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2017-12-13 オリエント急行の殺人

オリエント急行の殺人

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 kindleで読了。ネタバレあり。

 シリアでの事件が終わったポアロはタウルス急行でイスタンブールへ向かう。その車中には他の客としてメアリ・デブナムとアーバスノット大佐がいた。その列車での二人の会話で、二人は親しく二人には秘密にしなければならない何事かが存在すると示される。また列車が急停車したときに10分遅れた程度だったが、メアリ・デブナムは大きく動揺していた。

 イスタンブールで事件進展の知らせが来たポアロはシンプロン=オリエント急行の寝台車を取ろうするが、珍しいことに一等寝台車が全て予約済みだといわれる。ポアロイスタンブールで何年前も前から付き合いのある国際寝台会社の重役ブーク氏と再会する。ブークは普段いつも予約を入れないようにしている十六号のコンパートメントを使えるようにしようと請け負う。

 そして駅まで二人で行ったが16号室までも埋まっていることがわかる。そして二等寝台に一つ空きがあるが片方を予約したのがご婦人なので使えない。二等の七号客室に予約した客が出発間近なのに現れていないので、ポアロはそこを使うことになる。

 翌日の昼食をブーク氏と共にとる。そこで列車に残る他の乗客たちの姿を見ることになり、乗客たちの紹介がなされる。そこでメアリ・デブナムとアーバスノット大佐も見かけるが、二人は違うテーブルで食事をとっている。

 ポアロは米人の金持ちラチェット氏から仕事を頼まれるも断る。

 翌朝に食堂車に行くと、雪で足止めされることを愚痴る乗客たちの姿があった。メアリ・デブナムはタウルス急行が一時停止した時とのような異常なまでの心配ぶりはない。

 食堂車であれこれと乗客が語っている中でポアロはブーク氏に呼びだされ、前夜にラチェット氏が殺されていることを知る。ラチェットは12か所の刺し傷が死因で、右手で刺した傷と左手で刺した傷が混じっている。ポアロはブークからこの事件の調査を依頼されて引き受けて、調査する。そして雪のおかげで犯人の外部犯説はなくなり、イスタンブールカレー間の寝台車に絞られる。

 現場の床にはイニシャルのついた女性物のハンカチとパイプ・クリーナーが落ちていた。また被害者のパジャマのポケットから一時十五分で止まった金時計がでてきた。しかしポアロは、それらは犯人が仕込んだものかもしれないと疑う。

 部屋の窓は開いていて通路へ出るドアは内側から鍵がかかり、隣のコンパートメントに通じるドアは向こう側からかんぬきがかかっている。そのため犯人は窓から逃げたのだと思わせようとしたが、雪のおかげでその企みは失敗した。

 そしてポアロは焦げた紙片の文字を読み取ることに成功して、その紙片には「小さなデイジーアームストロングのことを忘れ――」と書いてあった。それでラチェットの本名がカセッティだと判明する。

 カセッティはアームストロング家誘拐事件の犯人。アームストロング誘拐事件は莫大な身代金を払ったが、後に娘が遺体で発見されて、それにショックを受けた家族に悲劇が訪れたというもの。逮捕されたカセッティは、あちこちに金を使って運動し無罪放免となった。そして海外へ逃げ出して偽名で紳士として生活していた。

 「第二部 証言」ではポアロ達が車掌や乗客たち一人一人に話を聞いていく。

 ラチェットの隣のコンパートメントにいたハバード夫人の証言では、前夜に車掌を呼ぶベルを何度も押し部屋の中に誰かいると主張していたが、その部屋の中に車掌のボタンが落ちていた。車掌が前夜に呼ばれて、部屋の中を調べた時には行かなかった場所で発見されている。

 ハバード夫人にベルに呼ばれたとき車掌は同僚と話していたし、車掌のボタンも彼らのボタンもなくなっていない。そこでそのボタンを落としたのが犯人で、その人物がハバード夫人のコンパートメントを通って抜けだし、車掌が来るまでの間に自分の部屋に戻っていた可能性があることがわかる。

