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2017-09-26 紙の動物園 ケン・リュウ短篇傑作集1

紙の動物園 ケン・リュウ短篇傑作集1

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 ネタバレあり。巻末の「編・訳者あとがき」にファンタジィ篇とあるように、ファンタジーのような味わいの短編が多く収録されている。収録作の中では、表題作にもなっている本書最初の短編である「紙の動物園」が一番好き。

 「紙の動物園」アメリカ人の父と中国人の母から生まれた主人公。母の魔法で、彼女が折り紙で作った動物たちは意思を持ち動く。子供の頃はその動物たちが好きだった。その楽しき記憶が書かれる。ある程度成長した後、母が見合いで半ば父に買われる形でアメリカに来たことに対する周囲の嘲りを耳にする。そしていつまでたっても英語を理解せず余所者であり続ける母と、そのために自分もそう見られる。そうしたことを恥ずかしかったり苛立たしく思う気持ちが出てきて、自分がアメリカ人だと強調するためにもう一方のルーツの中国を遠ざけ、中国人の母も遠ざけた。そして親子の間が一気に疎隔となる。母が病気で死んでしばらく経った清明節に母が昔作った紙の動物が主人公の下に来た後に、その身体がひとりでに折り目をほどいて広がる。そして、その紙の動物は母が中国語で自身の出生や、息子である主人公への思いを書いた手紙となった。そこで書かれる息子への切ない思いが泣ける。血を分けた子だからこそこんなにも愛おしいのに、本人はその血を嫌っていることの悲しさ。ろくにコミュニケーションをとれなくなった悲しさがつづられていて、思わず目がうるむ。

 特殊な状況もあって、安っぽいお涙ちょうだいものにならずに親の愛を描いているのがいいね。

 「月へ」アメリカに亡命することを望む中国人親子と、その弁護士サリーの話。国に荒っぽく土地の立ち退かされ、抵抗して妻が死に自分も大怪我して、それを訴えても取り合ってもらえなかった。そのためアメリカに亡命することを望むが、そのままのことを話しても『人種、宗教、国籍、あるいは特定の社会集団の一員であること、あるいは政治的見解を理由に』したものではないから亡命認められない。そのためキリスト教徒で迫害されたと嘘をつく。

 サリーは彼を助けられるべき人だとは思うが、自身のルールを守るという強固な信念を変えてでも助けるべきかとひどく考え込む。そんな中で彼女は子供の頃にお手伝いさんが子供に食べさせるために、夕食の残りの一部を持ち帰っているのを見て、ルールは守らなくちゃと父に話して辞めさせて、その後元お手伝いさんを見た時生活に困った様子だったことを思い出す。

 この短編集「紙の動物園」「月へ」「太平洋横断海底トンネル小史」と、自分が過去に切り捨ててきたものと改めて向き合うという物語が多いな。それに「結縄」「心智五行」は人類の多くが捨ててきた技術と再び出会うという話。

 「結縄」結縄文字の描写は面白い。でも、このブラックな落ちは苦手だな。

 「太平洋横断海底トンネル小史」IF世界。アメリカと日本が戦争せず、共同してアジアとアメリカを結ぶ太平洋横断海底トンネルを作った世界。その世界で長くトンネル掘削作業に携わってきた台湾人の主人公がアメリカ人女性との出会いをきっかけに、開通を記念した青銅の銘板にある自分の名の部分を消して工事の中で見たトンネルを開通させるためにされた蛮行を暗示する鎖の絵をいれて、秘かな告発をしようとする。

 「心智五行」宇宙飛行士のタイラは大きな事故でただ一人生き残り、遠い昔に移民した人々が暮らす惑星にアーティという人工知能と共に漂着する。

 宇宙に進出した人類主流ではバクテリアが完全に排除されている。フォーツォンの一族は昔ながらの中国五行説食事医療バクテリア共存している。救援が来たが、タイラはフォーツォンと相思相愛になって、この地に根付く。救援に来て惑星を取り上げようとする人たちに対しては、最近バクテリアの大規模感染が問題となっているが、この地のバクテリアとの共存方法が参考になるかもしれないからと説得して、その地上げ屋じみた行為を辞めさせた。「編・訳者あとがき」に『クラシカルなSF風刺短編』(P261)とあるように昔ながらの物語。

