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deku_decさんの読書メーター
 

2016-12-07 食べる人類誌

食べる人類誌

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内容(「BOOK」データベースより)

ヒトをサルから離陸させた火の使用、カニバリズムと菜食主義の意外な共通点、海を越えた食材の交換が促したグローバル化―。食べ物こそが、われわれの歴史をつくってきたのだ!世界的な歴史学者が「8つの食の革命」を切り口に人類史を読み直す。古代ローマの祝宴を彩った酒肴から現代の食卓にのぼる遺伝子組み換えトマトまで、古今東西の珍味と興味尽きない逸話がたっぷりのフルコースをご堪能あれ。

 再読。

 「はじめに」にあるように、この本では食事の歴史で起きた8つの革命を1つ1章を用いて書かれている。それぞれの章の内容はそれぞれ、調理の発明、食事が生命維持だけではないことの発見、牧畜革命、農業革命、社会文化の手段や指標としての食べ物、遠隔地貿易や文化交流で食べ物が果たしたこと、コロンブスの交換について、現代の食べ物の工業化が取り上げられている。

 「第一章 調理の発明――第一の革命」

 『加熱調理は、食べられるものの消費を増やすだけでなく、さらに鮮やかな魔法によって有毒なものを食べられるようにすることができる。日によって毒が消え、食べられるようになるものもあるのだ。有毒な植物を食べられるようにする魔法は、人間にはとくに有益である。毒のある食べ物は、保存しておいてもほかの動物に奪われる心配がないし、人間が食べるときには毒を消せばいいからだ。』(P36)有毒なら他の動物に取られずに保存しやすいという観点は新鮮。

 古代アマゾン川流域の人の主食だったビター・キャッサバは、すりつぶしたりすりおろしたものをみずにつけて加熱すれば青酸を消して食べられるものになる。その特性は最初にインド人が発見したもののようだが、はじめてそれを発見した人もそれが主食にすることもすごいと思う。

 『タンドール料理は間違いなく、地面に掘った穴による調理法から発展したものだ。タンドールは本質的に地面の上につくられた調理用の穴なのだ。』(P45)タンドールがそうした調理法から発展してできた調理器具というのは面白い。

 見つかっている範囲で日本で紀元前1万年、アフリカ中東紀元前7000年、ギリシア東南アジア紀元前6000年の鍋が見つかっている。そうして『火にかけることができて水を通さない陶器の鍋を料理人が手に入れると、ロースト、煮込み、網焼きというレパートリーにいためものや揚げ物が加わった。われわれとしては加速度的に変化を遂げる現代技術を誇らしく思いたいところだが、陶器の発明以降、調理道具として考案されたもので陶器ほど生活を豊かにしたものはないし、電子レンジが発明されるまでは、本当の意味で新しい調理法の可能性を開いたものはない。』(P50)基本的な調理法はその時代までに出そろった。

 「第二章 食べることの意味――儀式と魔術としての食べ物」

 リンドの研究で柑橘類で壊血病が治療できることを発見された。しかし『医師たちの心にはいまだ退役理論の残滓が残っていて、万人向けの治療はいんちきだとして信用されなかった。』(P93)当時万人向けの治療を怪しいと思う感覚があったというのは意外で、ちょっと面白い。

 現代でもある食べ物に特別な薬効や美容効果、頭のはたらきを良くするなどの効能がうたわれるものもあり、そうした魔術としての食べ物はいまもなくなってはいない。

 「第三章 食べるための飼育――牧畜革命:食べ物の「収集」から「生産」へ」

 『貝塚が層序の一部をなしている場所では、複雑な技術である狩猟に頼っていた移住者の社会よりも、巻貝を食べていた人びとの社会のほうが古いことが明らかに見て取れる。』(P131)

 貝などの『軟体動物の養殖は最終の自然な延長のようなもので、手だけで行うことができる。』(P132)一方で狩猟には複雑な道具が必要。そのため軟体動物の養殖(一種の牧畜)と狩猟では、前者のほうが先行したのかもしれないということが書かれる。