 そして一通り乗客の証言を聞いて、浮かび上がった赤いガウンの女と車掌服の男という謎の人物。公爵夫人のメイドの証言からわかった後者は、ラチェット氏から車中での襲撃を防いで欲しいと依頼を受けた探偵ハードマンがラチェットから聞いた犯人像(小柄で色の浅黒く、女性のような声)とも一致。そしてハバード婦人のコンパートメントで見つかった車掌のボタンからもその存在を裏付けられる。またアーバスノット大佐とマックィーン氏からも車掌が部屋の前を通ったという証言がある。

 恐らく犯人である小柄で浅黒くて女のような声をした人物は、誰にも想像つかない意外な隠れ場所にいるか、客が巧みに変装したものと思われる。

 ポアロがブークと医者に乗客の証言でわかったことをまとめて伝えていると、ハバード夫人が突然やってきて化粧ポーチに大きな血まみれの短剣がと述べたあと、くらりと気を失う。その凶器は『どの傷もこの刃と一致するでしょう』(N2598)。これが発見されてポアロは他の乗客の荷物検査を行う。メイドの荷物からは車掌の服装が、そしてポアロの荷物に赤いガウンが入れられていた。

 3部では、それまで出てきた情報がポアロによって整理されて書かれる。証言を全て信用すると、犯人が居なくなる。そうすると外部犯ということになるが、しかし外部犯説は最初にないと否定されている。そうなると、どこかに嘘があるか共犯かということになる。

 犯人の2つの誤算。ひとつは雪、もうひとつはポアロが手紙の切れはしから文字を復元して、アームストロング家の事件がらみだとわかったこと。

 その後、ポアロアームストロング夫人の妹ではないかという推理を述べられたアンドレニ伯爵夫人は、確かに自分はアームストロング夫人の妹だと認める。

 この他にもポアロの推理で次々と乗客たちが、アームストロング家の関係者であることが判明していく。そのようにポアロはラスト近くになって次々と嘘を看破して、新事実をひきだしていくのは面白い。普通はこんな根底から全ての人の証言を疑えない。それができるのは名探偵っぽくていいね。

 そうして次々に乗客たちがアームストロング事件の関係者だと明らかになる。

 そして最後にポアロは事件についての2つの推理を乗客に披露する。まず最初にポアロは犯人の筋書き通りというか、庇うような外部犯説の推理を述べて、次に彼が見抜いた真相の推理を披露する。

 以下、真相について触れている。

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2017-12-03 日本仏教史

日本仏教史

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日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

 再読。

 「大乗仏典とその受容」

 大乗仏教の成立について。『原始経典が全体でまとまった体系をなしているのに対し、大乗経典はそれぞれ独立したグループの中で、必ずしも相互の関連がなく創作されているのである。例えば、般若経典なら般若経典を、『法華経』なら『法華経』を創作し、信奉するグループがあり、(中略)また、独立して行われていたほかの経典を取り込んだりして、複雑な構成をもつようになった。原始経典に比べて、大乗経典がわかりにくいのも、ひとつにはこうした理由による。』(P63-4)

 中国での仏教解釈。初期の挌義仏教は従来の中国思想の立場から仏教を解釈するもの。旧訳時代(鳩摩羅什の時代から玄奘以前まで)の教相判釈(教判)は、その時代に一挙に翻訳された多数の仏典の中の矛盾を、ブッダの生涯の時期による違いや説法方法の違いだとする考え。禅の興隆後は教学は衰退。

 『法華経』では「方便」という思想が導入され、小乗の教えも大乗の教えもブッダが聴衆の理解能力に応じて説かれたものとされる。『両者は一見すると異なる目標を目指すようであるが、最終的には一切衆生が同じように仏になることができるのであり、それこそこの『法華経』にいたってはじめて明らかにされた究極の真理であり、ブッダが世に出現した目的もこの真理を人々に説くことにあったというのである。』(P73-4)

 中国で教判思想が発展すると『上述のように、『法華経』はそれまでの小乗・大乗の教えを止揚することを目的としているから、教判の上からすれば、小乗・大乗の最終段階に来る最高の教えとして位置づけられる』(P76)ので、非常に重視されることになる。

