes'のときは横に振るというより首をかしげるような感じである。レストランで「これはスパイシーなのか」とか「シュガーレスのコーヒーはあるか」とか聞いたとき、ウェイターの応答には注意が必要(なぜかあまり口に出してくれない)。表情を見るほうが確実っぽい。

リクシャドライバに「どこそこに行ってくれるか」と言ったとき、「まかしとけ」的に首をかしげるのに関しては、割と分かりやすく、頼もしい感じがする。が、たいてい彼らは道を知らず、途中で人に尋ねている。

<2005/12/24>

みんなでエローラとアジャンタの石窟寺院を見学に出かけた。バスで片道7時間くらい。

土曜はエローラ。見所の第16窟は、岩山ひとつを切り出して作ったと思うと感嘆。

同じマハラシュトラ州から来たという一家のオヤジと少し雑談。物売りを避けてばかりいると、彼らのようなフランクなインド人と話すチャンスをあやうく逃しそうになる。

あと、修学旅行と思しきインドの女子学生集団に大モテ。なかなかないですな。

夜はアウランガーバードのホテルに宿泊。チェックイン後、ミニタージマハルとも呼ばれるビービー・カ・マクバラを見に行く。イスラム建築ということで、スペインで見たアルハンブラ宮殿のような'びっしり感'を期待したが、壁の彫刻はあっさり。ガイドの説明どおり、予算がなくて断念したということに納得。むしろ、タージマハルへの期待が高まった。ぜひ見たい。

<2005/12/25>

日曜はアジャンタへ。エローラは寺院のスケールの大きさが際立ったが、こちらは寺院内部の壁画や彫刻がメイン。

壁画のあとを見るに、描かれた当時はさぞ美しかったろうと思った。2000年前の寺院そのものはもちろん、200年前の発見者のイギリス人のサインが柱に残っていたりして、この辺鄙な場所の長い歴史を感じた。中学だか高校のとき、社会の教科書で読んで、まさか自分がそこにいくとは思わなかった。

<2005/12/26〜28>

バスの予約を変更しに行く。

前回と違い、店はにぎわっている。が、'Sir?'とすぐ対応される。その後'5分待て'と何度も言われ、気長に待つことにする。

待ちながら見ていると、新しい客が来るたびに今やっている仕事を止め、'Sir?'と対応している。なるべく仕事を抱え込んでから、並行にさばく方針らしい。

なんとか無事に用事を済ませ、がっちり握手。結局1時間近くかかった。思いがけず、達成感を得てしまった。。

バスの予約がこのとおりなので、バス停(ピックアップの場所)にも不安を感じ、下見に行くことにする。

プネ駅の近くで、最終的にだいたいここだろうという場所を発見

駅周辺は初めて訪れたが、普段過ごしている場所とはまた少し雰囲気が違う。低層の人々が多く路上で暮らし、綺麗でなく、臭いもきつい。ただ、日本でのそんな光景とは違うことが少しあって、それは、人々が確かに生きている、という感じがするのと、その存在が当たり前というか社会に組み込まれているというか、そんな感じがすることである。でもまだよくわからない。

タブラを買いに工房へ。ラクシュミロードから小さな路地に入ったところにあった。頼んでおいた楽器は最終調整中。チューニングはC#。へぇ。

<2005/12/29>

今日はアパートでなく、プネ市内のホテルに外泊。できたばかりできれいな高級ホテルだが、さっそく、お湯が出ない。フロントに電話するといつもの「5分待て」。でもホントに5分でお湯が出るようになった。これ以外は大満足のホテルでした。

<2005/12/30>

一路ゴアへ。プネ駅近くのバス停でバスを待つ。果たして自分の乗るバスが来るのか、来てもそれと分かるのか非常に不安。結果的には、乗れた。ピックアップ場所のガソリンスタンドの名前だと思っていたのは、実はバス会社の名前だった。代理店とバス会社とピックアップの場所の関係がやっと見えてきた。