 狩猟。『皮肉なことに、大量に殺すことになるのは、手ごわい獲物を狩るのがむずかしいせいである。個別に倒すのが難しいほど、一度に数多くの獲物をまとめて殺すことになりがちなのである。』(P144)必要なだけを狩ることが難しいことであるために、そういうことになりがち。

 トナカイ『春の角はまだやわらかくて筋が多く、ごちそうになる。』(P153)角ってどんな味なのだろうか。

 「第四章 食べられる大地――食べるための植物の管理」

 『馬の乳は、文字通り生命の維持に欠かせない。ビタミンCを豊富に含んでいるため、草原に住む人びとはこれを飲むことで、定住民のように果物や野菜を食べなくても生き延びられる。』(P171)馬乳にビタミンCがそんなにあるのか。

 この章では農業のはじまりについて触れられているが、色々な話や説が書かれるが、それを見ていると農業が始められたのは不思議なことだと思うようになる。

 「第五章 食べ物と身分――不平等と高級料理の出現」

 『一方、ルネサンスの影響がほかにもあったことは確かだ。広く浸透したとは言えないが最も有益だった影響として、新しく乳製品が重視されるようになったことと、キノコが食べ物として再発見されたことがある』(P256)。それまでヨーロッパではキノコはどういう扱いだったのか気になる。まったく食べられていなかったということはないと思うけど。富裕層の食べるものではないという認識だったのか、飢饉でもなきゃ誰も食べないものだったのか。

 「第六章 食べられる地平線――食べ物と遠隔地間の文化交流」

 この章は香辛料貿易などの貿易や帝国の影響での食習慣の変化などが語られる

 「第七章 挑戦的な革命――食べ物と生態系の交換」

 この章ではコロンブスの交換で、アメリカ大陸産の食べ物が世界で育てられたり、あるいは九世界の食べ物がアメリカで育てられるなど、新しい作物が別の地で栽培されたことについて書かれる。

 「第八章 巨人の食糧――十九世紀と二十世紀の食べ物と産業化」

  現代の産業化した食糧生産や現代の食についての著者の批判などが書かれている章。

2016-12-05 12月月購入予定の本 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

12月購入予定の本

2

文春文庫

犯罪の大昭和史 戦前 文藝春秋

2

文春学藝ライブラリー

民族と国家 山内昌之

6

小学館文庫

イベリコ豚を買いに 野地秩嘉

7

朝日文庫

[新版]独ソ戦ヒトラーvs.スターリン、死闘1416日の全貌 山崎雅弘

7

ちくま文庫

仁義なきキリスト教架神恭介

7

ちくま学芸文庫

増補 モスクが語るイスラム史建築と政治権力 羽田正

10

電撃文庫

アクセル・ワールド 21 ―雪の妖精― 川原 礫

22

角川文庫

学び直し日本史人物伝  戦国山本博文

22

角川ソフィア文庫

平治物語 現代語訳付き

28

角川スニーカー文庫

さよなら、サイキック 2 恋と重力のロンド(仮) 清野 静

2016-11-30 民衆という幻像 渡辺京二コレクション2 民衆論

民衆という幻像 渡辺京二コレクション2 民衆論

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内容(「BOOK」データベースより)

冬の夜、結核療養所で聞こえた奇妙な泣き声。日中衰弱しきって運び込まれた母娘は、朝を待たずに逝った。それを知った著者は、娘の体をさする瀕死の母親のやせた腕を幻視する―「小さきものの実存と歴史のあいだに開いた深淵」、それは著者の原点にして終生のテーマとなった。近代市民社会と前近代が最深部で激突した水俣病闘争と患者を描く「現実と幻のはざま」、石牟礼道子日本文学に初めて現れた性質の作家と位置付けた三つの論考、大連体験・結核体験に触れた自伝的文章など39編からは、歴史に埋もれた理不尽な死をめぐる著者の道程が一望できる。