 「愛のアルゴリズム」優れた会話可能な人形を娘の死から逃避するように作る。他の人間では本物だと見まごう出来だが、開発者本人だから次の反応がわかってしまい、やはり偽物だと痛感し、自分にとっては慰めにはならないと主人公は感じる。そしてアルゴリズムに通暁した結果他人にもアルゴリズムを感じて、偽物に囲まれているような孤独感を抱く。

 「文字占い師」半世紀ほど前の台湾で孤独感を深めるアメリカの女の子が主人公。偶然から友達になった甘さんとその孫のテディ少年。甘さんが昔のことを主人公に話し、彼女がそれを父に漏らしてしまったがゆえに悲劇が起こる。そしてその出来事を乗り越えて前に進んで行く。

2017-09-23 甲子園への遺言

甲子園への遺言

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 kindleで読了。

 60歳、長年(約30年)やっていたプロ野球のコーチを辞めて、高校教師となって高校野球の監督として甲子園を目指そうとしていた矢先に癌で亡くなった野球人高畠導宏氏の伝記。選手としては将来を嘱望されつつも不幸な怪我もあって大成できなかったものの名コーチとなった。

 甲子園優勝という大きな目標を掲げても、周囲の人に彼ならばやるだろうという思いを抱かせることができる人物。読むと本書中でも幾人かの口から出ていたが、高校生に指導できていたらどんな選手が生まれていただろうというifが知りたくなる。

 オリックスやMLBで活躍した田口選手が受けた、高畠コーチの指導の1つに「バットを投げる練習」というものがある。『これは正しいバット軌道をつかみ、バットをなるべく体の近くを通す、つまりインサイド・アウトでバットを出せるようにするための物でした。バットを正面(センター方向)に投げようと思ったら、右中間に向かってバットをなげないといけません。(中略)一番理想なのは、センターからライト寄りの右中間に向かって投げる。そうすると、うしろが小さくて前が大きい”卵型”の理想のスイングが出来上がります。

 僕のバットはグリップが異常にでかくて、投げにくかった。だから、わざわざグリップの部分を切り落として投げるためのバットを一ダースほど作りました。』(N226)

 他にも『ティバッティングで、ボールの底を着るようにして打ち、ボールを真上に上げる練習』(N237)スイングスピードとバットコントロールの正確性を上げるための練習なども行った。

 高校時代から抜群の打棒で高校卒業して社会人野球の丸善石油に入るも、一年で休部。その後中央大学に進むという一風変わった経歴の持ち主。ドラフト巨人に指名されるも、社会人野球の日鉱日立の後藤監督が絶対に欲しいと囲いこんで、そのまま日鉱日立に行く。その後南海へ入団した。左右に打ち分ける強打者。

 当時の日鉱日立の後藤監督は長年そのまま巨人に入っていたら、怪我もなく選手としても大勢したのではないかと気に病んでいた。癌が判明した後に病床の高畠氏を訪れた時、長く気にしていたそのことを尋ねた時の二人の会話がいいね。『今の私があるのは、あのときがあったからですよ(中略)もし、巨人に行っていたら、九連覇には多少役に立ったかもしれないが、おそらくそこで終わっていたでしょう。一年、日鉱に御世話になって南海に行ったからこそ、今の自分がある。本当にいいスタートを切らせてもらって、感謝しています。』(N1238)その言葉で『後藤は何十年来の胸のつかえがとれることになる。』(N1238)そして高畠氏も後藤監督がその年に辞めることになったのは、都市対抗大会予選の北関東準決勝での自分のミス(本人はそう感じていたこと)で負けたのが原因ではないかと長年気にしていた。しかし同じ時に後藤監督から、それが理由ではなく色々な理由があってその前から辞めるのは決めていたと伝えられたことで長年の胸のつかえが下りた。両者が長年気にしていたことが、最後になって直接違うと聞かされて安心したというこのエピソードは好き。

 高畠氏が入団した南海は日本で最初にスコアラーを用いた球団。鶴岡監督の下で参謀で蔭山ヘッドコーチと尾張スコアラー、そして野村捕手がデータ野球をはじめていた。

 10年選手にはボーナスを支払う必要があるから南海はその前にトレードで放出することが多かった。そうして大洋へトレードされた森中投手。『冷たい球団の仕打ちに起こった森中に、尾張はあるものをプレゼントした。』(N1447)日本シリーズ用に収集した巨人のデータを渡したという、このエピソードはいいね。森中投手はそのメモもあって、その年巨人戦7勝して、18勝14敗という成績をあげた。

