小さいおうち

小さいおうち (文春文庫)

小さいおうち (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
昭和初期、女中奉公にでた少女タキは赤い屋根のモダンな家と若く美しい奥様を心から慕う。だが平穏な日々にやがて密かに“恋愛事件”の気配が漂いだす一方、戦争の影もまた刻々と迫りきて―。晩年のタキが記憶を綴ったノートが意外な形で現代へと継がれてゆく最終章が深い余韻を残す傑作。著者と船曳由美の対談を巻末収録。

 戦前の日常を感じさせるような話が読みたかったので読了。思ったよりも戦中の話も多かったが、それはあくまで戦中での日常が描かれているし、悲惨で読むのがつらくなるような出来事もあまりないのでよかった。戦前の日常でのささいな喜び、みたいなものが描かれている小説は好きだし、前からもっと読みたいと思っていたので、面白かった。
 平井家の奥様の奥様。新しい小洒落た家ができたことが嬉しいからといって、来客に家をほめられたときのことを想定して、想定問答を口に出して動作までつけてやっているのは微笑ましいとか可愛らしい方、と感じるより先に引いてしまうなあ。
 過去の回想を書いているタキさんの甥の息子の健史、戦時中の日常の穏やかさを変に思ったり、戦勝セールをしていたことに怒るなど、タキさんが経験した戦中の日常生活まで否定するかのような発言は、随分と潔癖だし、現代では普通のそれぞれの立場に応じた見方や世界があるという認識がない(非排他的な世界観をもっていない)ようにさえみえるのはなんだかな。あと、政治ネタを身内の間でもきっちりと立場、つうか好悪か、を主張できるというのいうのも、また珍しいなあ。まあ、いい意味でも悪い意味でも正義感が旺盛そうな人だな。
 戦時中、タキさんは、御用聞きが買って欲しいと言われた時に言い値で買うとか、あまって処分したいものを安く引き取るとか、あるいは八百屋や乾物屋の紙袋を不足しがちだろうと気遣いきれいにたたんで返す、という気遣いをすることで、御用聞きと仲良くすることで、東京に食べ物が少なくなってきはじめた折でも優先して持ってきたり、安くしてくれたりした。こうした、物資が貴重になってきた当時の生活の知恵の小エピソードは面白い。
 奥様が行きたかった展覧会だが、旦那様が多忙だし、時間がないからいけないから、その展覧会が特集された雑誌「みづゑ」を買って見ていた、そして戦後タキさんも同じ雑誌を古本屋で購入した、というエピソードは、そんな小さな挿話を印象的に覚えているという一時をもってしても、タキさんにとって奥様がいかに大きな存在だったかわかる気がする。キーンさんの「百代の過客」で扱われていた堀川天皇の女官やっていた人の「讃岐典侍日記」で、堀川天皇のちょっとした動作や些細な事柄の記述あれていたことを連想する。
 そして、好きな絵本作家志望の女性の気を引くのに使えそうだからか、その雑誌を健史が借り受けたが、その雑誌を健史やその女性が楽しそうに読んでいるのが目に浮かびほほえましい。
 奥様の友人の睦子さんが、タキさんが奥様のことを好きだと勘違いして、吉屋信子の小説の一説を引用して、私たちはお互い愛する人を得られずに第三の道(一の道は男女愛の、二の道は同性愛の、三の道は愛する人を得られず仕事の道)を行くことになるかもしれない、といって励ましている。そのシーンで彼女自身が同性愛者なのだろうということは察することができる。そしてたぶん、睦子さんは現在も奥様(時子さん)のことが好きなのだろうということも。この睦子さんが自身の秘密の告白をしたシーンはなんとも美しく感じる。
 小中先生『マドリング・スルー。計画も秘策もなく、どうやらこうやらその場その場を切り抜ける。戦場にいるときの、連中の方法なんだ。このごろ口をついて出てきてね。マドリング・スルー。マドリング・スルー。秘策もなく。何も考えずに』(P227)この言葉は、こんな言葉があったとは知らなかった、いろんな意味でぴたりと戦時中の日本と当てはまるように感じる印象的な言葉だ、マドリング・スルー。マドリング・スルー。
 タキさんが実家に疎開したときに、寺にいる疎開児童の世話をしていたが、住職は山形に十分な食料があるか不安視する親に腹いっぱい食わせると啖呵をきったが、食料がないから、闇で買わなければならないとなり、闇で入手するにもただというわけにはいかない、とタキさんが言うと、住職は鼻を鳴らして、自分が付けていた袈裟を渡し、タキさんは黙って受け取った、というシーンはなんかいいなあ。
 疎開した後一回子供たちの引率で東京に戻ってきたことがあるが、そのときでも奥様に土産として貴重になっていた干物だったり白米を持ってきた、というのはいいなあ。
 奥様と不倫していた板倉が、後に漫画家となっているが、彼の生前は発表されていなかった初期作品で詳細不明の「ちいさいおうち」という作品に少年と女性2人がでてくる、とあるが、当たり前のことながら旦那がはぶかれているのにはなんともいえん気分になる。まあ彼にとっては恋敵(?)だからしょうがないけど、旦那は正直悪いことしていないのに、板倉に限らず疎略な扱いをされているように見えるのが切ないなあ。
 最終章はタキさんが死んだ後、健史視点で話が進む。ここで、タキさんの回想で出てきた人物の、その後についてが書かれているのはいいね!
 奥様の息子の平井恭一さん、なかなか魅力的な人物だなあ。
 しかし、終わりの開封されていなかった手紙の意味がよくわからない、結局渡したと奥様に嘘をついて、手記での最後の2人の逢瀬についての記述も嘘ということ?