 「維新の夢 渡辺京二コレクション1 史論」では明治から昭和にかけて近代と格闘した人々の政治思想について書かれていた。この本では『テーマによって、? 民衆の情念に関するもの、? 現代文明論、? 大きな意味での文学論、そして、? 自ら語った文章群の四章に大別した。』(P505)自身の話、文学や文明の話、民衆についての話など、さまざまな内容のものが収録されている。著者が自身について書いたものなどは、著者自身のことについてはあまり知らなかったので、興味深かった。

 それから「苦海浄土」の石牟礼道子さんについて書かれた文章も面白い。二人が非常に親しい仲だというのは知らなかった。

 『人間の社会は歴史と共に進歩し、残酷物語人智と共に確実に減少するであろう。しかし、世界史の展開がこれら小さき者のささやかな幸福と安楽の犠牲の上に気付かれるという事情もまた確実に続き行くだろう。』(P13)少なくなってもなくなることのないそうした人々がテーマかな。

 1章は半分くらい、水俣での被害民の近代市民社会以前の昔からの道徳観と資本制社会の論理との対立や、石牟礼道子さんの話。そうした古風な、近代以前の感覚の残る民衆についての話が書かれている。

 「石牟礼道子の世界―講談社文庫版『苦海浄土』解説―」水俣出身の作者が、そうした公害によって悲劇的に崩壊したが、それがなくとも時代の流れで崩壊したであろう世界や人々を私的な文章で書いている。

 『患者の言い表していない思いを言葉として書く資格を持っているというのは、実におそるべき自身である。石牟礼道子巫女説などはこういうところから出てくるのかもしれない。この地震、というより彼らの沈黙へ限りなく近づきたいという使命感なのかも知れない』(P99)。作者もみんな聞き書きだと思っていると笑っていたと書かかれているが、ノンフィクションだと思っていたのでちょっと驚いた。もちろん水俣に生まれ育ったものとして同じ世界観や感覚を持っていて、思いをくみ取れるという自信があるから書けることだろうけどね。渡辺さんが私小説という表現されているのを見て、納得がいった。単なる告発小説ではなく、その世界の美しさを書いた、消えゆく世界への挽歌みたいなものでもあることがわかって「苦海浄土」を読んでみたくなった。

 「石牟礼道子の時空」その作品は『日本近代文学が描いてきた世界とは異質な、あえていえば、それよりひと廻りふた廻りも広大で、しかも深く根源的な世界を表現しようとしている』(P119)きわめてユニークなもの。近代文学では労働の苦しさや生活の窮屈さの幼うなことばかり書かれていたが、彼女は『農民が農業労働を通して経験する世界』(P127)その豊かさ、農作業や農民が生活の中で得るよろこび、を書いている。そのユニークさを聞いてなお読みたくなる。

 そうした石牟礼道子作品についてや、山本周五郎柳橋物語」、井上ひさし吉里吉里人」、フォークナーサンクチュアリ」などの小説についての話、あるいは他のテーマについて語られている時について触れられた小説についての話もわかりやすくて面白いので、それらの作品を読みたくさせる。

 それから著者が影響を受けた谷川雁について書いたものも興味深い。『吉本隆明さんはかつて雁さんを評して私にこういったことがある。「あの人は日本一のオルグですよ」。』(P417)詩人思想家で、そうした際立った能力もあったと知り、また何よりこの著者に影響を与えた人物であるから、この人物についてもっと知りたいという気持ちがわいてきた。

 「ポストモダンの行方」ポストモダンという言葉は眼にするけど、そんなに興味ないことも会ってよく知らなかったが、そのポストモダンという思想がとてもわかりやすく紹介されていて良かった。

 「挫折について」 では映画「灰とダイヤモンド」を例にあげて、それまで正しいとされていてそれに尽くし戦ったが、敗れてそれを否定される。そうした挫折についての話、興味深い。

