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2016-09-27 千の顔をもつ英雄 新訳版 下

千の顔をもつ英雄 新訳版 下

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内容(「BOOK」データベースより)

神話の膨大なサンプルを分析した結果、英雄神話には「出立→イニシエーション→帰還」という驚くほど一貫した共通パターンがあることが見えてきた。私たちはなぜ、今もなおこれらの構造を持った物語に魅了されるのか?フロイトユング精神分析論を用いながら、民族や時代を超えて人間の心に潜む普遍的欲求を明らかにしていく神話論の決定版。小説、映画、ゲーム他、物語の本質を読み解く鍵がここにある。


 最初の方で上巻から続く英雄の物語の円環について書かれて、その後は宇宙創成の神話の円環の定型について書かれている。

 『戦利品が万人から力ずくで奪い取ったもののばあいや、元の世界に帰りたいと英雄の望みを神や悪魔が快く思わない場合、神話の結末は多くの場合、笑いを誘う逃走劇となる。ありとあらゆる魔術を使って妨害されたあり、その裏をかいて脱出したりし、逃走劇は複雑になっていく。』(P18)その『魔法の逃走でおなじみのバリエーションに、必死に逃げる英雄が追手を妨害して時間をかせぐために、さまざまな障害物を後ろに投げる話がある。』(P25)本書でもエピソードが紹介されているイザナミが黄泉の国に行き戻る神話もそれ。

 天照大神を天の岩屋から引っ張り出す挿話もとりあげられて、そうしたなじみ深いその神話の意味について書かれているのが面白い。

 岩屋にこもっていた天照が外に出たことで外に光が戻った。その引っ張り出した天照が再び岩屋に行かないようにその岩屋の前にしめ縄を張った。『しめ縄は、神社の入り口に飾られたりし、再来の境界線から世界が変わることを表している。キリスト教の十字架が氏の淵への神話的な道筋を表す最も雄弁な象徴であるなら、しめ縄はもっとも単純な復活の象徴である。この二つの象徴――十字架としめ縄――は、この世とあの世、実在と被実在の境界線の神秘を表している。』(P40)しめ縄象徴的意味を理解していなかったので、そうした意味があるとわかって面白かった。

 『英雄とは、生まれ出ようとする事物の王者であって、すでに存在している事物の王者ではない。』(P86)英雄は新しく何か価値あるものをこの世界にもたらす者。

 『宇宙創成の円環は、通常、果てしなく繰り返される世界として表現される。生涯に眠りと目覚めの周期を繰り返すように、大いなる円環のたびに、通常、小規模な死が含まれる。』(P106)

 『宇宙卵の殻は空間という世界の枠であり、卵の中の豊かな種の力は、自然界の、次々に命を生みだす活力の象徴である。』(P129)宇宙卵、無の状態からさまざまな事物が誕生していく、世界を生み出す神話のパターン。

 『宇宙創成の円環という視点から見ると、正義と不義がかわるがわる訪れるのは、時間の流れの必然的な特徴である。宇宙の歴史に見られるのと同じことが国家の歴史にも見られる。流出か解体に、若さは老いに、生は死に、形あるものを生み出す想像力は生気のない惰性に変わる。命は波がうねるように湧き上がり、形を変え、投げ荷を残して潮が引くように消えていく。世界皇帝の黄金時代は、命の鼓動に連れて専制君主が統治する荒廃の時代へと移り変わる。

 このような視点から見ると、人食い鬼の専制君主というのは、自らが王位を奪った先王の世界皇帝や、自分に取って代わる輝かしい英雄(息子)に劣らず、父性の象徴と言える。英雄が変化するものの搬送者であるのとは対照的に、人食い鬼の専制君主は動かぬものを代表する。刻まれて行く時間は刻々と過去の瞬間から自由になるため、「過去に執着する者」であるこの龍は、救い主が現れる直前の世代の人物として描かれる。

 要するに英雄の任務とは、父親(龍、試練を課すもの、人食い鬼の専制君主)の執着を葬り、宇宙を再生産する命のエネルギーを解放することにあるのである。』(P236-8)龍と父、苛烈な専制君主のどれもが同じような意味となるというのは面白い。

