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2012-05-08

[]チェルフィッチュ『現在地』

イムズホールで昼間に観た。前売り買いそびれたから早く行かないと席がないかも…と思ったが、開場30分前で余裕でした。なんかもっと行列とかできてるのかと思ったよ。

チェルフィッチュの舞台を観るのは初めてだ。

仮設的に作ったスターバックス、という感じのセット。舞台奥の壁には大きな窓が開いている。壁の近くに一本の柱。六つの正方形の小テーブルがカフェあるいは教室のように並べられている。そこに7人の女優がコーヒーカップを片手にあらわれて、芝居が始まる。彼女たちは演技者であると同時に自分たちの演技を見守る観客でもある。

女たちが代わる代わる語り、演じる。

これはある”村”の話。

恋人との夜のドライヴ中、青く光る不気味な雲を見たという女性がいる。その雲は噂される厄災の予兆なのか、厄災そのものなのか。それとも厄災の噂などでたらめであって、何も起きはしないのか。

女性は次のようなことを言う−−自分が厄災を信じるべきなのかどうなのかわからない、だがさらに問題なのは、自分と違うことを信じるひとと、どのように向き合えばいいのかわからないということだ。

当然ながら、震災以降に起きた放射能を巡る議論、そこにあらわれた"分断"のことを思い出しながら観る。私がその"分断"をはっきり感じたのは主にネット上の議論だったので、舞台を観ながらネットでで見たさまざまな光景を思い出すことになった。これが関東の生活者なら、"分断"のイメージはもっと具体的な人の顔で構成されるのだろう。

(アフタートークで岡田利規さんが語ったこと。今岡田さんは熊本に住んでいるそうだけど、この演劇を制作するために横浜と往復しており、2つの土地ではもう空気がぜんぜん違うというか"イデオロギーが違う"ように感じる−−と。イデオロギー、ときたか…)

ミニマルなセットの中で7人の女優は様々に立ち位置を変えながら"村"の中で起こっている事態について一定のペースで語り、演じ続ける。やがて、この劇が持つSF的な仕掛けが明らかになっていく。

その静かな語り口に、私は旧ソ連のSF、タルコフスキーの『ソラリス』を連想した。その懐かしいような奇妙さは得難いものだったが、タルコフスキーの映画と同様、ところどころとても眠かった。殺人が起きるところはさすがにはっとして意識が冴えたけど。しかし眠いというのは問題ですね。劇の問題なのか自分の問題なのかはわからんが。

ところでタルコフスキーで思い出したけど、昔は共産圏の映画ってのがあったんだよなあ。それこそ"イデオロギー"が違う社会ってのがあって、そこで作られる、私達の社会とは少し違った考え方によって作られた映画を観るということがあったのだ。

社会主義国と資本主義国、西と東の間にあった"分断"はなしくずしに崩れて、しかしそれで"分断"がすっかりなくなったのかというと、多分そうではない…。

どこに行ってもスターバックスがあるような世界においてなお、より一層はげしく"分断"の線がそこらじゅうを這いまわっている。しかし私たちはそれについて語る言葉を持たない。『現在地』は、そのような事態に対応した一つの語り方のモデルを提示している、ような気もする。どうなんだろう。わかりませんけども。まあアフタートークも含めていろいろ刺激的ではあったのです。

2012-05-01

[]別離

イラン映画。観てるとどんどん後悔の念が強くなる。この映画を観たことを後悔してるんじゃなくて、登場人物たちが重ねる小さなあやまちやごまかしに胸が痛くなる。この映画に出てくる人たちは誰一人として悪人ではないんだけど、お互いにからまりあい大きくなっていくトラブルの中で、最終的に自分たちが皆「善人ではない」ことを苦く認識せざるをえない。「善人はなかなかいない」というわけだ。そういう不快な顛末を描く作品としてこの映画はすごく良くできている。要するに、リアルなのだ。イランは日本とは違った文化を持つ社会だけど、こういうことは確かに人間の世界ではどこでも起こりうる、起こっている、と感じさせる力がこの映画にはある。

[]ル・アーヴルの靴みがき

カウリスマキの新作。鼻の赤い酔っぱらいがこんなかわいい映画を撮ってどうする、みんな誤解するぞ、と思うのだが、まあかわいいのは事実なので仕方がない。ル・アーブルの港町の風景のなかにくっきり浮かび上がる黒人少年の頭の輪郭がきれいでした。

ざっくりと切り貼りされるシーンの中で奇跡が起きてしまう様子がとても愉快。「アーティスト」よりこっちのほうがよっぽど古典的な気がするな。

2012-04-30

[]4月に観た映画メモ

メモだけでも書かないと忘れてしまうでな。

ドライヴ

これは変な映画でよかった。日常世界に対する異物としての暴力の描き方は塚本晋也を連想した。ところどころリンチ的だったりもする。でもって監督はホドロフスキーへのオマージュだと言ってるそうで。

ストーリーだけ見ると”惚れた女(旦那あり)のために暴力の世界に戻っていく男”の物語で昔の任侠映画みたい。そんなカルト・ハードボイルド映画の制作・助監督はフランク・キャプラ三世。いやそれはまあどうでもいいけども。

ともかく、変な面白い映画で、私は喜んだのだった。

戦火の馬

そういやヘミングウェイの短編で第一次世界大戦での戦場の馬の死体の描写があったっけな、と観ながら思って、家に帰って古い文庫を引っ張りだしてその『死者の博物誌』という短編を読み返したら、馬じゃなくて騾馬だった。

『死者の博物誌』は戦場での死の情景をシニカルに綴った短編で、ヘミングウェイは騾馬や馬が死んでいく光景や軍医が傷ついた兵士を懐中電灯の光で診察する光景を”ゴヤを呼んできて描かせたい”と書いている。子供向け原作で血や負傷の直接的描写を避けた『戦火の馬』では、ゴヤ風のグロテスクとはいかないけれど、無益で悲惨な泥まみれの危険な労働としての戦争というイメージは良く伝えていた。

最近の(昔からかもしれないが)スピルバーグの映画は画面が不意に宗教画ぽくなる瞬間があって、こんなのに感動していいのか、安易じゃないか、と思いつつ私は毎回感動してしまうのだけど、この映画だと鉄条網のあたりがそうだった。まあクライマックスだからもとより感動させて当然ではある。でもなんか、あの画面に漂う光をみてると、教会に来たような気持ちになってしまうのだ。

ヘルプ

映像も俳優もいいけど、今こういうテーマで撮るんならもうひとつ何かいるんではなかろうか。

アーティスト

これもいい話ではあるし最後の仕掛けも良かったが… 

アンダーグラウンド

びっくりするほどヨーロッパ! びっくりするほどヨーロッパ!(全裸で白目を剥いて尻を叩きながら)

この映画の、俺っちの国の近代史をこの映画で全部やるぜ的な、ヤケクソじみたパワーは好きだ。ただしギャグは洗練されてないけど。でも最後のところは感動する。ああ彼らはこういうところにたどり着くんだという特別な感慨がある。

時代状況を限られた空間に落としこむための仕掛けと笑いの使い方はちょっと井上ひさし作品を連想した。