多少予想してはいたが、車内は厳寒。エアコンが装備されていればそれをきかせるのがデラックスだという発想。インド人の乗客たちは厚着をしてきている。

<2005/12/31>

バスの車内で目覚めるとゴア。椰子の木がたくさん。パナジで下車。日が昇るにつれ、南国らしさが強まる。日差しはきつく、白い建物がまぶしく感じる。

ここでは、リクシャはメーターで走る発想はないようだ。まずは価格交渉が必要。

パナジ教会を見た後、オールドゴアへ。リクシャで走る海沿いの道は爽快。フランシス教会、考古学博物館、ボムジェズ教会を見学。フランシス教会ではちょうど礼拝が行われていた。サリー姿の女性のひざまずいて祈る姿が新鮮に映る。

パナジへ戻って昼食。フィッシュカレー、フィッシュフライを食べる。鰯の一種だろうか、馴染みのある味。

マプサを経由して、有名なアンジュナビーチへ。南国らしさに加え、外国人の姿が増え、ハワイアン音楽すら流れ、インドらしさがより薄れた感じ。野外ニューイヤーパーティに向けてリハーサルを行っているDJもおり、今夜の盛り上がりっぷりが予想される。

私たちは、翌日ムンバイ観光を計画しているため、ムンバイ行き夜行バスが出発するバス停へ向かう。

ここで、またインドっぷり体験。18:30発のはずが、2時間待つ。しかも、予定便は結局来ず、20:30発の別便に乗せてもらうことに。こんなんだったらビーチでもう少しゆっくり過ごせばよかった。。とは言え、待ち時間の間は、同じバスを待つインド人家族(息子が医学生で相当ハイソサエティっぽい)と雑談したり、チャイを飲んだり、それなりに楽しく過ごした。

さあ、ムンバイへ。

<2006/ 1/ 1>

ムンバイ入り。季節感もないまま、車内で新年を迎える。バス車内泊が続き、少しきつい。ムンバイのどこで下車すればよいか分からずにいると、乗り合わせていた親切なおじさんがセントラル駅方面への行き方を教えてくれる。

バスを降り、リクシャで最寄り駅へ。さっそく運ちゃんにふっかけられる。事前に価格交渉していても、ダメなときはダメかも。面倒になって適当なところで支払う。運ちゃんも、人はよいのだが。。

インドに来て初めて鉄道に乗る。ドアが開きっぱなしで乗り降り時は怖い。

チャーチゲート駅まで行き、タクシーでインド門へ。プネではもっぱらリキシャに乗っているので、タクシーは新鮮。

インド門の横には、超高級のタージマハルホテルがある。とても立派な建物。入る予定ではなかったが、せっかくなので潜入を試みる。入口で見ていると、Tシャツ短パンの白人客がうろうろしており、外国人観光客は服装を気にする必要はなさそう。入口の係の人に、レストランをちょっと見てみたいんだけど、みたく尋ねてみる。すると、ランチにはまだ早く開いていない、とのこと。お茶飲みたいだけなんだけど、と言うと、カフェテリアならあるよ、ということで、まんまと入館成功。

スタッフの英語は聞き取りやすいし、空調はほどよいし、確かにここにはサービスというものがあって、館外の'インド'とは別世界。頼んだコーヒーはRs.200、デザートはRs.500くらい。トータルでRs.1300くらい支払った。今まで払ったどの食費よりも数倍以上高い。デラックスバスでプネからゴアに行けるくらいの値段。味はそんなにはアレでしたけど。ちなみに、高級でサービスはあるけど、注文してから出てくるまでの時間は、インド式。

ついでにトイレにも行ってみる。日本のシティホテル並みにきれい。インドのトイレ事情からすると尋常じゃなくきれい。手を洗っているとすかさず係の人がやってきて、タオルを持って待機。さすが。

帰りのバス停へ向かうタクシーの車内から、C.S.T.(チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス)駅を見る。すごい建物。もう一回改めてゆっくり見たいかも。