 『現代では、神話は次のように解釈される。自然現象を説明しようとする未開の不器用な試み(フレイザー)。先史時代から受け継がれた詩的空想の所産であり、後代に意味を取り違えられたもの(ミュラー)。個人を集団に適応させるために使われる寓意的教えの貯蔵庫。(デュルケーム)。心の深層にある衝動の元型を示す一群の夢(ユング)。人間の深遠な知的洞察を運ぶ媒介。神の子たる信徒に対する神の啓示(キリスト教会)異常が神話のすべてである。このように、神話についてはさまざまなはんだんが 下される。というのも、神話とは何かという観点ではなく、どう機能するか、過去にどのように役立ってきたか、現在どのように役立つかという観点から考えた場合、神話は生命そのものがそうであるように、個人、集団、時代、精神、要求に合わせて、その姿を現すからである。』(P278-9)

2016-09-24 秘密の花園

秘密の花園

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秘密の花園 (光文社古典新訳文庫)

秘密の花園 (光文社古典新訳文庫)


内容(「BOOK」データベースより)

インドで両親を亡くしたメアリは、英国ヨークシャーの大きな屋敷に住む叔父に引きとられ、そこで病弱な従兄弟のコリン、動物と話ができるディコンに出会う。3人は長いあいだ誰も足を踏み入れたことのなかった「秘密の庭」を見つけ、その再生に熱中していくのだった。


 赤ん坊の頃から親に全くかまってもらえなかった少女メアリ。そうした不幸のためいつも不機嫌でつむじまがりな子供になっていた。彼女が子供時代をすごしたインドでは、乳母や召使にもわがままばかりいって困らせていた。

 支配階級であったイギリス人の家に勤める現地の人ではその家の子供である彼女のその性質を矯正することはできず、親や他の人とのかかわりも全くといっていいほどないので、そうした性質のママ育っていた。しかし9歳の時に流行り病で乳母や親など多くの人が死亡した。そして親を亡くした彼女は存在すら忘れられて、家僕も誰もいなくなった家に一人残されて、それを怪訝に思っていたが、その家で起こった悲劇を偲ぶために来た英軍将校に見つけられその事実を知らされる。

 そうして孤児となった彼女は故国のイギリスにはじめて戻ることになる。そして背骨が湾曲する病を持つおじのクレイヴン氏が住む田舎の屋敷に引き取られる。彼は最愛の妻を亡くして以降悲しみにとらわれたまま。

 その屋敷についたメアリにひとまずつけられた女中のマーサに、インドで召使にしていたときのような横柄な態度で暴言を言って怒られる。はじめての反応に戸惑い、そしてそれまでとの変化や無力さを感じて悲しくなる。そうして泣いているメアリをマーサが慰める。

 訓練された女中ではない人の善い村娘マーサだからこそ、メアリのわがままなところを遠慮なく指摘する。そして人の善くおしゃべりな性質な彼女が普通に子供に対するような接してくることで、メアリは色々と常識を知ることになる。

 そして庭師のベン・ウェザースタッフと知り合い、彼の友人であるコマドリと彼女も親しくなる。

 クレイヴンの妻が底での事故で死亡にまでいたったために閉鎖されている庭の鍵をひょんなことから手に入れたメアリは、その秘密の花園を見つける。

 そしてクレイヴン氏に欲しいものを聞かれて、植物を育てる場所が欲しいと答える。そして誰も使っていない場所なら好きな場所を使っていいという言質をとって喜ぶメアリ。そして彼女は秘密の花園で花を育てようと決める。

 そしてマーサの弟で自然を愛し、多くの動物から愛されるディコンと知り合い、彼と共に秘密の花園造園作業をする。

 クレイヴン氏は想像していた以上にメアリに親身に優しく接してくれた。

 彼は旅行に出かけたあとに、屋敷で聞こえていた誰かの泣き声の主を見つける。存在を知らされていなかった従兄弟のコリンで、父親のクレイヴンは妻が死んだ悲しみと、息子も自分のように背骨が湾曲してしまうという強迫観念から彼をほとんど見ようとしていなかった。