 南海に入ったばかりのとき、野村選手兼任打撃コーチに「なにも変えなくていい。このままでやれ」と言われる。そして野村は『「高畠を絶対に新人王にする。あいつなら必ず獲れる」/ と、公言して憚らなかった。』(N1628)それほど完成度の高い打撃だった。

 しかしオープン戦期間中に練習で肩を怪我して、その怪我を隠して試合に出ていたら『脱臼は開幕直後からクセになり、ボールを投げることさえかなわなくなっていたのだ。』(N1736)その脱臼癖がたたって活躍できていなかったところ、3年目に兼任監督となった野村監督に代打の切り札として見出された。昭和45・46年と代打中心の起用で3割打つなど、当時DHがあったらもっと活躍できたであろう選手。昭和47年には肩の怪我の影響でバット振るのも難しくなった。そして野村監督にアイデアの豊富さが見込まれて、28歳で打撃コーチ転身を命じられる。

 高畠氏は色んな練習を思いつくアイディアマンであり勉強家、そして多くの選手から慕われる人柄もあってコーチとして成功する。

 また、彼はピッチャーの癖を見抜く達人でもあった。昭和45年『野村はつぶやくように、米田が投げようとする球種を次々と当てていく。高畠はその時、ただ「一流打者の読みはすごい」とあっけにとられただけだった。

 また、米田と対決の時がきた。野村が、ふたたび高畠を呼びつける。「分かったか」と野村。高畠は、どういう意味なのかさえ分からなかった。すると「アホ、まだ分からんのか」と、米田がフォークボールを投げる時のクセを教えてくれた。ついでに、一冊の古びた本をポイッと投げつけて去った。(中略)古い本には、球史に残る大リーグの強打者、テッド・ウィリアムスがこう書いている。

「全投手のうち、80パーセントにあたる投手の球種が、投げる前からわかっていた。それほど投手の癖はあるものだ」』(N2321)野村監督が読んだというテッド・ウィリアムスの本、高畠氏も読んだのか。他にも読んだ人いるのかちょっと気になる。

 ロッテ時代高畠コーチが指導した、後に名遊撃手となる水上氏。それまで全球打ちに行っていたのを、ヤマを張ってその球が来たら仕留められるようにしろ。打てないとフォームいじるのが主流だった時代に、そういわれてから打てるようになる。たとえ山はずれて絶好球で三振しても、高畠コーチがこういう取り組みをしていると監督にいってくれて責任を持ってくれているので、そのやり方を試すことができた。その取り組みもあって全130試合に出場し9番で15本のホームランを打った。そして翌年には投手の癖が読むことを教えられる。そのようなコーチ時代の選手を成長させた話が面白い。

 高畠コーチは水上氏に通常バッティングでしてはならないというバットをこねるのを手首の弱さを克服させるために練習させた。

 『配球を読む力も、ピッチャーのクセを見抜く力も、高さんには誰もかないません。でも、もっとすごいのは、高さんの頭の中に”引き出し”が無数にあったということです。その選手の欠点を見つけると、基本からまったく外れた練習でも、それを通じて克服させることができた。それが高さんです。』(N2604)

2017-09-19 わたしは英国王に給仕した

わたしは英国王に給仕した

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 ネタバレあり。

 背丈の低いホテルの給仕人を務める主人公ヤンが、彼自身が給仕人となって以降の人生について語る。基本的にひとつの環境あるいはある時代ごとで章分けされている。

 各章の最初は「これからする話を聞いてほしいんだ」で始まり、最後は「満足してくれたかい? 今日はこのあたりでおしまいだよ。」 で終わる。ホテルに来た人たちの少し風変わりなエピソードや思い出が次々と語られる。

 『ありえそうにない小話や信じられないエピソードを連結して滔々と語っていくヤン・ジーチェ』(P251)と解説に書かれているように、ほどよく現実離れした、驚くような情景やエピソードが多数記されていて面白い。こうした物語は好き。

 「グレナディンのグラス」主人公が給仕を始めたばかりの少年時代、「黄金の都プラハ」ホテルに務めていた頃の話。

 冒頭の給仕見習いをしていた頃、駅でソーセージとパンを売りに行っていたがその時に釣りを出すのをわざと遅らせて、あと少しの所で渡せなかったというふりをしてお金をためていたというエピソード、印象的。「月報『小さな国の小さな男』池澤夏樹」に『いいエピソードがあるのではなく、この小説そのものがエピソードというタイルを敷き詰めた床面なのだ。そのタイルの一枚ずつに驚きに満ちた画像が描きこまれている。』と書いてあるように、多くのそうした印象的で面白いエピソードがある。