 「第2章 密教と円教」鎌倉時代仏教と比較して平安仏教は貴族の祈祷仏教というイメージがある。しかし『実践面の易行化の源流はすでに最澄の大乗戒の思想にみえるところであり、実際、鎌倉仏教の祖師たちも多く最澄を尊敬し、最澄に範を求めている。』(P87)

 最澄独自の大乗戒の主張。晩年の最澄は大乗の戒を授ける戒壇を作ろうとしたが『じつはインド以来、このような主張はなされたことがなく、大乗であっても出家者は原始仏教以来の戒律を守るのが普通だった。たしかに『梵網経』の戒は大乗戒といえるが、その内容は非常に緩やかで在家者向きの性格が強い。』(P105)

 最澄が主張した『出家者も在家者も同一の戒による「真俗一貫」(四条式)の立場が(中略)やがて、世俗の中に積極的に入って行こうとする鎌倉仏教の運動などにも連なっていくと思われる。しかし、同時に他面、出家者としての戒律・修行が軽視されるという問題点を日本仏教史に残すことにもなったのである。』(P106)良くも悪くも後世に大きな影響を与えた。

 密教の特色。『密教の絶対者大日如来は永遠の宇宙的実態であり、それまでの仏教の仏が究極的には空に帰するのと根本的に異なっている。瞑想の中で自我がこの宇宙的な大日如来と一体化することにより、自我も絶対性を獲得できるというのである。(中略)従来の仏教の無我・空のもつ現世否定性が消えて、密教においては顕著な現実肯定性が支配するようになっている。』(P109)

 空海『即身成仏義』から見る、空海密教。『大乗仏教では世界の本質を「空」ととらえるのに対し、ここでは物質および精神の具体的・現象的事実の世界がそのまま根源的原理と認められ、それが大日如来法身(本質的なあり方)とされるのである。いわば一種の汎神論(汎仏論?)ともいえよう。われわれの自我もその世界の一部であるから、その点からすれば、我々は修業するまでもなく、すでに本来的に仏そのものであるともいえるのであり、修業とは、それを自覚していく過程であるということができる。』(P113)『この理論は密教の理論であると同時に、もう一方では興味深いことにいわば日本人の宗教観を理論化したともいえる面を持っている。』(P115)

 天台宗密教化。台密を完成させた安然の理論では『すべてが唯一の大日に統摂されることになる。それは空海の体系にも匹敵するような壮大な規模を持った理論であるが、しかし、一歩誤るとなにもかも区別を失って一まとめに肯定される危険をはらんでいる。(中略)実際、この後の天台において発展した本覚思想とよばれる思想においては、こうした安然の思想を発展させ、現象世界の一切の事象を無差別的に肯定する方向へとすすんでいくのであり、それが古代から中世へかけての仏教思想史の最大といってもよい重大な問題を提起することになる。』(P122)密教と聞くと縁遠いようにも感じられるが、読んで行くと案外日本仏教密教の流れが強いのだなと感じる。

 「本覚思想」

  院政期になって本覚は、誰にでも悟りを開いて仏となれる素質(仏性)があるという意味でなく、『現実に悟りを開いている、という意味に転化してしまうのである。すなわち、衆生のありのままの現実がそのまま悟りの現れであり、それとは別に求めるべき悟りはない、というのである。(中略)さらに、それは衆生の次元だけではなく、草木国土すべてが悟りを開いているとされる。これは「草木国土悉皆成仏」といわれて、中世謡曲などで愛好される。』(P158)

 草木成仏論。『そもそもインドでは、同じ生命体でも六道に輪廻する衆生と植物とは截然と区別され、悟りを開く可能性は前者にのみ認められるものであった』(P169)。

 中国草木成仏が説かれるようになるが、仏の絶対的立場で見ると世界は平等に真理で衆生草木に区別ないというような観点から草木成仏が説かれる。

 しかし日本では『衆生との関係や空の絶対の立場を離れて一本一本の草や木がそれぞれそれ自体で完結し成仏としているというものである。ここでは仏の絶対の立場から見るという前提がきわめて弱くなり、平等の真理性といういわば抽象的な次元でなく、個別具体的なこの現象世界のいちいちの事物の有り方がそのまま悟りを実現しているという面が強くなる。』(P171)