 『かつて民衆と一体となって、その信望を担って戦ったものが、歴史の地滑りとともに今日は民衆の敵とならなければならぬ。もとよりこの実行者は無智である。無智であるが故に、挫折の痛みはことごとく彼が自らに引き受けねばならぬ、しかも彼の中には何物もいやすことのできぬ怨念が凝結する。彼は死ぬべきであったと思う。彼はよき被はすべて去ったと呟き、そのよき日なるものが幻影にすぎぬと悟りながら、その幻影と怨恨以外に生きる支えを知らない。マチェクがホテルのバーで「われわれは生き残りだ」といい、かつてともにたたかった多くのパルチザンにふれつつ「ああいう時代があったんだな」と乾いた笑い声を立てる。「灰とダイヤモンド」の主題は実にこのシーンに圧縮されているといってよく、挫折者の心情はいつの時にあってもこれ以外の表現を取らぬのである。』(「民衆という幻像 渡辺京二コレクション2 民衆論」P436)

 解説で著者は毎日『石牟礼さんのところに通い、郵便物の点検をし、原稿の清書をする。』(P494)と書かれているのを見て、どういう関係とちょっと驚く。

2016-11-29 美濃牛

美濃牛

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美濃牛 (講談社文庫)

美濃牛 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

病を癒す力を持つ「奇跡の泉」があるという亀恩洞は、別名を〈鬼隠れの穴〉といい、高賀童子という牛鬼が棲むと伝えられていた。運命の夜、その鍾乳洞前で発見された無惨な遺体は、やがて起こる惨劇の始まりに過ぎなかった。古今東西の物語の意匠と作家へのオマージュが散りばめられた、精密で豊潤な傑作推理小説



 再読。ネタバレあり

 編集部からの依頼でフリーライターの天瀬とカメラマンの町田は、岐阜県暮枝の病が治る奇跡の泉の取材をすることになる。彼らは取材内容を説明してもらうときに、その企画の持ち込み者で取材の同行者でもある石動と顔を合わした。二人は奇跡の泉の話もうさんくささを感じて、憂鬱になりながらその土地へ行くことになる。

 暮枝に着いた一行だったが目的の鍾乳洞(亀恩洞)には所有者の許可が得られず入れない。どうやら石動は取材にかこつけて鍾乳洞に入ろうとしていたようだがそれは失敗。

 天瀬と町田は、村で自給自足の共同生活を送りながら瞑想ヨガを教える保龍氏のニューエイジ同好会に行き、保龍に話を聞く。そこで彼からゼネコンでこの土地のリゾート計画があって、それを持ちこんだのが石動だということを聞かされる。それを聞いて取材に来た二人は、大手ゼネコンのアセンズ建設からの依頼だからこうした取材をすることになったのかと納得できた。

 第一章―11での羅堂哲史パートでの、石動がリゾート話を持ってきてよかったと書いて、その後で牛を扱う苦労が書かれた後で『彼が暮枝に来てくれて、本当によかった』(P130)と書いてある。彼が石動でなく飛鳥ということを知った上で見ると上手いなと感心する。内心の描写だし、嫌な現在の生活を書いた後唯一の救いとしての恋している相手のことを思い出すのも自然だから、上手いな。

 その後の飛鳥のパートで、哲史の愛しい純情さを田舎の子だからかなと思っているのもちょっといいね。哲史自身は都会っ子だけど、そう思われている。それにはくすりとさせられる。しかし彼の田舎の子という認識が相手を寄り合いらしいものとして感じると同時に、汚してはならないものと捉えることになって、それが哲史を遠ざけることにもつながり、そのまま永遠の別れとなったのであれば悲しい。

 色々な人物の視点へ変わって、各人の視点でその人のリゾート話などについての考えが書かれているのもいいね。

 宿泊先に帰ってきた天瀬らは石動に保龍氏から聞いたことについて聞く。すると石動は、大学の先輩である古賀がアセンズに務めていて、彼が石動を心配していることもあって何か企画書を書けと言われて書いたものが会議を通って、それで交渉までやることになったという事情が語られる。