 メアリはこの屋敷にきてから思ったことを指摘する人々と出会い自然と触れ合ったことで随分と変わった。コリンはかつてのメアリと同じような立場で、今度は彼女が彼を自然の世界に導くことになる。そして父親の強迫観念と悲観の虜になった長く生きられないと思っているコリンを、彼女がマーサにされたように思ったことを直接指摘することで意識を変える。

 そしてコリンと親しくなった彼女は、彼も秘密を共有する仲間として、その秘密の花園で一緒に過ごすようになる。

 その庭の美しさ、秘密の庭での経験が生命力を養う糧になる。そしてコリンはここで養ったエネルギー、魔法の力があるといって自分を勇気付けながら、虚弱な肉体を動かしはじめる。そこで秘密にトレーニングすることで、元気になった姿を父に見せて驚かせようと思う。

 そして日に日に健康になっていくことを使用人たちにも秘密にすることで、三人とベン・ウェザースタッフはその秘密の共有にも楽しみを感じる。そうした秘密の楽しみが彼らを結束させただろうし、その試みを継続するための原動力でもあっただろう。

 そして今までとらわれていた強迫観念から抜け出し、『ぼくはずっと生きる。ずっとずっと生きるんだ。』(N4370あたり)と発するまでになる。

 そして旅行中のクレイヴン氏も久しく感じていなかった生きている感じを味わい、そうした気分のときがしばしば来ることがあった。そうして不意に彼の悲しみにくれる時代は終わろうとしていた。そして屋敷に帰ってきたクレイヴン氏は元気になった息子と再会することになり、父子ともども大きな喜びを得る。この秘密の花園で父も決定的に生き返り、また歪んでいた父子関係も再生することになる。

 そして最後に共に屋敷に帰ってきた父子の姿に驚く使用人たちの姿が描かれて終幕。ハッピーエンドでよかった。

2016-09-20 疵 花形敬とその時代

疵 花形敬とその時代

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疵―花形敬とその時代 (ちくま文庫)

疵―花形敬とその時代 (ちくま文庫)

疵 花形敬とその時代 本田靖春全作品集

疵 花形敬とその時代 本田靖春全作品集

内容(「BOOK」データベースより)

戦後、渋谷の盛り場に、花形敬という男がいた。インテリヤクザ安藤組の大幹部で、あの力道山よりも喧嘩が強いといわれた男。うちに虎を飼い、心に抱えた屈託を暴力という形でしか表わせなかった男。一般人とアウトローを分ける境界線などなかった戦後の焼け跡で、己の腕一本を頼りにのしあがった男の光と影を、時代の空気とともに切り取ったノンフィクション

 ノンフィクションkindleで読了。

 冒頭、花形敬の死を伝える新聞記事からはじまる。彼は暴力団「安藤組」の幹部で、昭和38年に街中で殺害された。

 花形は極道の中では、死後20年経っても『喧嘩の強さに賭けて花形の右に出るものは、過去にいなかったしこれから先もたぶん現れない、といったふうに、感慨を込めて語られている。』(N65あたり)ある意味伝説化された存在。

 戦後すぐの混乱期は、普通の市民とアウトローの明確な境界線がなかった時代でもあった。

 著者が彼を取り上げたのは特段交流があったわけではないが、千歳中学の二つ上の先輩であった。それもあって『彼を暴力の世界に、私を遵法の枠組内に吹き分けたのは、いわば風のいたずらであった。』(N75)そうした思いがあってのことだそうだ。当時、どちらにふれるかは些細な偶然で、同じような境遇でもどちらに行ってもおかしくなかった。彼の生涯を見ることで、そのような当時の空気、時代性を書く。

 花形は世田谷の旧家で生まれた。子供時代から親分気質だが、身内にした人間には暴力を振るわない。千歳に入ってボス性を強めて、彼をリーダーとした硬派グループができる。

 戦時中動員先の工場で、不良工員に同学の仲間が殴られたりするのをみて、彼らに対する理不尽な制裁に守るために、不良工員と対峙して、渡り合っているうちに腕と度胸を磨く。元から腕っぷしつよいほうだったが、そこで生来の素質が磨かれて行った。