 子供の頃、主人公が水車小屋の中の小さな部屋でおばあさんと暮らしていた。おばあさんは旅行者が窓から投げ捨てた汚れた下着を拾って、それを洗濯し繕い、売って暮らしていたというエピソードもいいね。

 「ホテル・チホタ」黄金のホテルプラハで知りあったヴァルデン氏の紹介で、ホテル・チホタに転職した主人公。そのホテル・チホタ時代の話。このホテルは普段はあまり忙しくないが、いざ客が来ると客人たちは豪華に騒ぎをする。その幻想的な乱痴気騒ぎに興じるお偉方の姿の姿が書かれる。

 客人たちは夜通しそうした騒ぎに興じた後『百コルナ札を手にいっぱい抱えて、演奏家たち、そしてわたしに百コルナ札を何枚か手渡す。君たちは何も見なかったし、何も聞かなかっただろ、と意味深い眼差しを私たちに投げかけながら。もちろん、わたしたちはすべてを見て、全てを聞いていた。』(P71)

 ホテル・チホタでの同僚ズデニェク。ホテルの客たちのように振舞い、面白いことをして蕩尽する。『ズデニェクはどうやって数千コルナを使うか十日のあいだずっと考え続けている』(P161)。例えば村の人気のない居酒屋を訪れ、そこに音楽家や村の人々を呼んで、酒を皆におごるなどして金を使い果たす。車でホテルに帰る時まで、音楽は続いている、その情景がいいね。楽しそうな蕩尽法だ。その後の章でも書かれる彼の様々な金の使い方、どれも魅力的。元楽団員の叔父のもとへこっそり行って、以前に彼が作曲した曲を楽団にサプライズで演奏させたというエピソードもいい。

 南米のある国がプラハの幼子イエス像を自分たちのためにもう一体聖別してほしいと願い、ホテル・チホタでその儀式がおこなわれることになる。その時にトラブルが起きて、責任を押し付けられる形でホテル・チホタを去ることになる。

 オーナーには見えない場所にいるはずなのに、笛で休まず仕事をするようにという警告が来る。他にも色々と幻想的ともいえる出来事が書かれるから、特別理由書かれなくても、幻想的な1エピソードと思っていた。その理由が次の章で書かれるのはちょっと面白い。

 「わたしは英国王に給仕した」ホテル・パリ時代の話。洞察力に長けて、仕事着のタキシードがこれ以上なく似合っている年配の給仕長と出会い、気に入られる。彼のその洞察力に、何故分かるのかと尋ねると「英国王に給仕したことがあるからだよ」と述べる。

 ホテル・パリでエチオピア皇帝を迎えることになり、主人公はエチオピア皇帝の給仕をすることになった。そしてその後、彼は給仕長のように、なぜわかったんだと不思議がられたりすると「わたしはエチオピア皇帝に給仕しましたから」と返すようになる。結局主人公は最後まで英国王に給仕することはなく、タイトルはホテル・パリの給仕長の口癖からきているというのはちょっと笑った。

 ドイツチェコへの侵入前。主人公はドイツ系の女性リーザと出会い、互いに惚れる。当時チェコでは総統に期待するドイツ系住民がいて、リー座もそのうちの一人だった。同時にチェコ人はドイツ人に差別的な態度を取るようになっていて、同僚たちは彼に会いにホテルに来るリーザに露骨な嫌がらせをしていた。そして二人で道を歩いているときにチェコの愛国主義者から、彼女は靴下を脱がされるという辱めを受ける。そうした味方のいない日々の中で二人の絆は深まっていった。そしてドイツ軍プラハを占領して、周囲との立場は全く逆転することになる。

 「頭はもはや見つからなかった」チェコドイツ占領時代の話。主人公はリーザとの交際が続き、結婚し子供をもうける。リーザとの縁があり、彼女が出世したので、不自由なく暮らす。彼女の威光もあって、内心では見下されているもののドイツ人にもそれなりに尊重されていた。ドイツ占領下で圧迫をくわえられているチェコの人々との対比。