 真相を知った後で見ると、陣一郎(鋤屋和人)が『窓音は羅堂の血をいちばん濃く引いてるからな』(P290)という言葉にぞっとする。本当にそうならば天瀬が抱く恐れも、あながち勘ぐりとはいえないな。他にもおぞましい真相を知った後で見ると、新築したのに全くバリア・フリーになっておらず陣一郎がくることを想定されていない家とかにも怖さを感じる。

 三章―2で村人たちがわらべ歌の見立て殺人ではないかということを口にしたときに、石動が『「そんなことをして、なんになるんです?」/(中略)/「誰もろくに歌詞すら覚えてないのに!」』(P452)と発言したのには笑った。

 初めに話を聞いた奇跡で病が治った倉内さんから聞いた話では、たまたま見かけた泉に入ったことで治ったと言っていたが、実は伝説をリサーチしていたことが分かる。そして事件の真相がいまだわからないうちに、彼女が実は医者と共謀して保険金詐欺をするためにそんなことをいっていたことがニュースで流れる。

 彼女視点で見れば、そうするために奇跡を起こしたと言ってくれる人を探していたが、保龍氏はそういう人ではなく、仕方なく探して泉の話にたどり着きそれで治ったことにした。それがリゾート開発段に膨らんだことで、最後にはお縄というコメディ的なお話となるのはちょっと面白い。

 飛鳥や灰田と怪しいと思われていた人も、ふたを開けてみればこの事件とは関係のない隠していた事情で怪しく見られていただけだったことがわかる。そうして犯人がわからぬままに、一人一人羅堂家の人間が死んでいく。

 倉内の話の虚構がわかってリゾートの話もお流れになるかと思われた。しかし火浦が泉につかって癌が癒えたことが判明する。そして事件後に開発されることになる。

 真相が明かされた後、陣一郎(和人)は、窓音は裏で起こっていたことを薄々察しながら、馬鹿な人間が殺し合うのを放っておいていたと天瀬に語る。そして後見人として自分に都合よく扱える天瀬を見つけた、和人は『気を付けなよ、天瀬さん。あと何年かしたら、あんたがここにとじこめられているかもしれないぜ』(P730)と忠告(呪言)を残す。

 天瀬はそうした嫌な想像を否定しがたいもののように思うが、それでも窓音の魅力から逃れ難く、冒頭のようなことになっている。冒頭の天瀬の『かわいそうじゃない。なかには、監禁されたがってるやつもいるだろう。暗く狭苦しい場所に閉じ込められて、だんだん気が変になっていくのを楽しんでる。そんなやつだっているさ』(P9)という言葉は自分のことを言っている。

2016-11-28 垂直の記憶

垂直の記憶

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垂直の記憶 (ヤマケイ文庫)

垂直の記憶 (ヤマケイ文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

2002年秋、山野井泰史は、ヒマラヤの難峰ギャチュン・カンに単独登頂後、下降中嵐につかまり、妻・妙子とともに決死の脱出を試みる。高所でのビバーク、雪崩の襲来、視力の減退、そして食料も登攀具も尽きたなかで、彼らは奇跡的に生還した。初めて自らのクライミングの半生を振り返り、激しい登攀への思いと未来への夢を綴った再起への物語。


 kindleで読了。

 ノンフィクション。ギャチュン・カンで手足の指という大きな代償を払い生還した登山冒険家の手記。

 各章では世界的に難しい高い山に挑戦した時のことが書かれている。一章ごとに一つの登山について書かれている。そして各章の間の【コラム】では家族のことや登山家とはみたいなことが書かれる。山について詳しくないことやさらりと書かれていることもあって、ここで書かれている挑戦がどんなに困難なのかいまいちわからない。そういうこともあって沢木耕太郎「凍」というノンフィクションを読みたいという気持ちがわいてきた。

 「第一章 八〇〇〇メートルの教訓 ブロードピーク」初めての8000メートル峰への挑戦だったが、それまでソロ・クライミングを中心にしていたということもあって、隊での人間関係が面倒に感じて十分に山を味わえなかった。それもあって以後ソロや少人数での中心に登山をしている。