 花形の顔には多数の疵があったが、多くの喧嘩のさなかでついたものもあったが、自分でつけた疵もあった。その正確な理由は不明だが『しかし、彼が自らの顔に刻んだ疵は激しい鬱屈の表れであったとはいえるであろう。』(N708)

 花形は暴力の世界に身を置いても刃物や銃は一切使わずに、素手による喧嘩(スデゴロ)をかたくなに守った。凶暴な人間だが、それは守った。そして暴力の世界に入る前、学生だったころから、その力で名を知られた存在であった。

 花形の関係者から聞く、戦後の体験談や、著者自身の家族の戦後の話なども書かれている。そうして戦後すぐの闇市市井の人々、アウトローの人の体験(証言)を読めるのは面白い。

 安藤組のトップの安藤、後に俳優に転身したという事実には驚く。

 花形の学校の同輩で、ナンバー2的立ち位置だった石井。嫉妬と恐れから、後に花形暗殺を指示して、拳銃で狙撃させた。

 花形は『ともかく『敬さん』と、さん付けで呼ばない相手には、端から勝負賭けていました。』(N2275あたり)彼は立場が上だろうが何だろうが、かまわず勝負をしかけた。当時ちょっとした親分クラスはたいがい花形から喧嘩を売られている。しかしまともに勝負した人間は一人もいない。それほどその腕っぷしの強さと性質を知られていた。

 後に花形が入ることになる安藤組、愚連隊から頭角を現した。自動小銃を抱えてテキヤ一家に殴りこみをかけた。それで逮捕されても、将来のある学生だからと起訴猶予で釈放されたというのがものすごく時代を感じる。他でも刑罰の少なさが、現代の眼から見ると驚く。

 安藤は商売熱心で、米軍の日系二世とのつながりもあって、彼らの特権を使って商品を仕入れたり商売して、その勢力や商売を拡大していった。

 花形、独立独歩で渋谷を堂々と渋谷を闊歩する独得な存在だった。しかし石井ら、普段つるんでいた連中がみな石井の手引きで安藤の舎弟になった。その寂しさもあって、自分も安藤の舎弟となった。

 ただし『安藤組はヤクザ世界の秩序を否定する、アウトローの中のアウトローであった。中でも、花形のアウトサイダーぶりは際立っていた。彼には安藤組の構成メンバーという意識さえ希薄で、「花形敬」という一枚看板で世の中を押し渡っていたからである。』(N2775あたり)というように行状はあまり変わらないようで、組織に縛られていない存在であり続けたようだが。

 馬鹿強さと、その独特なあり方で、暴力の世界でのスター的存在であった。

 石井による銃での花形暗殺未遂。銃を食らったその日のうちに、病院から抜け出して石井を探して歩き回り酒を飲んで女を抱く。著者も書いているようにパフォーマンス的な側面もあるだろうが、すさまじい肉体的・精神的なタフさ。これのおかげで彼の声望もいっそう高まった。

 そして花形を恐れて石井は自首して、服役する。出所した時に花形に呼び出されるがそこで謝罪して、花形も赦して、その後打ち解けた仲になった。

 その後安藤組が落ち目になって、彼が組長代理となったことで下げたことのない頭を下げるようになり、酒を飲んで暴れることもなくなった。その責任感が寿命を縮めた。そして抗争の中で、刺客によって彼は殺されることになる。享年33。

2016-09-18 少年探偵団

少年探偵団

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少年探偵団

少年探偵団

 kindleで読了。ネタバレあり。

 冒頭で真っ黒な影のような、黒い魔物というホラーや都市伝説的なものの噂について語られる。

 そうした事件を聞いたとある富豪篠崎氏が、以前中国で購入したいわくのある宝石を狙ったものではないかと思い至る。それでインド仏教徒の部族で、彼らの秘仏にはめこまれていた宝石を取り戻しにきて、黒い影はインド人だというのは現在の視点だとちょっと突っ込みたくなるところがあるな。