 ドイツ敗戦が現実的になってきて、自分が再び故国チェコに戻れないだろうと思う。しかし偶然にも誤って逮捕され、そこで暴行を受ける。この出来事は自分の帰国への切符だと思って、嬉しく思っているのが面白い。ドイツに逮捕され暴行を受けたという「実績」が、ドイツに迎合した仕事をしていたことへの免罪符になると考えた。

 終戦前に妻は死亡し、息子を置いて、妻が略奪して手に入れた貴重な切手が詰め込まれたスーツケースを手にチェコへ帰還する。

 「どうやってわたしは百万長者になったか」終戦後、処罰対象にはなったものの半年の罰で済む。その後に切手を売って大金を手に入れそれを元手にホテルを作る。そして石切場と名付けたそのホテルは大変立派で、有名なホテルになる。そうして百万長者になった主人公だが、他のホテルオーナーたちは彼を認めようとせず、ホテル協会への入会を勧めようともしてこず黙殺している。

 戦後大物政治家となったズデニェクの代わりに逮捕されたということもあって、ズデニェクは色々と彼に便宜を図ろうとしてくれる。

 旱魃で百万長者に分担金が課せられることになり、その分担金を払うことで天下に名実ともに自分が百万長者であると公言し認められることになると思った。しかし待てど暮らせど、分担金を支払うようにという知らせが来ない。ズデニェクが借りを返すため、気を利かせてその分担金を負担しなくていいようにしたようだ。しかし主人公はその負担が欲しかったのだ。

 二月事件(1948年2月、チェコスロヴァキア共産党が事実上の一党独裁体制を成立)後、百万長者が次々と逮捕される。逮捕される前に国を去る決心をして、彼のホテルで最後に豪遊する百万長者も多かった。しかしまた彼には待てど暮らせど逮捕しにこない。やはりズデニェクが逮捕されないように取り計らってくれたことを知るが、自分が百万長者になったことを認められるためにも百万長者だという証拠を自ら出して逮捕されに行く。主人公は百万長者として収容所に入ったが、ここでもやはり戦争成金である彼は他の百万長者に自分たちの仲間とは認められなかった。

 逮捕されて行った収容所内では、百万長者たちは所長や民兵たちを客のように扱って、豪華な食事をしたり、音楽家を呼んだりと持っている金をガンガン使って、かなり自由な生活で外にいる家族たちよりも気楽に暮らしていた。そのため収容所が閉鎖されるようになった時『晩餐は非常に陰気なものとなった。本当の最後の晩餐であるかのように、誰もが悲しげかつ厳かな様子だった。』(P199)

 山奥での道路工夫をすることにした主人公。山奥に一人で動物たちと共に暮らし、遅々として進まぬ道路補修の仕事に精を出し、そしてたまに村に下りて村の人たちと交流する。雪深くて村まで下りられない日々の中でのクリスマスイヴ、深い雪をかきわけて村の人たちが主人公に会いに来てくれて、共に祭日を祝ったところで終わる。このハッピーエンド、いいね。

2017-09-16 ベラ・チャスラフスカ 最も美しく

ベラ・チャスラフスカ 最も美しく

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ベラ・チャスラフスカ 最も美しく (文春文庫)

ベラ・チャスラフスカ 最も美しく (文春文庫)

 kindleで読了。

 東京五輪・メキシコ五輪体操の金メダリストベラ・チャスラフスカの伝記。プラハの春で改革路線を支持する「二千語宣言」に署名した。プラハの春後の「正常化時代」に署名者たちの多くはその宣言を撤回せざるをえなかった。そんな中で社会的地位が失われて生活が不自由になっても撤回しなかった少数の人間の一人。そんな姿勢もあってか、ビロード革命後は大統領顧問やチェコオリンピック委員会会長にも就任する。しかしそのあとにおこった息子マルティンが父(前夫)を傷害致死で死なせてしまう事件が起きたのもあって、精神に変調をきたした。

 著者が本書を書いた時は、そうした事情もあって直接会って話すことは不可能だったが、チェコでコーディネーター・通訳を務めてくれた人を通じていくつかの質問をして、回答を貰った。そこで二千語宣言を撤回しなかった理由を質問には『節義のために。それが正しいとする気持はその後も変わらなかったから』(N115)という回答を貰う。

 さまざまな人物に対するインタビューが多く収録されている。彼女をよく知る人、現役時代の国内外のライバルたち、彼女と交流があった日本の選手たち、プラハの春に関係した人々など。当時のさまざまな国の体操選手にインタビューがなされていて、当時の事やその後の事を聞けるのも面白い。そうしたインタビューの中で、色んな人々に及ぼしたプラハの春とその崩壊の影響などもいくらか書かれているのがいいね。

