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【人界観望楼】外交評論家・岡本行夫 若者の意欲と国の無力

若者たちには理解力も意欲もある。無いのは、こうした資質をもつ若者たちに示すべき国家としての行動の見本である。

社会党の影響を受けない若者が育ってきたのだが、大人が低級なため模範が示されない。
そこに、彼らを歪めようと工作する連中が現れてきた。

林幹人 - Wikipedia

東京大学では平野龍一の指導を受ける。平野の6人の弟子の4番目(1番目は町野朔、2番目は西田典之、3番目は前田雅英、5番目は山口厚、6番目は佐伯仁志)。

学習院大学法学部:西田 典之 教授
違法性 - Wikipedia

学界において、かつては行為無価値論が通説であったが、行為無価値論は、道徳を刑法的にも保護する考えであるとの批判が加えられた。その中心的人物が平野龍一であり、彼の支持する結果無価値論は支持を拡大し、極めて強力に主張されるに至った[1]。

もっとも、平野による批判以後なおも主張されてきた行為無価値論とは、平野が批判したような、リーガルモラリズムと結合した行為無価値論(その典型は、ヴェルツェル〔Hans Welzel〕による行為無価値論)とは一線を画し、モラリズムと決別したものである。

藤木英雄 - Wikipedia

藤木の後継教授として東大法学部に赴任したのは結果無価値論にたつ内藤謙で、以降今日に至るまで、東大の刑法講座に行為無価値論(結果無価値・行為無価値二元論)の考え方を採る教授がいないという事態が続いている。

田宮裕 - Wikipedia

東大助手時代は団藤重光、平野龍一の指導を受けた。

田宮は、研究者としてだけではなく、教育者としても評価が高く、それは、「判例は法そのものを構成する要素であり、学説とは質的に違う。」として判例と単なる学説を峻別して、学生に判例学習の重要性を強調し[1]、自著においても、判例・通説(通説・判例ではなく)の紹介を先行させて、自説は見えるか見えないかという程度に述べるという「かくれんぼ刑訴」という表現にも表れている。かかる立場から、田宮は、「高邁かもしれないがしょせんは独自としかいいようがない学説を、読者の受信能力も考えずに一方的にご託宣のたまうようでは、無意味なだけでなく、相手が初学者である場合は、情報がゆがんで届く可能性があり、有害」として、当時「渥美刑訴」として英米法に基礎を置き独自の学説を展開していた渥美東洋を暗に批判した[2]。

長谷部恭男教授の憲法学への疑問(7):「切り札」としての人権論の検討

私は、長谷部教授の「『切り札』としての人権」論が、実のところ、「人権」という概念を全く無に帰してしまうようなおかしな主張であることを指摘したい。

長谷部恭男教授の憲法学への疑問(8):「切り札」としての人権は切り札足り得ているか?

 「『切り札』としての人権」などというと、さぞ長谷部教授の主張は人権の重要性を訴えたもののように思えるが、実態は正反対である。

長谷部教授ははっきりと「他人の権利や利益を侵害しているからという『結果』に着目した理由ではなく、自分の選択した生き方や考え方が根本的に誤っているからという理由に基づいて否定され、干渉されるとき、そうした権利が侵害されているといいうる」と述べている。

 このような、一見した見かけとは全く異なる実態を持っているのが、長谷部教授の「『切り札』としての人権」論なのである。

他人に迷惑をかけなければ何をやってもいいという考え方。
道徳を伴わない形の功利主義で、利己主義批判をかわすために、価値相対主義を利用している。
疑問(1)については→こちら

テレビ朝日|朝まで生テレビ!:8月「激論!これからの“皇室”と日本」
田原総一郎の思い込みと西尾幹二の頑固さは治らず。
このブログを読んでいれば答えはわかるはず。
ユダヤ民族が神選民族であるように、我が国は神選国家であり、仕組みは我が国にセットされている。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080829#1219965312
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080702#1214949202
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080408#1207652686
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080417#1208382587
矢崎泰久香山リカが言っていたのは平和主義ではなく、侵略主義の裏返しで、我が国への侵略を容易にするために武装解除させる理論。
田原総一郎が言っていたように力の空白が生じると戦争になるので、米ソの軍縮交渉においても一方的に西側が譲歩しないようにしていた。
そのとき、日本のマスコミは合意できないのは西側の責任のようなことを言っていた。
しかし、最近出版された『ヨーロッパ国際関係史』にはちゃんと書いてある。
彼らのような平和主義や人権の曲解が日本人の精神構造を歪めてきたのだが、それが解消されそうになったとき今度は価値相対主義にやられてしまったのだ。

月刊日程表 2008年9月

 しかし、そうした専門用語や、基本的な経済概念について、生のデータで学ぶことができるとしたらどうでしょうか?
 それは、可能です。いや、こうした生のデータやら、生の情報に接して吸収することができたら、それこそが、「生きた経済学」であり、「実戦に応用のきく経済学」であるとおもいます。