「電波男」読み終える。やれやれ。

はあー、きつかった、この1冊。「あんた、ビョーキです。」と言わずにはおれんかったわ。
でも、なんとかあとがきまで行き着いて、納得。様々トラウマを抱えていらっしゃる人だねえ。
でもあんたがいってる事はおそらくは育児者失格のお母さんのやった事とも作者の嫌う「負け犬の遠吠え」や
だめんずウオーカー」の作者の手法とも殆ど変わらんのだよ、気の毒に。
やはり誰かを攻撃する事で自立を保とうとしているからね。
私はこの二人の作家はあんまり好きじゃないんで「電波男」の言ってる事には半分は「ふん、なるほど」と
理解できるところもある。というよりなあ、「負け犬」って言葉が嫌いなんだよ、
なら私ら30代、既婚子供ありの女は「勝ち犬」か?そんな「咬ませ犬」みたいな言葉は嫌だね。
大体「勝ち、負け」ではなしを持っていこうとするのに無理がある。
それでも本を売らんかな、の姿勢なんだろう、色々世の中、せちがらい、と好意的に思っていたし、
だめんずウオーカー」も巻を追うごとに別種の同性に対する罵詈雑言が陰を潜めたから、
やはりもうふっきったのか、と安心した。「いいじゃあないか、人生いろいろだもの」と行き着けば幸せだ。
私は、自分の決めた事を後悔する事はまずないんで今の人生を否定する気はない。
同じように別の人生を選んだ人を断罪する気もない。された嫌な思いを他人を押し付ける勇気はない。
だから「電波男」が宮沢賢治の「よたかの星」の話を出してくるところなど、いやはや、と思いつつまあ、まあと息がつけた。
いいんだよ、2次元萌えでも。私自身は1次元萌えだしね。(それにつけてもアダムダルグリッシュ様、、)
それから2次元萌えを3次元に還元してはいけない、という至極尤もな意見もうなずける。
ただ、いってる事が結局は「俺好みに女を変えてやる」ではなあ。
それに自分が3次元の女のビジュアルにこだわるんなら相手だってその権利がある事を認めんといかんでしょう。
どうも「好みの女の子が自分の思い通りの人間じゃないから間違ってる!」といってる感が拭いきれん。
あんまり言うと「恋愛資本主義」に毒されてる、と言われかねんが。
大体私は「セカチュウ」より「ピカチュウ、自己チュウ」の人だし、電通博報堂のまきちらす妄想も大嫌いだ。
最近復活したあのコカ・コーラの宣伝の嘘っぽさ、吐き気がする。
今どき瓶入りのコ−ラ握ってる奴なんか見た事あるか?どこに売ってんの、それ。
また「負け犬」の一時よくつかわれたコピー、「女30代独身子無しはどんなに美人で仕事ができても負け犬」には顎が外れたね。
おい、ほんまに仕事ができるンか?大体美人なんか?と突っ込まずにはおれんわ。
すみませんねえ、私の友人で仕事ができて美人はとっとと結婚してるんでね、そういう要領の悪い知り合い、いなかったんですよ。
結婚は人生の重大事の一つですがそれ以上でもそれ以下でもなく、したくない人はしないでもいいし
それを恥ずべき事と思う必要もない。だから「負け犬」なんて何、誰にシッポ振ってんの、と思うし
そんな持って回ったプライドの示し方するわけわかんねー女のいう事に「電波男」が
どうしてそうも異様に反応するのか不思議でしょうがない。結局は「負け犬女」が好きなのか?に行き着いてしまう。
好きなら好きで努力しろよ。「恋愛資本主義が悪い」じゃなくて。
ま、マルクスも資本主義についていけなかったから社会主義思想をつくり出したらしいので
恋愛資本主義」思想はなかなか笑えていいんだけど。
でもマルクスってお手伝いの女孕ませるくらいの器量はあったらしいからね、
がんばれ!「電波男」。(この項しばらく続く)