 「第二章 ソロ・クライミングの蘇生 メラ・ピーク西壁とアマ・ダブラム西壁」富士山で強力のバイトをしていたところ怪我をする。それで当初の登山計画はとりやめたが、怪我あけにメラ・ピーク西壁とアマ・ダブラム西壁に単独で挑戦する。メラ・ピークは予定したルートにクラック(岩壁の割れ目)がなかったため登頂できずに終わる。登攀をあきらめて戻っているときのベースキャンプで待つ(後に著者の妻となる)妙子さんとの間で交わされる『「後一時間で安全地帯に入れる。雪も降ってきて、ルートもわからなくなるが、多分、大丈夫だ」/「じゃあ私、途中まで迎えに行くから」/「ダメだよ。途中に冷たい川があるんだ。指を失ったばかりじゃないか」/「大丈夫。迎えに行くよ」』(N600あたり)という会話は、相手に対する強い思いやりが感じられていいな。

 その挑戦の後体調が悪くなっていたが、諦めきれずにアマ・ダブラムにもトライすることになる。そしてそちらは見事登頂成功。

 「第三章 ソロの新境地 チョ・オユー南西壁」計画を立てた時の期待と不安。自分の身一つで極限に挑むこの情熱は、純粋なチャレンジ精神の発露か、宿業か。

 登頂した帰りに『安全地帯で横になっていると「これで本当に死ぬことはないだろう」という喜びと安らぎを感じた。(中略)「僕は登った。そのうえ生きて帰れる。」/ こんな言葉を何度も胸の中でつぶやいた。それと同時に、過去に経験したことのないくらい自分自身を強く、また頼もしく思えた。』(N1005あたり)成功で得るそうした感覚もこういう挑戦を続ける大きなモチベーションになるだろうな。

 「第四章 ビッグウォール レディフィンガー南壁」大きな垂直の壁を登る。壁の途中でハンモックやポータレッジで吊るされながら寝泊まりするというのは大変そうだし、地面ないところで眠るというのは想像するだけで怖い。レディフィンガー、女性の指と呼ばれるほど細く鋭い、登頂が難しい壁への挑戦。妻の妙子さんと中垣大作さんと一緒に挑戦して、パートナーと登る楽しさを知る。

 「第五章 死の恐怖 マカルー西壁とマナスル北西壁」雪崩に呑まれて身体が埋まってしまい、身体が埋まっていなかった妻の妙子さんに助けてもらったというエピソード、両者の視点で書かれていることや、二人の絆が描かれているのがいい。

 『不死身だったら登らない。どう頑張っても自然には勝てないから登るのだ。』(N1650あたり)死の恐怖が登山の魅力の一つ。その不可能性を経験や集中力、人間の肉体的・精神的・知的な力を総動員して可能にすることがいいのだということか。

 「第六章 夢の実現 K2南南東リブ」無事K2に登頂。

 「第七章 生還 ギャチュン・カン北壁」夫妻そろって東証で手足の多くの指を失った登山の記録。この章では妻・妙子さんの手記が挿入されることが多い。

 眼球が凍ったのか視界が霞が買ったようになって見えなくなってくるというのは聞くだけでも恐ろしい体験。『「もう目が見えないんだ」/「私もさっきから見えにくくなっているの」』(N2289)という会話を端から聞くだけでも絶望感があるのだけど、それを絶望せずにできることをしっかりとやって生還するのだから本当にすごい。

2016-11-27 魔法科高校の劣等生 20

魔法科高校の劣等生 20

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内容(「BOOK」データベースより)

二〇九七年三月。あずさ、五十里、花音、服部、桐原、紗耶香という魔法科高校卒業生組メンバーが卒業旅行を企画していた。場所は、沖縄。折しも、雫とほのかが深雪と達也を誘った旅先―久米島沖の人工島『西果新島』竣工記念パーティーと同じだった。そして、達也と深雪も、彼らと旅先を共にする『ミッション』を課されていた。大亜連合軍を脱走した秘密工作魔法師のテロ活動の阻止。達也はこの作戦を未然に防ごうと、独立魔装大隊と合流するが…そこには、かつて敵対していた『予想外の魔法師』が同席していた。魔法科高校卒業旅行、そして春休みのバカンスは、一筋縄ではいかない波乱の旅!