 『あるがままの具体的な現象世界をそのまま悟りの世界として肯定する思想』(P173)である本覚思想は、日本人好みで中世の文学・美術・芸能神道思想など広範囲に影響を及ぼす。

 しかし『まったく修業を必要とせずに、凡夫の状態のままで現象世界が全的に肯定されるようになったのが本覚思想である。』(P177)そのため『宗教としての堕落に陥りやすく、事実、その点から近世以降本覚思想は批判され』(P174)た。

 『近世の思想は中世仏教などの宗教的世界観を否定して、人間中心的・現生主義的な世界観を確立する。しかし、本覚思想が現象世界を重視し、凡夫の日常性を重視するなかに、そのような近世思想への移行をスムーズに可能にする一因があったとみることもできる。神道理論の独立形成に際してと同様、ここでも本覚思想は仏教思想として行きつくところまでいって自己崩壊し、新しい思想を生み出す媒介となったということができよう。』(P190)

 「第4章 鎌倉仏教の諸相」

 『当時の仏教界の大勢としては、本覚思想に代表されるような現実肯定的な傾向が強まり、そこから戒律や修行を不要として堕落ともいえる様相を呈するようになった。それに対し、その状況を反省し、ふたたび実践性を取り戻し、宗教としての本来のあり方に立ち返ろうとしたのが鎌倉期の新仏教や南部改革派の運動であったと考えられる。』(P202)南部改革派禅宗は戒律復興または禅の修行にはげむことで実践性を取り戻そうとする、宋の仏教の影響が大きいもの。一方で浄土教日蓮は、従来の仏教の実践が当時の日本の現実に合わないため新しい実践法を求める方向に進む。

 「第5章 近世仏教の思想」

 改革派の本覚思想的な傾向の批判が『実践面に現れると戒律復興の運動となるのである。このことは天台宗のみならず他の各宗にも見られ、これも近世仏教の一つの特徴ということができる。』(P261)

 江戸初期の禅僧鈴木正三による職分仏行説。『士農工商のそれぞれがその職分を果たすことは仏行に他ならない、という主張で、例えば、農民に対しては、(中略)天から授かった職業である農業に専心することこそ仏道を果たすことであると述べている。その底には、(中略)中世の本覚思想にきわめて近い現象則仏法の立場がうかがわれる。本覚思想のこの立場が倫理の歯止めを失って堕落に向かったのに対し、ここでは逆にそれを世俗倫理と結び付けることによって新しい時代に対応させようとしているのである。最も、同時にその立場は(中略)世俗権力優先の立場を内包していることを見落としてはなるまい。』(P264)

2017-11-26 カンタベリー物語

カンタベリー物語

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カンタベリー物語 (角川文庫)

カンタベリー物語 (角川文庫)

 kindleで読了。

 巻末の「『カンタベリー物語』の由来」にあるように、14世紀イギリスの国民的叙事詩で元は韻文。訳は散文。この本は全訳ではなくその中の一部のエピソードを抜き出した抄訳。全体のどの程度を収録したのかやどういう基準でエピソードを収録したのかをどこかに書いてあればよかったな。

 ロンドン郊外の宿に泊まったカンタベリー寺院に参詣する身分も職業も違う人々。宿の主人からの提案もあって、その人々の間で道中に各人行き帰りそれぞれ二つずつの話をして、一番面白い話をした人に皆でご馳走をして、面白くない話をした人が道中の費用を払うということになる。しかし30人ほどのそうした勝負に全員が賛成している。清貧な牧師や農夫などもいるけど、そんな費用が払えるのかと心配になる。作者は彼らはびりにしないから入れているのか、それとも金の事をしっかりと考えないで同意しているのか。