 社会主義国のアスリートは純粋培養というイメージがある。しかし少なくとも彼女の時代のチェコオリンピック選手はそうではなく、彼女も働きながら学校を卒業した。代表クラスになっても普通に学校に行き、働いていた。

 チャスラフスカが二千語宣言を撤回しなかった理由について、オリンピックチャンピオンということが支えになって、それに恥じる生き方はできないという思いがあったのではないかと親しい複数人から指摘があった。彼女は政治好きではないが、そのような考えもあって撤回しなかった。

 「第二章 東洋の娘たち」でのベラ・チャスラフスカと交流が深い東京五輪の体操選手たちに対するインタビューも面白い。当時の日本の体操話や、選手引退後にも何かとあったチャスラフスカとの交流の話が面白い。

 メキシコ五輪直前に、プラハの春を終わらせるためソ連ワルシャワ機構軍が侵攻してきた。その時チャスラフスカは北モラビアの山奥の小屋に隠れて、3週間過ごす。そのように直前をろくに練習できず過ごしたのに金メダル取るってすごいな。

 二千語宣言を撤回しなかったため、幼い子供に体操を指導する仕事でわずかな報酬を得るほかなく苦労する。79-81年にメキシコでコーチをする。そして1980年代半ばには国際的な圧力やソ連ペレストロイカもあり、83年にようやく選手に対するコーチングできる場所に仕事を得て、ソウル五輪時はソウルに同行はしないものの国内での育成コーチになった。一方で家庭生活では両親と弟の死や、離婚があった。

 ビロード革命後、ハヴェル大統領からスポーツ担当大臣や駐日大使などのポストを提示されるも一旦は断る。しかし後に無給で医療福祉担当の大統領顧問になり、熱心に働くことになる。

 1993年息子マルティンが酒場で父と口論になり、殴られて転倒した父が1月後に死亡する事件が起きた。その事件をきっかけに反ベラキャンペーンを一部大衆紙が行われた。それで多くの人からの誹謗中傷を受けて大きく精神的に弱って、入院することになった。

 多くの人のインタビューを通じて、60年代から70年代にかけての女子体操界の変化についても書かれる。チャスラフスカとコマネチ、時代を体現した二人の卓越した体操選手についても書かれる。

 メキシコ五輪ではチェコ侵攻のこともあり、ソ連選手団に冷たかった。クチンスカヤはその表情豊かで楽しげな『人としてもつ「内側からの輝き」』(N3265)でソ連体操選手の中でただ一人メキシコでも応援された。現在アメリカ在住で、90年代前半には日本でコーチもしていた。その日本でのコーチ時代の話も面白いね。

2017-09-12 詩という仕事について

詩という仕事について

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詩という仕事について (岩波文庫)

詩という仕事について (岩波文庫)

 ボルヘスの1967-8年のアメリカでの全6回の講義の記録が後に見つかって書籍化されたもの。

 『「詩を汲む」。これこそ私の得た、いわゆる最終的な結論です。事実、空白のページを前にするたびに私は、文学は自分で再発見していくもの、という気がしています。』(P8)

 エマソン図書館は死者が満ちあふれているが、それらの死者はページを開くことで甦ると書く。『バークリー主教についてですが、私の記憶によれば主教はリンゴの味覚はリンゴそのものには無く――リンゴ自体は味を持たない――リンゴを食する者の口の中にも無い。両者の接触が必要である、と書いています。一冊の書物、あるいは書物の集まり、図書館についても同じです。』(P10)リンゴのたとえ面白い。

 『詩の「初めて」の読みこそ本物であって、以後はその折りの感覚が、印象が繰り返させると信じられがちですが、私に言わせれば、それは単なる思い込みであり、記憶の単なるまやかしであり、今のわれわれの情熱とかつて抱いた情熱の単なる混同です。つまり詩は、一回限りの新しい経験であると言えるでしょう。私が一編の詩を読むたびに、その経験が新たに立ち現れる。そして、これこそが詩なのです。』(P14)