 それで明智探偵に依頼して助けてもらおうとするも、あいにく旅行中で不在。そして小林少年案で変装して、親類のもとへ子供(緑ちゃん)を預けることになる。

 そうして緑ちゃんと付き添いの小林少年は車で親類の家まで車で行くはずだったが、車の運転手が例の謎の存在に代わっていて、そのまま誘拐されて、彼らの味とに連れ込まれることになる。

 しかしその誘拐犯の目を盗んで彼は少年探偵団のバッチをある程度間隔を置いて道に残すように細工をして目印とした。小林少年と緑ちゃんが誘拐されたことを知った少年探偵団は独自に捜査を開始して、その目印を見つけてそれを追うことでアジトを発見する。そのおかげもあってか二人は無事救出されるが、見張っていたはずなのに例の犯人は煙のように消えていて、その家の持ち主である春木氏とコックがいるだけだった。

 そのことがあった翌々日に明知探偵が帰ってきて、小林少年から話を聞く。そして話を聞いた明知探偵は犯人の神出鬼没さの謎が、隠れた道を使っているのだと感づいた。またインド人の姿をしているのは犯人の扮装であることに気づく。しかし小林少年の春木氏に対して『しんから日本人の皮膚の色でした。おしろいやなんかで、あんなふうになるものじゃありません。長いあいだいっしょの部屋にいたんですから、ぼく、それは断言してもいいんです。』という証言をしているが、逆は見抜けなかったのは、そうした肌の黒い人を見慣れていないから色が自然かもわからないからということなのかな。

 そして実際に乗り込む直前まで犯人の一人を篠崎家お抱えの運転手本人だと思っていた。それもあって怪人二十面相が犯人だと気づいて、春木氏を名乗った怪人二十面相にそのことを話す。そして前回捕まえた二十面相が実は偽者だったことが明かされる。しかし明智探偵が前回気づかなかったというよりも続いたから、あるいは思ったより人気でたから、偽者ということにしたという感じがあるなあ。

 そして二人が話している間に警察に周囲を固めさせていて、二十面相も危機一髪という状況だったが黒い危急の目くらましで注意を向けさせた後に隠れて逃げおおせる。

 そして明智に見破られた二十面相は、その名前での活動を再開することになる。

 純金で作った浅草五重塔をレーダーを張り巡らせて、触れると拳銃が発射されるという過剰な防犯体制を引いていた大島氏。二十面相は物自体がほしいのではなく、その防備装置を潜り抜けて盗み出すことに挑戦心をかきたてられて、盗みの予告をする。

 抜け穴を掘るという大掛かりな作戦で盗み出したが、事前にお手伝いの少女に扮した小林少年がちょっとした騒ぎを起こした隙に本物と偽者を入れ替えておいたことで被害はなくてすむ。しかし怪盗は抜け穴の反対側から調べに来た警官に扮装することで、出口で待ち構えていた警官たちをごまかし逃げおおせた。

 しかし黄金塔(偽)を運びだした者を追跡して、アジトを割り出していた。そのため怪人二十面相は少年探偵団と明智探偵と味とで対面することになる。

 しかし追い詰められた二十面相は『二十面相は紳士泥棒か。二十面相は血がきらいか。ありがたい信用をはくしたもんだな。しかしね、探偵さん、その信用もばあいによりけりだぜ』といって溜め込んでいた火薬に火をつけることで巻き添えにすることをにおわせて、明智探偵や警官を退避させる。そうして逃げた後に爆発が起こったが創造よりも爆発が小さかった。まあ、それからもわかるようにブラフで引かせて、見事に逃げおおせたという感じで終わる。

 今回最後に明智探偵に一杯食わせたが、盗み自体は一回も成功していないし、敵役である怪盗二十面相の凄さがいまいち伝わらないなあ。彼のやり口も前回もそうだが、どうも大味だしね。まあ、児童文学としてかかれたものだから、大仕掛けのほうが凄さが伝わるからそうしたものにしているというのもあるだろうから仕方ないことだけどね。

2016-09-15 御曹司たちの王朝時代

御曹司たちの王朝時代

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御曹司たちの王朝時代 (角川選書)

御曹司たちの王朝時代 (角川選書)


内容(「BOOK」データベースより)

