(小五〜中一)

管弦楽部部長の兄の影響で車にはクラシックがよくかかる様になる

ほか、兄の影響で、Mr.ChildrenSpitzを知る
世間はこむろふぁみりーがでしゃばっていた、兄はそれを殺したいほど憎悪していた「あんなのは――ピー――してしまえばいい」とは兄談
また、兄は洋楽もよく聴いていた
oasisレニー・クラヴィッツ
特にMetallicaなどスラッシュメタルデスメタルが好きだった模様、カーカス(CARCASS)はヤヴァかった
ほかにはVAN HALENDEEP PURPLEといった王道ロックを
BON JOVIJAMIROQUAIなんかも聴いてた様な




小五から塾に行っていた所為か、夜更かしを覚える
中学に入り、夜の楽しみといえばラジオだった
この頃はTBSラジオの「宮川賢の誰なんだおまえは」という馬鹿番組に興じる――2時間番組だったのだが、合間に10分番組が4本ほど挟まれたりする(パーソナリティとの絡みは無く、独立した一番組として存在)
これに一時期「虹」で復帰する前のL’Arc〜en〜Cielが出ていたので何故か曲をよく知ってるのだが、SAKURAがサツにパクられた為、ラルクの枠がプロモーション枠になったりして、世間とクスリの怖さを子供ながらに感じ取った

因みに、後に90分番組に短縮され、現在はもう無いらしい

そいや、この頃エアマックスとかじーしょっくとか流行ったね
兄は広末涼子の大ファンだったね、懐かしいね

中学に入り
初めて買ったCDはウルフルズのバンザイ(中一の冬だったか)

(中二・第一期)

中二(1997年)になると、
友の間でバンドブームが到来、しかし、世間を席巻していたのはヴィジュアル系バンドブームであった、その中で嫌いじゃなかったのはLa’cryma Christiとか(顔じゃなく歌唱力で勝負してんのが好印象)
ほか、友達の間ではモー○○グ○。(伏せ字だらけだけど解るよね)だとかが流行るが、大体は「○○不細工だよなー」と似顔絵を描いて暗い話をしていた、昼の放送でかかると踊りだす奴もいた(振り付けは完璧)
余談
中学男子はエロの塊なのでアイドルの話をする奴がいるのは寧ろ普通だが、俺は興味がなかった、今思えば偶像崇拝が嫌だったのだろう
加えて余談
成人式で皆が集まったとき行ったカラオケで、当時踊ってた奴は「松○○や(全部伏せ字にしたいくらい嫌い)」を踊っていたので、あ゛〜、と思ったよ

因みにラクリマを知ったのは前述の10分番組のひとつ。
Blankey Jet Cityがプロモーションに来た記憶もあります(「ロメオの心臓」の頃)。

ほか、印象に残っている曲
楽園/THE YELLOW MONKEY
ループスライダー/真心ブラザーズ
Swallowtail Butterfly〜あいのうた/YEN TOWN BAND
↑cf.)スワロウテイルCHARA
Hello Again 〜昔からある場所〜/MY LITTLE LOVER

(中二・第二期)

中二の三学期(1998年)、担任(女)が懐妊した為やって来た先生(男)から多大な影響を受ける、
尾崎豊を歌ったりする凄い人でしたが僕はとても好きでした

中二の誕生日にギターを買ってもらい(クラシックギターだったが、自分のを持つ事が嬉しかった)、片端から耳コピする
父も昔かじっていたと言うので教わるが、アルペジオなどの高度なテクニックをいきなりやらされて面倒になり、独学で弾いたので、父から教わって弾けたのは「禁じられた遊び」のみ。

弾きたい→曲を聴く→弾く→(自己)満足→もっと弾きたい!→もっと曲を聴きたい!
というループが出来上がり音楽に対する欲求が生じる

この頃、好きな子がいたりしちゃった(かなり引き摺った、後に俺の親友と付き合うが現在は破局した模様、今更どうでもいいけど)ので、若気の至りで作詞をした(消したい過去)

あと、世間は丁度新世紀エヴァンゲリオンブームでしたが、テレビ見ない(古畑任三郎と週末の映画と宮崎駿の作品(茨城なのに何故かデフォルトで受信可能な千葉テレビでやってた「未来少年コナン」とか)は別)俺には何のこっちゃでした