 冒頭で一気に人物の紹介がなされる。

 道中での各人が話す、小話・説話的な物語とその話が終わった後の同行している人々の反応が書かれる。語られる物語には世俗的な話、寝取られ話が多い印象。

 「粉屋の物語」大工とその若い妻、その妻に恋慕する学生と教会の書記の話。大工のところに下宿する学生と大工の細君は好い仲になった。学生はやきもち焼きの旦那を騙して二人の時間を作る。その時に教会書記が来て、二人は彼をこけにする。そして教会書記は次に学生が尻を出してきたところに熱した鋤をじゅっとあてる。旦那もその若い妻への求愛者もそれぞれ酷い目に遭うという笑話。

 「家扶の物語」元大工の家扶は、粉屋の話に不機嫌になって粉屋が痛い目に合う話をする。大いに粉をくすねている粉屋に、学生二人が最初はその不正を見つけようと意気込むも逆にやり込められる。しかしその夜粉屋の家に泊まることになった二人は、一人は娘と同衾する。そしてもう一人は勘違いで奥さんを寝とって、奥さんは翌日に亭主の頭をしたたか殴りつけることになる。そんな粉屋が酷い目になっておしまいという話を披露する。

 「船乗りの物語」商人とその美人の妻、商人と親しく交際する修道僧。商人の妻の浪費癖があり、彼女は借金を返すための金を秘かに工面するためにできることは何でもすると修道僧にささやく。修道僧は商人がフランドルに行ったら、その悩みを救うと受け負う。そしてフランドルに行く前に修道僧は商人にそのお金を借りて、商人の妻に渡し、修道僧と商人の妻は楽しむ。そして商人が帰って来た時に、修道僧は金は商人の妻に返したと述べる。騙されたと気づいて商人の妻は怒るが、結局その金は必要なことにつかったで押し通す。これは修道僧は上手くやったと取るべきか、それとも一度の情事で信用を犠牲にしたととるべきか。もしかしたら商人の妻からの誘いがあって、今までのように家族のようには付き合えぬと商人夫妻との交際にある程度見切りをつけたからこそした行為なのかもしれないが。

 「送達吏の物語」托鉢僧のそんな物語に対して、今度は彼が托鉢僧を馬鹿にする物語を話す。長年寄進して、いまだ病気が治らない信者に対して托鉢僧はぬけぬけとさらなる寄進を要求する。それに対して病人は怒りながらもそれを隠し、尻の下に隠してあるものを皆で均等に分けてくださいと述べる。病人はそれが貰えると思って尻の所に手をやった托鉢僧に屁を一発かます。それに托鉢僧は怒って地主に文句をいうと、そこの息子が大真面目に屁を均等に分ける方法を提案して、地主一家らはそれは名案で、病人も頓知に長けた男だと托鉢僧以外は皆褒める。そのように托鉢僧はこけにされたが、周りがその行為を才智頓知によるものだと言って褒めたので、不満を呑みこまなければならなくなる。

 「商人の物語」老いた騎士と若い妻の結婚。老人の友人たちの結婚についての是非の意見と、妻と間男の密通とそれが露見した時の妻の誤魔化しの話。

2017-11-16 プロ野球・二軍の謎

プロ野球・二軍の謎

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プロ野球・二軍の謎 (幻冬舎新書)

プロ野球・二軍の謎 (幻冬舎新書)


 kindleで読了。 

 二軍監督は中間管理職のような存在。監督と言っても上には一軍があって、下には二軍のコーチや選手たちがいて、その間の調整役。

 一軍の試合が最優先なので必要な選手が急に一軍に行きが決まったり、試合勘を取り戻させるために一軍から二軍に送られた選手を起用しなければならないなど二軍のチーム事情は一軍の状況次第で変わる。

 第一章のはじめの一軍監督はレストランの店主で二軍監督は直営農場を管理している責任者、良い作物を作って、上に供給できるように準備しておくのが仕事という例えは面白い。

 二軍のオールスターであるフレッシュオールスターは、イースタンは1チーム3選手、ウェスタンは前年優勝チームが5選手、それ以外は4選手とチームごとに出す選手の数が決まっている。そして過去に二度出場した選手は出れない。そうした決まりがあることを知らなかった。