セントラルのバスターミナルからプネ行きのバスに乗り込む。おんぼろバスということもあって、Rs.120くらいで安い。170kmくらいを4時間くらいで走る。半分くらいまで来ると、西ガート山脈を一気に登り始める。気温も少し下がって、いま向かっているプネが高原にあることを実感した。

隣にはムスリムのじいちゃんが座っていた。英語がほとんど通じずあまり言葉は交わさなかったが、水をくれと言われて(こちらではよくある)あげたり、彼が咳き込んでいたときにのど飴をあげたりした。彼は私よりひとつ手前で降りたが、車外から手を振ってくれた。

バスを降り、アウンドゥまではリクシャに乗る。運ちゃんは自らメーターを倒して走るのはもちろんのこと、支払い時に運賃表を確認している私に「いくらだ?」と聞いてきた。プネに戻ったことを実感した。

<2006/ 1/ 6>

研修は土日以外休みがなく、正月休みもなし。が、唯一の3連休がやってきた。もちろん、これを見ずには、と思っていた、タージマハルとガンガー(ガンジス河)を見に行く。

研修終了後、郊外のプネ空港へ。ちょうど熊本空港と同じような規模だと思った。AIR SAHARAの便にてデリーに移動。機内食がけっこうおいしい。

空から見たデリーはとてもきれい。ちょうどコンノートプレイスや繁華街の夜景が見えた。明かりがびっしり。これでインド第3の都市(人口1,000万人)か。ちなみに第1の都市はムンバイ。

デリーでは、借りた車がオーナー、ドライバーとともに待っていた。オーナー氏は身なりもよく、英語もきれいで高所得者オーラ出まくり。アーグラーで旅行代理店をやっているらしいが、たまたまデリーに来ているということで、明日車で一緒にアーグラーに向かうことになっていたのだ。ホテルでドロップオフしてもらい、いったん別れる。

旅行の手配の話。この10日間くらい、プネの研修所近くの旅行代理店に通いつめて手配した。実は、店舗に出向くより、先方に適当なところに来てもらって打ち合わせるのがポピュラーらしい(それはそれで新鮮)。が、最初にあたった代理店の人とは全然連絡・アポが取れなかった。何度電話してもダメ。これで客商売が成り立っているのか不思議でしょうがない。以前使ったバスチケットの代理店しかり。一方、通った代理店はわりあい理路整然と仕事を進めてくれた。研修の休み時間や放課後のたびに少しずつ話をしに行ったので、顔を覚えられたらしく、不要になった鉄道の切符のキャンセルなど、本来やってくれないことまで融通を利かせてやってくれた。

<2006/ 1/ 7>

ドライバーの運転で、オーナー氏とともにアーグラーへ向かう。途中のドライブインで、熊と猿の見せ物と、ヘビ使いを見かける。熊は人くらいのサイズで、鼻輪をつけられ痛々しい。ヘビは朝で寒いためか、まったく動かず。変温動物。。

オーナー氏のオフィスにて、オーナー氏と入れ替わりで、頼んでおいたガイドが車に乗り込んでくる。

昼食へ。多少予想はしていたが、提携しているふうのレストランへ連れて行かれる。まずくはないのだが、外国人向けに相当カスタマイズされていて味気ない。舌がそれなりにインドナイズされているかもしれない。

いよいよタージマハルへ。携帯電話は持ち込めず、デジカメ用途に使っている私は写真が撮れないことに(載せた写真は同行者に頂きました)。

門を抜けたところでタージマハルの全景が目に飛び込んでくる。その姿は完璧に美しい。そのインパクトで涙が出た。

ムガール帝国の皇帝が、愛する妃のお墓として建てたもの。2万人が20年働いて作ったとのこと。非常に個人的な理由で作ってしまったわけだが、このスケールを見るにつけ、皇帝の大変な想いに感服。よくもまあ作ったもんだよ。期待通り、細かな彫刻も見事。