FF7の為にプレステを買った記憶があるよ
中一の時は科学部に在席して金賞を貰ったりしたけど、先輩が卒業して部員が俺を含めて二人(もう一人は不登校だったので、実質一人)だったり、中一の後半から休み時間にやるサッカーが楽しくて、二年からはサッカー部に入ったよ
一部のコアな友達とは洋楽やミッシェルの話をしたよ

放送委員に所属したりしていたこともあり、色々な音を聴きましたが、この頃は聴かせるより聴きたい気持ちの方が強く、適当な気持ちでやった事を今では後悔してる

(中三)

中三になると兄が上京した為、車では父の趣味が爆発する
King CrimsonPink Floyd等のプログレや、SIMON AND GARFUNKELに代表されるフォークソング

掃除の時間にはthe brilliant greenがかかってた

受験勉強が忙しくなり、ラジオを聞きながら勉強する様になる(中三まで自宅の机で勉強した事は無かった、てか、しなくても出来た)

茨城放送で高校講座、とかいうお堅い番組がやってらしてですね、母がやれと言うもんだからやりましたけどね、テーマソングがJungle Smileの「風をおこそう」だったのが記憶に残ってる

ほか、印象に残ってる曲
名もなき詩/ミスチル
赤いタンバリン/ブランキー
冷たい頬/スピッツ
There will be love there-愛のある場所-/ブリグリ
さすらい/奥田民生
イージューライダー/奥田民生
ロケットに乗って/TRICERATOPS
くじら12号/JUDY AND MARY
今宵の月のように/エレファントカシマシ
風に吹かれて/エレファントカシマシ
遠距離恋愛は続く/ホフディラン
君を待つ間/GRAPEVINE
スモーキン・ビリー/TMGE
Rainning/Cocco
悲しみジョニー/UA
ねない ねない ねない/カスタネッツ
フラッシュ!/オセロケッツ
HELLO,IT'S ME/L⇔R


年代適当なんで後で並べ変えます


当時はCDをあまり買わなかった、小遣いも貰ってなかったし、自分で弾いて歌って、それだけで満足だった

(受験〜高一)

公立の高校を受験するが、実力より上を狙って高望みし過ぎた為に私立高校へ。腐ってラジオを聴いていた。この頃にはFMなんかも聴くようになって、何となく自分の中で引っ掛かったものをメモしておく癖があった。椎名林檎を知ったのがこの時で、初めて聴いたのは「ここでキスして。」だった。無罪モラトリアムが出た頃に一緒にドラムソロが聴きたくてLED ZEPPELINの2枚目を買った。
割と偏差値の高い私立の高校では中学時代の友達が一人も居なくて0からのスタートだった。暫くは友達も出来ず昼飯も一人で自分の席で黙々と食べた。休み時間にすることもなくてただただぼーっとしていた。
本を読んだり音楽を聴いたりしていれば良かったのだろうけれど、その時の姿を見られるのがとても嫌で、それは今でもそうです。


わざと半角で書くのはキーワードリンクに引っ掛かりたくないヤツです

(〜小四)

幼少
THE BEATLESを始めとするオールディーズに父の車中で親しむ
初めて興味をもった記憶があるのは何かの戦隊モノのテーマソング(今でも歌える)なのだが、何てタイトルだったか…
候補
電撃戦隊チェンジマン」1〜2才
超獣戦隊ライブマン」4〜5才
鳥人戦隊ジェットマン」7〜8才
きーわーどから辿って調べてみたけど、ジェットマンは記憶違いで、一番覚えてるのはライブマン、でもどうやらチェンジマンらしい、て事は、俺は齢1才にして音に興味を持った事に…自分でも吃驚

初めてカラオケで歌った記憶があるのは「もしもピアノが弾けたなら」

兄がドラクエをするのを横目で見ていたり、ウゴウゴルーガが好きだったり、喘息で入院したりした(小四にして不眠症に悩まされた)が、割りとどうでもいいか

まだ音に特別な感情は無かった

称賛の冬…賞賛の冬…勝算の消散の硝酸の(消す気も失せた)
小三の冬、バレンタインにチョコをくれた可愛い女の子に好意を寄せるが、ホワイトデーを迎える前に女の子が転校、という劇的で短く淡い初恋を経験する

長渕剛「とんぼ」は何故か記憶にある

学校では何故か嘉門達夫ブームが起きる

学校まで歩いて5分だったので、朝の連続テレビ小説を母と見ていた、松任谷由実の主題歌と同題名の「春よ、来い」が好きだった
ほか、「あぐり」が印象に残っている(野村萬斎を知る契機となる)