 球団社長は球団経営のトップ。球団本部長はアメリカでいえばGM。球団本部長のもとには編成部の情報も一軍・二軍の情報も集まり、全体を見渡す役割がある。そしてFAドラフトでの選手獲得も本部長を中心とした話し合いが行われる。

 アメリカのマイナーリーグ。『2Aから下のクラスは十分に食べられるほどの給料をもらえているわけではありませんから、栄養以前に、お腹を満たすことを優先に、ファーストフード店に駆け込むのです。』(N716)このような記述を見るに3Aと2A以下でも少し違うようだ。

 メジャーのベンチ入り25人枠は契約でほとんど決まっているので、『キャンプ時の競争によって決まる席は1つか2つというのが現実です。』(N947)想像以上の狭き門。キャンプ時の選手のロッカー配置での期待度、カージナルスの場合入り口から向かって右側から奥はやがていなくなると想定される選手に割り当て、カブスの場合は25人枠に入る選手とそうでない選手のロッカーが交互になっていた。

 9月1日でメジャーリーグのベンチ枠が40人に広がるが、限度までメジャーに上げるチームはほとんどなく、『各チームともだいたい5、6人ずつ増やして30人あまりがベンチ入りするようになります。』(N1047)

 二軍の試合数、『2016年度で言えば、オリックス二軍チームは公式戦で116試合(本来は131試合を予定していたが、15試合が雨天などで中止)を行いました、その他に交流戦・練習試合で16試合、春季教育リーグで6試合、みやざきフェニックス・リーグで12試合あり、これらを足すと150試合になりますが、シーズン中の公式試合だけで140試合前後を行うアメリカのマイナーリーグに比べると、その差は歴然としています。』(N1023)田口二軍監督はこの試合数でもまだ満足していないようだが、個人的には思っていたよりも二軍の試合数が多かった。公式戦が年間90試合くらいの時代に二軍の試合数を知って少ないと思った記憶があるから、現在の試合数を見ると意外と多いと感じる。

 「5章 二軍監督という仕事」では、世代間ギャップや指導法などについて書かれる。

2017-11-11 新版 百人一首

新版 百人一首

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 kindleで読む。

 古語が苦手ということもあって和歌俳句をまとめて今まで読んだことがなかったが一度読んでみようと、百人一首だから百個と数が少なめで現代語訳や注、歌の詳しい説明などもついているこの本から読み始める。

 「はしがき」によると、本書の現代語訳・鑑賞は『原作者の詠作意図よりは、定家がどう解釈し、どう評価していたかに重点を置こうとするのである。』(N12)そのため現代語訳が通説と異なるものもある。選者である定家がどう読み、どう評価していたかを書かれる。定家の誤解については『すべて語釈または参考でその旨を断わっておいた』(N12)。

 巻末の「解説」では百人一首の成立をめぐる様々な説と、著者の見解が書かれている。かなり細かい話。

 「五 おくやまに紅葉踏み分(わけ)なく鹿の声きくときぞあきは悲しき 猿丸大夫」『この「もみぢ」は萩の黄葉で、秋もまだ仲秋のことと見るのが有力である。しかし、それがいつしか楓の紅葉とされ、鹿の音に妻恋いのイメージが重なり秋深きころの悲しみに重点が移されて鑑賞されてゆく。定家が、この歌を高く評価していたのも、すでに紅葉ふみわけなく鹿の音に暮れ行く秋山の寂寥を感じていたに違いない。それは、いかにも新古今時代の好み――ほのかな艶と哀感の表出――にかなった歌境であった。』(N332)歌の詠まれ方が変化して別の状景が想像されるようになり、違う意味が出てきたがそれが定家の好みと合い高く評価していたということがわかって面白い。

 「一〇 これやこの行(ゆく)も帰るも分かれてはしるもしらぬも相坂の関 蝉丸」『「これやこの」、「行も帰るも」、「しるもしらぬも」と畳みかけた語法は、一作家の歌風というよりは、当時の一つの流行であった。「世中は夢かうつつかうつつとも夢とも知らず有りて無ければ」「よのなかにいづらわが身の有りてなしあはれとやいはむあなうとやいはむ」(古今集・雑下)』(N529)そうした言葉遊び的な歌は響きが面白くてなんか好きだな。蝉丸、平安前期の人のようだからその頃の流行か。