 『ソクラテスの亡くなったあと、プラトンはしきりに自問します。「さて、この私の疑問について、ソクラテスは何か言っているだろうか?」というわけで、敬愛する師の声をもう一度聞くために、プラトンは数多くの対話を書きとめました。(中略)その主要な目的は、ソクラテスが毒人参を飲んだにもかかわらず、なおかつ自分の傍らにあるという幻想を得ることであったと私は想像します。そしてそれが真実であると私は思います。私自身もこれまでに多くの師を持ちました。(中略)私もまた彼らの声を聞きたいと願います。彼らが考える通りのことを考えられるように、ささやかないたずらですが、時には彼らの声をまねてみることもあります。彼らは常に、私の周りにいるのです。』(P16-7)この一節、印象的。

 同じ言葉でも時代の移り変わり、ある作品で使われたことでイメージの変化(例としてドン・キホーテで使われた「ラ・マンチャ」などがあげられる)、翻訳で直訳されることなどで受ける印象が変わる。『言語は変化します。ラテン人たちはこの事実をよく心得ていましたが、読者もまた変化するのであって、このことは、ギリシア人たちの古い隠喩を思い出させます。いかなる人間も同じ河に入ることはできない、という隠喩もしくは真理』(P24)。河も流れ水が変わるが人も変わる、人も河のようにはかない存在と感じさせるもの。

 「2 隠喩」では『目と星、女性と花、時と河、生と夢、死と眠り、火と戦いなど』(P51)の文学では定番の隠喩について、それぞれいくつかの例を出したりしながら隠喩について語られる。

 『「怒りの出会い」という優れたものもあります。この隠喩が印象的である理由は、恐らく、出会いというものを考える場合、われわれが連想するのは仲間意識であり、友情であるからで、だからこそそこの対象的なもの、「怒り」の出会いが浮き出して来るのです。(P58)この2章で出された表現の中で特に印象に残った。

 逐語訳(直訳)によって生まれる美しさ。ヘブライ人は最上級を持たない。「もっとも優れた歌」といった言い方ができないので、「歌の中の歌」といい、「皇帝」や「もっとも高貴な王」の代わりに「王の中の王」と言っている。そうした表現は逐語訳だからこそでる美しさ。

 ドン・キホーテの『あの冒険や、騎士と従士の間で交わされる会話を信じているかどうか、私にも分かりませんが、しかし騎士自身のパーソナリティを信じていることは確かで、数々の冒険がセルバンテスによって編みだされたのも、ヒーローの性格をはっきりさせるためであったと、私は考えます。』(P149)ドン・キホーテシャーロック・ホームズ、描かれている物語を信じられるかとそのキャラクターのパーソナリティが信じられるかは別。非現実的に見えるエピソードのある物語を読むときは、そういう風に考えながら読むのがいいかもしれないな。そうすればよりそうしたキャラクターに魅力を感じられるだろうし、楽しめそうだ。

 「6 詩人の信条」では、ボルヘス自身の物を書き始めてからの失敗や現在の考えなどが語られる。

2017-09-10 メジャーリーガーの女房

メジャーリーガーの女房

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 kindleで読了。

 アメリカでの野球選手の家族の生活の様子を見ることができて面白い。

 1章はアメリカ野球は移籍や昇降格で移動が多く、家族含めて変化に対応する身軽さやタフさがいるという話。2章は結婚や不妊と妊娠、父の病などの野球以外の生活での重大な出来事についての話が書かれる。3章では、日本とアメリカの怪我への神経質さの違いと、マッサージの違いについての話。4章はアメリカでの食事の話。5章はアメリカでの野球選手の家族のあり方、妻たちの交流が書かれる。6章は夫妻と交流深かった仰木監督の話。7章では自身が不安神経症を患ってしまった話が書かれる。

 『解雇、トレード、降格……めまぐるしく変化するアメリカ野球の中で、安定したルーティーンの決まった生活を許されるのは、ごく一部のスター選手だけだ。その他大勢は、何があってもおかしくない状況を受けいれ、心も身体も「変化」に対応しなければならない。』(N56)挑戦した米球界でそうした立場になって引っ越しも多く経験する。

 『アメリカで得た本当の意味での財産は「人生において、何が一番大切か」を理解したことだった。』(N56)日本のようなスター選手でなくなり、身軽にならざるをえない環境に置かれたことで気づいたこと。日本で神経質になり過ぎていた色々なことが緩んで楽になり、そして家族の大切さを深く知る。