光源氏の友人たちも、こんな感じに生きていたのだろうか。王朝時代に実在した名門貴族家の御曹司たちが関わった24通の手紙からは、宮中の職務をさぼったいいわけ、関白邸での待ち合わせの約束、遊興への参加の強要、仲間外れへの恐怖など、華麗な王朝イメージとは違った人間くさい暮らしぶりがかいまみられる。優雅な人柄と思われがちな御曹司たちの実像を描き出した試み。


 kindleで読了。

 「雲州消息」という王朝時代に編纂された当時の上流・中流貴族たちの間で交わされた手紙が収録された書簡集から、そこに収録されている多くの手紙が現代語訳(原文と読み下し文もある)にして紹介されている。現代語訳してくれているのは、とてもありがたい。そして 手紙ごとに当時の物事(官職や習慣)などの説明や手紙の解説がされているので読みやすいし、手紙を書いた人の個性も見えて面白い。

 平安時代の名門貴族の御曹司の手紙を見ながら、当時の彼らにはどういう気苦労や楽しみがあったかなどが書かれる。

 非常に優雅で、苦悩とは縁遠くイメージされることのある王朝貴族だが、彼らは貴族であるとともに、官人でもあった。そのため宮仕えであるが故の悲喜こもごもや喜怒哀楽があった。そうした人間らしい悩みや気苦労、そして楽しみなどが書かれている。

 「源氏物語では大臣家の御曹司だったが、この絵中量を持して受領になった明石入道は変わりものと扱われているが、現実世界では右大臣藤原実資の子藤原資頼や権大納言藤原行成が受領として受領(中級貴族)として生きる道を選んだように、名門貴族家出身で公卿(上級貴族)の道でなく、受領の道を選ぶ人も珍しい存在はないとのこと。

 公卿は受領と私的な主従関係を持つことでその経済力を高い水準に保つことができた。受領は公卿に富を提供したのは権力者による保護を期待してのものである。そのため将来性のない公卿であると、受領とそうした関係を結べず、公卿は名ばかりで困窮することもあったようだ。

 歌会で疲労された和歌は参加されていなかった人々にも批評されることになる。そのため拙い歌を披露してその後肩身が狭くなることを防ぐために代作を頼むこともあった。

 そのように王朝貴族はそうしたことや、暗黙の振興のルールによる交友、交遊の煩わしさなどもあって、『ときとして遊興に出かけてさえ、場合によっては、所謂「付き合い」で遊びに出たときの現代人と同様、必ずしも楽しんではいなかったのである。』(N2415あたり)。そのように御曹司には御曹司ならではの生きにくさもあった。

 何事もなくても日参することが奉公といった奉公観があった。そうしたこともあって関白が朝廷の事実上の最高権力者である時には、関白邸への出入りをゆるされると、それ以降は毎日関白邸に顔を見せなければならなかった。

 牛車を牽く牛は、その角の大きさによって評価されていた。そして『当時、名門貴族家の御曹司でさえ、牛車用の牽き牛は、一頭しか持っていなかったらしい』(N3585あたり)というのはちょっと意外。

 長谷寺に行くのに、強盗がよくでることで知られる奈良坂を通る必要があった。そのため従者に武者を加えるために、軍事貴族(後の武家棟梁と呼ばれるような家の人)に依頼して武者を貸し出して貰っていた。

 王朝時代の名門貴族であっても、『自己の経営する荘園からの収入によってその出費の大半を賄っていたわけではない。』(N5510あたり)。あくまで彼らの本質は朝廷に仕える官人で、『朝廷から与えられる棒給によって暮らす給与生活者だったのである。そして、そんな彼らにとって、荘園からの収入と言うのは、副収入として扱われる程度のものに過ぎなかった。』(N5510あたり)。

 あとがきの「雲州消息」は書簡例文集としての本だが、そこに収録されている手紙に冒頭の挨拶に言葉はない。当時は手紙の書き出しを、挨拶の言葉からはじめるという文化はなかったという話はちょっと面白い。