 「一七 ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くゞるとは 在原業平朝臣」『現代語訳(人の世にあってはもちろんのこと)、不思議なことのあった神代にも聞いたことがない。竜田川にまっ赤な色に紅葉がちりばめ、その下を水がくぐって流れるということは。/鑑賞 定家はおそらくこう解していたであろう。(中略)ただ、この歌を作った業平にかえってよめば、賀茂真淵以下今日の通説の、下句を「こんなにまっ赤な色に水をくくり染めするなどとは」といった解釈が正しいであろう。』(「新版 百人一首」N800)これは元の意味のほうがわかりやすくて好きだな。

 「二三 月見れば千々に物こそ悲しけれ我身ひとつの秋にはあらねど 大江千里」『現代語訳 秋の月を見ていると、いろいろととめどなく物ごとが悲しく感じられることだ。秋が来るのは世間一般に来るのであって、なにも各別自分一人のための秋ではないのだが。』(N1024)「白氏文集」巻十五にあるものの翻案ということのようだけど好き。『広く愛唱された歌』(N1024)というのもわかる。

 「二六 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづくに月やどるらむ 清原深養父」『鑑賞 誇張と機知にみちた古今調の代表作(中略)当時はみとめられた歌であったが、歌人深養父が公任の『三十六人撰』にもれたことも原因して、平安時代を通じては、たいして名歌の扱いを受けなかったようである。それが、平安時代末期になると、俊成の『古今風躰抄』に選ばれ、清輔の『袋草紙』にも深養父が三十六歌仙に漏れていることに不審をもつなど価値が見直されてきた。』(N1523)そうした時代による評価の変遷的な話も面白い。

 「四〇 しのぶれど色に出にけり我恋は物や思と人の問迄 平兼盛」「四一 恋すてふ我名はまだき立にけり人しれずこそ思ひ初しか 壬生忠見」天徳歌合の「忍恋」の題で詠まれた二つの歌で、優れた歌同士の勝負となったので色々な伝説がある。『共に優れた歌で、勝負が決し難く、判者実頼は天皇の御気色をうかがったところ、天皇も判をくだすことなく、ひそかに兼盛の歌を口ずさまれたので、勝ちとした』(N1675)。他にも完全な作り話ではあるそうだが、壬生忠見がこの歌合で負けた落胆で食欲を失い病になって死んだという伝説もある。

 「六八 心にもあらで此世にながらへばこひしかるべきよはの月かな 三条院」『現代語訳 この後も、自分の本心とはちがって、この世に生きながらえているならば、その時、きっと恋しく思うにちがいない、この美しい夜半の月であることよ。/鑑賞 悲しい述懐の歌である。しかも、美しい歌である。寛和二年(九八六)十一歳で東宮に立ち、長い東宮生活の後、寛弘八年(一〇一一)三十六歳でようやく即位された天皇が、内裏が二度も炎上する不祥事、緑内障かと思われる眼病、暗に退位を迫る道長の専横、在位五年にして譲位を決意された沈痛な感情からほとばしり出た歌であった。』(N2718)鑑賞を読んで歌の背景を知ると印象深くなる。

 「九二 我袖はしほひに見えぬおきの石の人こそしらねかはくまもなし 二条院讃岐」『現代語訳 あのお方のことを思って忍び音に泣き濡らす私の袖は、潮干の時にも見えない沖の石のように、人は知らないでしょうが、乾くひまとてございません。』(N3629)見えないが乾く暇なく濡れているというのを表す「しほひに見えぬおきの石」というのはちょっと変わっていて、なおかつ説明を聞くとなるほどと思えるから好き。

 「九九 人もおし人も恨めしあぢきなくよをおもふゆへに物思ふ身は 後鳥羽院後鳥羽院定家、『時に不興をかいつつ、心から慕っていた定家にとって隠岐配流後の院の境遇はあまりにいたましく、このような述懐歌が特に選ばれたかと思われる。』(N3916)定家後鳥羽院の事をそんなに慕っていたのか。ちょっと意外。