 マイナー落ちを宣告されたら、生活拠点をただちに移さなければならない(アパート探し、電気ガス水道、テレビや電話回線の契約子供の学校探しなどをする)、そして車で長距離運転しなければならないことの大変さ。この本ではそうした他ではあまり見ることのできない、米球界での生活面でのあれこれが読めて面白い。

 アメリカ行きでありがとうやごめん、愛してるよということをしっかり口に出していってくれるようになった。そうした言葉が、大変な時のつらさをやわらげた。

 田口選手と親しいアルバート・プホルスの話。『年俸や、その他収入などで数十億単位のお金を貰うトップ選手となると、おこぼれを求めて周りにたくさんの有象無象が依って来る。それゆえに人間不信になるような出来事も数多く起こりがちだ。(中略)常に周りの目があるから、小さなことでも行動を起こすのに慎重になる。例えばマッサージひとつ受けるにしても、球団以外の場所で治療師を選ぶのは難しい。いったい誰を信じ、誰を紹介してもらえばいいいのか、というところから始めなければいけないからだ。世界的に有名になるほど、安住の世界が狭まって行くなんて皮肉なものではないか。』(N2043)そうしたスター選手とその家族の悩みなど、あまり書かれないことが書かれているのもいいね。彼がひどい腰の痛みに見舞われた時、ちょうど田口選手の治療のために日本から整体の先生が来ていたので、その人に治療してもらって、よくなったという話が好き。

 著者は毎回夕食を作っていたが、普通のメジャーリーガーはナイトゲームの時は球場でご飯を食べてくるので妻が夕食を作ることはまずない。そしてデーゲームの日は、夫婦で出かけられる貴重な日なのでレストランで食べる。

 『アメリカは「家族は球場に来るもの」であり、「ファミリールーム」と呼ばれる部屋も用意されて、やってきた家族が快適に過ごせるよう準備されている。メジャーならそこにベビーシッターさんがいて、奥さんたちは子供を預けてゆっくり観客席で観戦することができる。』(N3152)メジャーのファミリールームでは子供室が別に分けられていて、試合中子供たちはそこで遊ぶ。

 MLB選手の妻たちのほとんどはアグレッシブなファンに絡まれるのを防ぐために、基本的には球場内の室内のテレビで試合を見る。

 『家庭がうまくいってこその野球、という意識がメジャーにはあふれていた。』(N3222)

 アメリカでも高給取りであるメジャーリーがの妻はお金目当てで結婚したかのように陰口をたたかれることも多い。しかし『多くの選手は、ハイスクールスイートハート(高校時代の恋人)と結婚するなど、下積み時代を共に支え合って乗りこえているのだが、綺麗な奥さんほど下心いっぱいにおもわれてしまうようだ。』(N3245)

 『アメリカ人の奥さんたちは忙しい。毎月のように行うチャリティー活動の打ち合わせや、家族、スタッフの誕生日、出産を控える女性のためのパーティー「ベビーシャワー」の準備、球団とのさまざまな打ち合わせ、それにクリスチャンのためのバイブルスタディーなど、何かとミーティングが重なり、球場に来なければならない理由に取り囲まれている。選手は野球、奥さんたちは、その野球環境を支え、盛り上げるために存在する、秘書のような役割を担っているのだ。』(N3313)お金があってもそうした忙しさや家庭の事、夫の成績やけがで一喜一憂するなどがあるので精神的に追い詰められることがある。選手も球団も家族を大事にしているが、そうした大変さもある。

 アメリカ球界では妻も社交的でなければ中々に大変そうだ。

 アメリカの選手はマイナーから野球人生をスタートさせて何年もかけてメジャーに行く。それは奥さんたちも同じなので、『その仲間たちが全米の球団に散っていくから、どの球団にも友達がいるし、自分が知らなくても、友達の誰かにツテがある。』(N3406)そのため田口選手がカージナルスからフィリーズに移籍した時に、妻のネットワークで移籍先の球団の知り合いに声をかけてくれたので『「私、誰々のマイナー時代の友達」/「私は誰それと、あのチームで一緒だったの」などと、あちこちから声がかかって、やりやすいことこの上なかった。/こんな広い国なのに、野球の世界は狭く濃く、そしてつながっている。』(N3455)そうしたメジャーリーガーの妻たちの世界の話は全く知らないので面白い。

 著者の父と仰木監督という親しい人の死の話は、悲しみと相手を大事に思っていた気持ちかが伝わってきて印象深い。

 最後の節が「そして私たちは「家族」になった」なのもいいね。