もちろん、これまで見た建物のベスト3にランクイン。ちなみにあとの2つはアルハンブラ宮殿とサクラダファミリア。甲乙はなし。まだまだいろんな建物見てみたい。

<2006/ 1/ 8>

JET AIRWAYSでデリーからバラナシへ。

バラナシ空港からローカルバスのバス停まで、人に聞きながら歩いて20分くらい。ガイドブックによると、バラナシ空港は国際空港になる予定とのことだが、ちょっと不便。

バスを降りる場所も不確かなので、運転手の横に陣取り、時間と距離を計算しながら都度確認。

バスを降りると、例によってインド人たちが声をかけてくる。とは言え、このときはそんなにしつこくなかった。しつこくないどころか、よく聞いてみると、われわれが向かう道を懸命に説明してくれていた。やはり、なんでもNo.と言って避けていてはいけない。

バラナシの街は、正直言って、きたない。動物やゴミが多く、臭いもきつい。

ホテルに荷物を置いて、ガンガーへ向かう。妙に安い値段を主張するタクシーに乗ってみるが、例に漏れずなにかのお店の駐車場に入っていこうとする。I will not pay.と言って降りる。難しい。流していたリクシャに乗り換える。

リクシャを降りると、今度はインド人少年につかまる。妙にうまい日本語(あやしい感じがする)で、案内をしてくれる。個人的には思うところはあったが、結果的に、彼とは2日間の付き合いとなる。

日よけで薄暗くなっている野菜市場を抜けると、急に視野が広がる。そこには、あのガンガーが、何千年の歴史をかかえて、とろとろと流れている。また涙ぐんでしまった。

ボートに乗って火葬場のあるガートへ。少年に案内され、ビルの屋上で、火葬場の仕事をしているというおじさんに説明を受ける。ひと通りの説明のあと「火葬されてガンガーに流されるために、ここで死を待つ身寄りのない人たちがいる。彼らのために薪代を寄付してくれ」とのこと。そらきた。いつのまにか老女が屋上に来ており、なにかそういう雰囲気になる。薪代を彼女に直接手渡して、祝福を受けなさい、とのこと。もちろん個人の判断だが、私は、老女にはお金は渡さず、逆に彼女の肩を抱いてGod bless you.と祈った。おじさんには、薪代ではなく説明へのチップを受け取ってもらった。ビルの屋上という場所も含め、うまい仕組みの商売だと感じたが、真実は分からない。ただ、分からないことにお金を出すのは控えようと思った。まだ方針を変えるには至っていない。

最初のガートに戻り、夕方のプージャ(礼拝)を見る。ずいぶん派手。近くにいた売り子さんが、これまた単純にNo.と言って避けてはもったいない、いい人だった。彼は大学2年生でサンスクリット語を学んでいるとのこと。売り子はバイトみたいな感じらしい。彼によれば、ここのプージャは2000年に始まってまだ6年くらいの歴史しかないらしい。少し拍子抜け。しかし彼に儀式の進行の説明までしてもらい、満足。

全て用事が済んで、少年の兄弟が経営するお店へ。少年自身も最初から隠していなかったが、そういうビジネスモデル。つまり、ガイドをしっかりやって、ガイド代は請求しないが、自分のお店で買い物をしてもらう。値段の説明はしっかりするし、無理に買わせることはしない。このへんでやっと少年のことを多少信用できるようになった。効率よく観光できるメリットもある。ただ、旅行のペースを握られる結果となってしまい、それは非常に残念であったが。

夕飯は少年とその兄と一緒に。話していて、この少年は抜群にアタマがよい、と感じた。日本語や他のいくつかの外国語を話せることもそうだが、インドを警戒する観光客の心理をついたうまい商売をやっていること、人のことを非常によく観察していること、など。若干15歳。末恐ろしいと本気で思った。ついでに、彼に2つくらい説教され、ヘコむ。