 巻末の長い「解説」、そこでは「百人一首」の成立をめぐる様々な説と、著者の見解が書かれた論文的なものなどが書かれている。

 かつては定家の撰ではないという説もあったが、『諸氏の研究があいつぎ、すくなくとも撰者については藤原定家と見る説が決定的となり、かつての蓮生説や、宗祇偽撰説は問題でなくなった。』(N4285)

 定家の「百人秀歌」と「百人一首」の関係。「百人秀歌」は101首で「百人一首」との異動は4首。「秀歌」では後鳥羽・順徳の歌がなく、俊頼の歌が異なっている。

 成立をめぐる諸氏の論考のその主張の要点がそれぞれ記された後、著者の仮説が書かれる。

2017-11-08 オーバーロード 12

オーバーロード 12

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オーバーロード12 聖王国の聖騎士 上

オーバーロード12 聖王国の聖騎士 上

 ネタバレあり。

 今回は新しく紹介されたローブル聖王国という国家の話。冒頭で登場した聖王国屈指の戦士オルランドやパベルがあっさりと退場となるのは、このシリーズらしいな。

 亜人たちを支配するヤルダバオトデミウルゴス)が、亜人たちと共に聖王国に侵攻し、圧倒する。聖王国北部は蹂躙され、国家元首である聖王女も亡くなる。その時に炎の巨人の姿をヤルダバオトの正体と思わせた。しかしデミウルゴスはカエルっぽい姿だったと思うので、後の面倒を避けるためにここで別の悪魔をヤルダバオトと思わせたのだろう。

 聖王女の側近で聖騎士団団長のレメディオスがかろうじて生き残り、彼女は外国に聖王国救援を求める。しかし国外脱出の時に頼ったネイアを邪険にして無茶なことばかり要求する。そのパワハラ糞上司っぷりや好感のもてる要素が一つもない人格とで悪い意味で強い印象。

 聖王国蹂躙以後の話は、基本的にはネイア・バラハの視点で進む。聖王国救援を求める使節団一行は、王国で援助を得られなかった後にヤルダバオトに対抗できるモモンの力を借りることができればと思って魔導王国に行く。

 魔導王国の入国管理官であるナーガのリュラリースが、友人の言葉として『あの御方と敵対するのは究極の愚者であり、即座に足元にその身を投げ出し慈悲を乞う者こそ賢者じゃよ』(P179)とアインズ魔導王について述べたが、神への態度についての台詞といわれてもおかしくないような言葉。

 アインズ魔導王自らが聖王国救援に赴くことになる。デミウルゴス計画があっての行動だろうが、国家としての正式な使節団でなく占領地を取り戻しても重く用いられることはないだろう立場の人間なので、何の約束もできない。そんな相手に、というかレメディオスに、表向きに形だけでもアインズが助力することになるのはちょっと嫌。

 アインズにはネイアが付けられる。ネイアはそれまでに糞上司レメディオスにさんざん苦労していたので、アインズの優しさや寛大さに感動し、王としての偉大さに惹かれて敬慕するようになる。そのため彼女は助けに来てくれたアインズ王を見下す他の解放軍に苛立つし、アインズ王に敬意を払ってアインズ王に非礼なことをさせまいとする彼女の姿は、他の解放軍の面々からはアインズ王よりのものと見られて邪険にされる。

 第三章の扉のアインズに魔法の弓を貸し与えられて、てんぱっているネイアのイラストはいいね。

 そしてアインズは解放軍に力添えして、捕虜収容所を解放していく。その過程で囚われていた王兄カスポンドを救出する。しかし最後のアインズとデミウルゴス配下のドッペルゲンガーとの会話を見ると、ドッペルゲンガーがカスポンドを演じているのかも。

 そして再び移動を開始しようとしたころに亜人の大軍が姿を見せて、捕虜収容所だった都市にこもって防衛戦をやることになりそうというところで引き。

 最後にアインズが、デミウルゴスたちは細かなところはアインズさまが即興でやった方が良い展開になるだろうと指示してくれなかったので心労が大きかったことが明かされる。そして次巻へと続く。