2016-09-12 ガルシア=マルケス全短編

ガルシア=マルケス全短編

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内容紹介

「死」や「夢」など根源的な主題を実験的手法で描き、溢れんばかりの活力を小説に甦らせたコロンビアノーベル賞作家ガルシア=マルケスの短篇全集。「青犬の目」「ママ・グランデの葬儀」「純真なエレンディラと非情な祖母の信じ難くも悲惨な物語」と題されてまとめられた初期・中期・後期の3つの短篇集所収の26編を収録。巻末の詳細な「作品解題」とあいまって、この作家の誕生から円熟にいたるまでの足跡をつぶさにたどることができる。

(amazon より)


 最初の短編(1947年)から1972年までの四半世紀に発表されたほぼすべての短編、26の短編が収録されている。それでも1948年の「トゥバール・カインは星をつくる」は何故か収録されていないそうだが。

 収録作の中で個人的に特に面白かったのは「六時の女」。あとは「火曜日の昼寝」や「善人ブラカマン、奇跡の行商人」とかもいいね。

 最後の作品解題で、各短編1作ごとのテーマだとかそれまでの短編と比べてどういう変化があるかなどについての簡単な解説がなされているのはとてもありがたい。

 「第三のあきらめ」子供時代から植物人間状態となっている青年の内面を描いた短編。

 そして死亡後もその精神が肉体から離れてていかずに、感覚もあるようで、腐敗する死体と共にある苦痛が書かれる。そして埋葬される段になって、まだ死んでいないと思って今までの死を受け入れていた感情を一転させ、早すぎた埋葬に恐怖を覚える。しかしそれは夢で、夢から醒めると今度はせめて臭いがひどくならないときに埋葬をと思うようになる。

 最初期の『「第三のあきらめ」から「鏡との対話」までの四作品は、「死」をテーマに、異常な感情にとらわれた主人公の主観的・内的な視点を通して語られるという点で同一線上にあると言えよう。しかし、主人公の状態に関しては、死者→精神的存在→夢の中の人間→眠りから覚めた人間へと変化していく。それにつれて、作品が展開される舞台も意識だけの病的空間から動きのある日常生活がのぞく世界へと移行している。』(「ガルシア=マルケス全短編」N5080あたり)初期は習作という感じで、似たパターンなので連続で読むのはちょっと辛さあるな。

 「三人の夢遊病者」解題によると姉と思しき『彼女』。「笑わないよ」と宣言してその通りにして、その次に「ここに座ったままでいるよ」と宣言してその通りにする。そうして宣言していきながら、徐々に衰えていくというのが印象的。

 『前期四作品からの作風の転換点(中略)語り口に関しては、冗漫な傾向が認められる全四作に比べ、的確さが増し、ことさらに醜悪さを強調するような表現も見当たらない。<僕たち>の諦念が底流にある清澄な文体は、まるでメルヘン的な絵のように独自の死的世界を創出している。』(N5088あたり)

 「六時の女」この短編集の中で一番好き。レストランを舞台にした、店の主人のホセと彼が惚れている毎日六時にこの店に来る女(娼婦)の二人の会話劇。その二人の駆け引きが面白い。

 ホセは毎日彼女に食事をおごっている。彼女が文なしだというので、それの真偽は問わず、ただおごりおごられている。そして彼女は毎日男と出ていくという日々であった。

 今日も彼女は六時に来た。しかし彼女は、今日は六時の十五分前に来たと唐突に告げる。

 何があったかは言わず、そう何度か言うことで、彼女は彼にそう「証言」してほしいのだと読者は察する。しかしホセはあなたは酔っているんだと言いながら、冗談口をたたく彼に少しいら立つ。

 そしてあんたに惚れているといったホセに、彼女は本当に惚れているのかと念を押す。それに対してホセはぞっこんに惚れているから、寝ない(商売で、金を払って相手とならない)のだと話す。

 それに思わず笑う彼女。さすがにむっとするホセ。

 しかし彼女はホセを見て表情を変えて、商売の相手を殺したいと思っているとまでいったホセに、それなら『もし、あたしがそいつを殺したとしたら、あんた、あたしを守ってくれるってわけね?』(N1010あたり)と尋ねる。