 ネタバレあり。

 今回、達也と深雪は真夜から命じられて沖縄へ行くことになる。四葉家の人間としての表向きの仕事とは別の任務があって、それは日本と大亜連合との講和を阻止しようとする大亜連合側の反対勢力の捕縛である。破壊工作を目論む反講和派がを捕縛するために、日本と大亜連合の両国軍が協力することになり、そこに達也と深雪も協力する。まさか味方になるとは思っていなかった相手との奇妙な共闘。こうした意外な人や勢力との一時的共闘という構図は好きだ。

 『達也はまだ、本物の感情を取り戻してはいない。それは死ぬまで取り戻せないものかもしれない。』(P35)と地の文で書いてあるが、そこらへんは今後も変わらないと思っていたが、「まだ」と書かれていうことはいずれ感情を取り戻すことになるかもしれないのか。まあ、そのあとで死ぬまで〜ともあるからそのままかもしれないが。しかし感情を取り戻したら取り戻したで、今まで持たなかった感覚を制御するのに手間取るだろうし、そうなったら当然ミスも増えるだろうから大変そうだな。

 しかし深雪は達也と婚約者となったからお兄様と呼べなくなったが、達也さんと呼ぶには恥ずかしいから、達也様と呼んでいるようだが、なんだかその呼び方は距離が広がってないか(笑)。

 今回の作戦に従事するメンバーは日本側は風間たちの部隊と達也と深雪、そして大亜連合側は横浜事変時に登場した呂剛虎と陳祥山の部隊というメンバー。

 達也は対象に想子マーカーを打ち込めば、彼の「眼」を使えばその相手が現在どこにいるかがわかる。その打ち込まれて気づける人が少ないことを考えれば、ひどく便利な能力だ。爆破テロ事件の調査で身に付けたものというが、ただでさえ強いお兄様がさらに強化される。

 達也たちが奇妙な共闘で講和反対勢力を捕縛しようとしている頃、一校の3年生組は卒業旅行沖縄にきていた。他にも雫も親が人工島建設に携わっている関係で、旅行を兼ねて沖縄に来ていてほのかも彼女とともに来ている。そんないつもの一校の面々とともに達也と深雪が共に行動しているときに反講和派との接触があって戦い、そこで諸先輩がたの活躍が書かれる。

 人工島竣工パーティーに対する工作前に大きく戦力を削られた講和反対派の工作員たち。しかしなおもその工作を成し遂げようとする。しかし達也や藤林がいるのでどういう行動をしているのかがかなりバレているという悲しみ。

 今回は、先回り先回りで対処ができているから特に危ないという感じもなくあっさり事件が終息したな。

 最後の戦いでも一校の三年生男子陣の服部、沢木、桐原が参戦してくる。

 今回の作戦が終わって、帰りの船の中で陳祥山と呂剛虎が祝杯をあげながらも、次回にやつらとあうときは敵だと警戒を新たにしているのはいいね。

 オーストラリア軍が介入してきた裏の目的ジャズを捕獲させて四葉の関心を引き、彼女を通して内から四葉の秘密を得ようとする。その作戦も東道老人から真夜への忠告もあって不発に終わったようでよかった。

 あとがきで、当初は番外編でスポットの当たらなかった3年生メンバーの活躍を書く話にする方針だったということだが、そうした番外編読みたかった。今回達也たちは敵に対して万全の対策を行っているから、先輩方が助太刀で活躍という風には感じられなかったな。

 思い切って達也を登場させないとか四葉から少しだけ協力するにとどめよという命令があれば、ちょうど良く活躍できたかもしれないけど。それは流石に相手をなめすぎか、あくまで相手がなすすべもなく敗れたのは達也だったり呂剛虎が強いからだよね。

 何にせよせっかくなら先輩方がメインでちゃんと活躍する話を読んでみたかった。