<2006/ 1/ 9>

早起きしてガンガーの夜明けを見に行く。

朝のプージャはお坊さん(?)がひとりで夜のそれとはだいぶ雰囲気が違う。

いよいよ日が昇る。とても美しい。感動。

沐浴する人もたくさん。寒いように見えるが、水は思ったより温かい。日が昇るとだんだん冷えるそうだ。自分も足まで浸かってみる。ガートの石段は苔が生えていてぬるぬるする。

ボートで対岸へ。不浄の地とされているが、何もない砂浜といったところ。水に関しては、ゴミが少ない分ガート側よりきれいかもしれない。

いよいよバラナシを離れる。少年たちから紅茶を買う。絹製品は買わなかったので、チップの意味で言い値で買ってみた(足りないかもしれないけど)。

<2006/ 1/14>

夜、象に乗りに行った。子供のころ、熊本のどこかで一度だけ象に乗ったことがあると思う。写真が残っていた記憶がある。

乗り場にはラクシュミという名前の象が一頭いた。まずは、足や顔など、肌を触らせてもらう。象の肌は、ざらざらしてて、柔らかくて、温かい。象使いに、脇のあたりを触るように勧められる。さらに柔らかくて温かい。

いよいよ乗ってみることに。夜中なので周りは何も見えない。ただ、高くて、ぐらぐらしてて、あぁ、いきものの上に乗っているなぁという感じがした。ラクシュミは、おとなしくて、愛らしかったです。

<2006/ 1/15>

プネの渋谷と呼ばれる(?)、MGロードに出かける。

お店を出たところで若い靴磨きに声をかけられた。お前の靴はきたないから2ルピーで磨かせろとのこと。ごもっとも、と思ったのでお願いする。靴を磨いてもらうのはインドに限らず初めてだが、立ったまま磨いて頂くあの姿勢がどうも苦手なので、靴を脱いで渡し、私もかがんで彼の仕事を見守る。ジャイプールからプネに、一家で引っ越してきたとのこと。しかしプネは物価が高い、とのこと。お、きたな、と思った。案の定、靴磨きとして必要なシューズボックスが高くて買えないので180ルピーで人生を変えてくれ、と言われる。もちろんあげなかったが、それなりに話も弾んで、靴もきれいになったのでほんの少しだけエクストラを渡す。

彼からすれば、私はまずはOne of Japaneseなわけで、そこを超えない限り、180ルピーくれ、などと言われてしまう。なんでもそうだと思った。私からしても、彼はまずはOne of Indianであって、180ルピーと言われればそらきた、と思ってしまう。ミクロとマクロ、個人と集団。そういえばこれまで生きててその相似形をずっと見てきたのだった。人が何人か集まればもう社会であって、そこには個人では生み出せない何かが存在する。雰囲気とかノリとかいったものから、大きいものは文化と呼ばれるかもしれない。

MGロードを離れ、とある宗教団体の施設があることで有名なコレガオンパークに行ってみる。外国人たちが集まり、街がきれいで雰囲気もだいぶ違うと聞いていた。確かに、一部ながら道路は平坦で、歩道の植え込みもきれいに刈り込まれ、よく整備されている。施設の正門まで行って無料体験ツアーの看板を眺めるが、さすがに一人では入る勇気が出なかった。まあ冷やかすものでもないかもしれない。バリスタ(インド版スタバみたいなお店)で昼食。団体独特の衣装を着た外国人たちがたくさんいた。

アガカーンパレスへ。以前はマハラジャ(藩王)の宮殿だったが、現在はガンジー博物館になっている。建物はさすがに立派だが、タージマハルを見てしまった今、残念ながらそれほどのインパクトはない。先にこっちを見ればよかった。ガンジー博物館については、予備知識なしだったが、時代を追って解説してあり、面白かった。本を読んでみようかな。

<2006/ 1/22>

インド生活もあとわずか。残る休日は木曜日のNational Holidayのみ。外務省のホームページを見ると、物騒な情報も。今週末、何事もなく帰国できますように。