 そこで事をなんとなく察するホセ。

 そして彼女はあたしのために嘘をついて欲しいと頼む。六時十五分前に来たと。

 事の重大さになかなか決心がつかないホセ。それにいら立つ彼女、明日ここから立つというのに何にも言ってくれなかったねと言う。

 そういわれたことで、本当に遠くへ行くのだと感じて更に悩む。

 結局その交渉がどうなったのかは微妙なまま終わる。ただ、このままだと押し切られそうな予感はぷんぷんするけれど。

 解題に『客観的に事実を述べる報道記事のような直截簡明な文体』(N5110あたり)とあるけど、「予告された殺人の記録」を読んだ時も思ったけど、やっぱり個人的にはガルシア=マルケスの小説は、幻想的な作品よりもこうした文体の作品の方が好みだな。

 「火曜日の昼寝」泥棒に入って殺された男の墓まで遠いところまで出かけて、そして堂々とそのことを名のって弔いをするその男の母と妹。

 母は人を飢えさせることにはなる泥棒はしてはいけないといっていたが、金銭に窮しての泥棒でそれをすることで人を飢えさせることにはならない泥棒だったのだから、別に息子を恥じなていない。その教えは守っていた、息子は最低限守らなければいけないものはしっかりと分別がついていたし、いい子だったと後ろ指を指されることになった今でも恥じていない母の強さ。

 泥棒の遺族が来たと知った村の人々による好奇の目にさらされても、それを気にせずに堂々と墓参りをする。そうして何も恥じることないと振舞うことで、息子への愛の深さと彼への誇りが示される。

 しかし解題にあったけど、「百年の孤独」にその泥棒が撃ち殺された挿話があるのか。

 「この村に泥棒はいない」金に窮して玉突き(ビリヤード)屋に泥棒に入った男。しかし金が小銭しかなく、ただ玉だけ盗んで帰る。金はなくとも一種の冒険の証として玉を持ち帰ってきたダマソだったが、それならいっそ何も盗まなければよかったという妻アナ。そのビリヤード店の店主は実際は盗まれていないのに大金(なのか、紙幣価値がよくわからないからわからないけど)盗まれたと官警に申し出る。そして罪なき人が逮捕されて、玉突き屋がその後寂れっぱなしなので玉を返しに行こうとする。その姿を店主に見咎められる。悪いことをしたが最終的に善意で返却に行ったダマソだったが、当の店主から金は盗まずに玉だけ盗んだなんて誰が信用するのかといわれて、店主はダマソから逆に金を巻き上げようとする。

 「ママ・グランデの葬儀」マコンドの地主というか実質領主で、長い間その地を支配してきたママ・グランデの死亡時の出来事が書かれる。彼女の写真が20の頃のものしかなく、新聞はそれで死亡記事を書いて、その美しさにママ・グランデフィーバーが起こって、葬式は想像をはるかに越える大イベントとなる。

 「世界で最も美しい溺死体」ある村に大きな身体の非常に美しい男の溺死体が流れ着いた。その美しさが色々と人々の想像を誘い、生前は縁もゆかりもない人物であったが、村の人々は彼はエステバンという名前だと信じて、そう呼び、彼に親しみを持ち、愛すべき人物であったろうその人物を悼む。

 「善人ブラカマン、奇跡の行商人父親に売られて、はったりを利かせて、奇跡的な品を討ったり見世物をしたりする行商人についていくことになった語り手。そこで彼はその行商人悪人ブラカマンに虐待を受けながら遍歴することになる。そうした虐待で危うく死に掛けているときに彼は、癒しの奇跡の力を得る。彼のその力を使って、悪人ブラカマンは商売をする。そのうち悪人ブラカマンは自分の命を危機に瀕させて、それを癒すというパフォーマンスを行ったとき、語り手はその能力で生涯ただ一度の失敗をする。そして盛大な葬儀を挙げてやったが、墓に入った後に復讐で彼を生き返らせる。そして彼は善人ブラカマンとなり各地を歩き癒しの力で人々を癒しながら、その地に来たときには悪人ブラカマンが再び死んでいるとそいつを墓の中で生き返らせるということを繰り返して長年の恨みを晴らしている。