千の顔をもつ英雄 新訳版 下

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

神話の膨大なサンプルを分析した結果、英雄神話には「出立→イニシエーション→帰還」という驚くほど一貫した共通パターンがあることが見えてきた。私たちはなぜ、今もなおこれらの構造を持った物語に魅了されるのか?フロイトユング精神分析論を用いながら、民族や時代を超えて人間の心に潜む普遍的欲求を明らかにしていく神話論の決定版。小説、映画、ゲーム他、物語の本質を読み解く鍵がここにある。


 最初の方で上巻から続く英雄の物語の円環について書かれて、その後は宇宙創成の神話の円環の定型について書かれている。

 『戦利品が万人から力ずくで奪い取ったもののばあいや、元の世界に帰りたいと英雄の望みを神や悪魔が快く思わない場合、神話の結末は多くの場合、笑いを誘う逃走劇となる。ありとあらゆる魔術を使って妨害されたあり、その裏をかいて脱出したりし、逃走劇は複雑になっていく。』(P18)その『魔法の逃走でおなじみのバリエーションに、必死に逃げる英雄が追手を妨害して時間をかせぐために、さまざまな障害物を後ろに投げる話がある。』(P25)本書でもエピソードが紹介されているイザナミが黄泉の国に行き戻る神話もそれ。
 天照大神を天の岩屋から引っ張り出す挿話もとりあげられて、そうしたなじみ深いその神話の意味について書かれているのが面白い。
 岩屋にこもっていた天照が外に出たことで外に光が戻った。その引っ張り出した天照が再び岩屋に行かないようにその岩屋の前にしめ縄を張った。『しめ縄は、神社の入り口に飾られたりし、再来の境界線から世界が変わることを表している。キリスト教の十字架が氏の淵への神話的な道筋を表す最も雄弁な象徴であるなら、しめ縄はもっとも単純な復活の象徴である。この二つの象徴――十字架としめ縄――は、この世とあの世、実在と被実在の境界線の神秘を表している。』(P40)しめ縄の象徴的意味を理解していなかったので、そうした意味があるとわかって面白かった。
 『英雄とは、生まれ出ようとする事物の王者であって、すでに存在している事物の王者ではない。』(P86)英雄は新しく何か価値あるものをこの世界にもたらす者。

 『宇宙創成の円環は、通常、果てしなく繰り返される世界として表現される。生涯に眠りと目覚めの周期を繰り返すように、大いなる円環のたびに、通常、小規模な死が含まれる。』(P106)
 『宇宙卵の殻は空間という世界の枠であり、卵の中の豊かな種の力は、自然界の、次々に命を生みだす活力の象徴である。』(P129)宇宙卵、無の状態からさまざまな事物が誕生していく、世界を生み出す神話のパターン。
 『宇宙創成の円環という視点から見ると、正義と不義がかわるがわる訪れるのは、時間の流れの必然的な特徴である。宇宙の歴史に見られるのと同じことが国家の歴史にも見られる。流出か解体に、若さは老いに、生は死に、形あるものを生み出す想像力は生気のない惰性に変わる。命は波がうねるように湧き上がり、形を変え、投げ荷を残して潮が引くように消えていく。世界皇帝の黄金時代は、命の鼓動に連れて専制君主が統治する荒廃の時代へと移り変わる。
 このような視点から見ると、人食い鬼の専制君主というのは、自らが王位を奪った先王の世界皇帝や、自分に取って代わる輝かしい英雄(息子)に劣らず、父性の象徴と言える。英雄が変化するものの搬送者であるのとは対照的に、人食い鬼の専制君主は動かぬものを代表する。刻まれて行く時間は刻々と過去の瞬間から自由になるため、「過去に執着する者」であるこの龍は、救い主が現れる直前の世代の人物として描かれる。
 要するに英雄の任務とは、父親(龍、試練を課すもの、人食い鬼の専制君主)の執着を葬り、宇宙を再生産する命のエネルギーを解放することにあるのである。』(P236-8)龍と父、苛烈な専制君主のどれもが同じような意味となるというのは面白い。

 『現代では、神話は次のように解釈される。自然現象を説明しようとする未開の不器用な試み(フレイザー)。先史時代から受け継がれた詩的空想の所産であり、後代に意味を取り違えられたもの(ミュラー)。個人を集団に適応させるために使われる寓意的教えの貯蔵庫。(デュルケーム)。心の深層にある衝動の元型を示す一群の夢(ユング)。人間の深遠な知的洞察を運ぶ媒介。神の子たる信徒に対する神の啓示(キリスト教会)異常が神話のすべてである。このように、神話についてはさまざまなはんだんが 下される。というのも、神話とは何かという観点ではなく、どう機能するか、過去にどのように役立ってきたか、現在どのように役立つかという観点から考えた場合、神話は生命そのものがそうであるように、個人、集団、時代、精神、要求に合わせて、その姿を現すからである。』(P278-9)