ラクシュミロード近くの楽器屋さんへ行ってみる。タブラは私が買ったものよりやや安いようだ。自分はよいものを買ったはず、ということにしておく。他に何か面白い楽器をと思ったが見つからず。残念。露店を冷やかしつつ、インドに来てすぐに訪れたマンダイマーケット(野菜や果物の市場)にもう一度行ってみる。だいぶ土地勘もついた。

せっかくなので、シヴァジロードを歩いて土曜宮殿へ。途中、カスバ・ガナパティ寺院に行ってみる。ガイドに書いてある通り、本当にこぢんまりとした寺院。ちょうど説法をやっていてたくさん人が来ていた。

土曜宮殿は、訪れた時間が遅く、あいにく入れなかった。

<2006/ 1/24>

そろそろ帰国の準備。荷物の一部を日本に宅配便で送るため、業者にアパートまで来ていただく。パッキングしてもらったわけだが、これまた、手際が悪いこと。。「工夫」という発想があまりないのかしらん。

子供のころ、父親が電器関係の仕事をしているのによく連れて行ってもらっていたことを思い出した。父親は器用に作業を進めていたなぁ。

<2006/ 1/25>

インドで最後のタブラレッスンを受ける。日本でも続けられるかな?

アパートのオーナー夫婦に、夕食に連れて行ってもらう。車部品会社の社長さんでとてもお金持ち。ご家族と食事できると思っていたが、レストランに着くと、オーナー夫婦のお友達一行(10人ちょっと)の会食にお邪魔することになっていた。…いづらい。

でも面白い経験だった。食事前にお金を賭けてビンゴゲームに興じたりしていて、富裕層の社交界を垣間見た気がした。

写真は上記の話題と関係ないが、近所のフルーツマーケットにて。

<2006/ 1/26>

National Holiday。各地で集会が催され、盛り上がっているようだ。何事もなく、週末の帰国便も無事に飛ぶことを願う。

朝からお昼過ぎにかけて何人かで郊外に出かけたが、あとは家で荷造りをしたり、近所を歩いたりして、最後の休日をゆっくり過ごした。

2ヶ月間に渡って断酒が成功。どっちにしても明日飲むだろうと思い、今夜解禁にした。ビール、うまい。。

写真は、出先でのお昼ごはん。

<2006/ 1/28>

出国の日。

まずバスでプネからムンバイへ。途中、外装なしで走るトラックを見る。ホントなんでもアリで驚きの絶えない国だ。

ムンバイは暑い。ムンバイのマクドナルドでマハラジャマックを食べる。チキンのビッグマック

国内線でムンバイからデリーへ。国内線から国際線へ移動し、ここでトラブルが2件。

1件は、エアインディアのシステムダウンによりチェックインが遅れたこと。1時間半待った。入国のときもトラブルがあったし、やっぱこんなもんかな、などと思っていると、もう1件。

出国審査官が、ビザにレジストレーションのスタンプが要るはずだと主張し、通してくれない…。最終的に責任者に出てきてもらって問題ないことを確認し、通してもらった。

ようやく離陸。

<2006/ 1/29>

朝の9時ごろ、成田に到着。2ヶ月前、インドに着陸したときのあの独特の空気感のようなものが、日本にもあるだろうか、と思っていたが、なにか薄くて軽い感じがする。相対的なものでしかないが、日本人だからか、自分にとってはストレスのない空気感だ。

飛行機を降りてから目にした、空港の設備・システム、リムジンバス、その切符の発券、道路、車の走り方、ビル、全てのもの・ことがインドとは違って感じる。技術や工夫があって、その品質はやはり高いし、物事は理路整然と進む。インドでのように、熱い議論やその場しのぎの対応をしなくても、うまく行くようにできている。ただ、インドのいいところは、うまく物事が進むかどうかとは別次元の、前向きで強力なパワーだと思った。

家に帰って体重を量ると、5kg減っていた。インドでの断酒と、夕食の減量と、規則正しい生活のおかげか。日本では、全ての要因がなくなるので、太る予定でございます。