2005年映画ベスト10

1. A History of Violence
http://d.hatena.ne.jp/djmomo/20060104#1136325095
1. Land of the Dead
http://d.hatena.ne.jp/djmomo/20060104#1136325094
1. Cache(Hidden)
http://d.hatena.ne.jp/djmomo/20060104#1136325093
2. Capote
http://d.hatena.ne.jp/djmomo/20051002#1129063261
2. Pride and Prejudice
http://d.hatena.ne.jp/djmomo/20051202#1133548909
2. The Squid and the Whale
http://d.hatena.ne.jp/djmomo/20060105#1136477374
3. No Direction Home
http://d.hatena.ne.jp/djmomo/20050927#1129063341
4. Broken Flowers
4. Constant Gardener
4. 誰も知らない


Best Performance

ヴィゴ・モーテンセン(A History of Violence)
フィリップ・シーモア・ホフマン(Capote)
キーラ・ナイトリー(Pride and Prejudice)


Best Supporting Performance

ウィリアム・ハート(A History of Violence)
ジョン・レグイザモ(Land of the Dead)
ローラ・リニー(The Squid and the Whale)
オーウェイン・クライン(The Squid and the Whale)

1位は3作品とも、映画の永遠のテーマである暴力に対する、今日的で優れた考察。The Squid and the Whaleは「イカとくじら」。
No Direction Homeは、スコセッシ監督のボブ・ディランについてのTVドキュメンタリー。

Cache(Hidden)

謎があえて解決されないミステリーだが、謎解きは問題ではない。曖昧な現実の投影でありながら、同時に素晴らしい逃避でもある、謎が謎を呼び、確かなものは何もない状態を楽しむ、うまいつくりの映画。「ピアノ・ティーチャー」のミヒャエル・ハネケ監督。

人気TV司会者ジョルジュ(ダニエル・オートゥイユ)と編集者の妻(ジュリエット・ビノシュ)、12歳の息子が暮らす家に、彼らを隠しカメラで撮ったビデオが送られてきた。何度か違う内容のテープが来たが、脅迫状すらなく、テープと、子供が書いたような不吉で暴力的な絵だけだ。

彼らの不安を描いているが、脅迫者の要求が分からないだけでなく、テープと、結末近くで起こる、非常に衝撃的な出来事を除いては(私の隣の女性は、Oh my god…と1分ぐらい言い続けていた)すべてが不確かだ。脅迫の原因らしい過去の出来事も描かれ、ジョルジュが幼い頃、一緒に暮らしていた同い年ぐらいのアルジェリア人少年が、謎の鍵を握っているようだが、脅迫の動機も不十分で、ジョルジュが過去を本当に思い出せないのか、知っていても妻(と観客に)隠しているのかどうかも不明だ。エンドクレジットが流れる最後の場面で、どうやら何事か起こっているが、これも断定はできない。

最初の場面は、一家が住む家を外から映している、平凡といっていい、パリの路地のショットだ。が、オープニングクレジットが終わるまで、画面はまったく動かず、不安な気持ちにさせられたところで、盗撮テープの一部である、ということが分かる仕掛けになっている。作品を通して、テープとそうでない部分が巧みにつながれ、誰がどこから何のために隠し撮りしているのか謎が謎を呼び、不安が高まっていく。

不安が増す中での夫婦喧嘩は痛い。夫婦は別々の個人だと認識しながらも、相手を非難することは自分を非難することでもある、とも分かっていて、それでも傷つけあう、結婚して数年以上たった夫婦喧嘩の痛さだ。またジュリエット・ビノシュのぼてぼてボディに不幸な話か、と実はあまり見る気がしなかったが、上半身だけだったら、やはりうまい役者だ。ジョルジュの母役アニー・ジラルドの、何も言わない息子の不安を察知しながら、老人としての自分を分析するしゃべりも、不安な世の中を生きる身につまされる。

性が直接語られることのない映画の中で、なぜか一番エロティックなのは、文学トークショウの司会者である主人公の家の、床から天井まである本棚の本。高そうなモダン家具には興味ないが、あの本棚はほしい。

*雪の降る大晦日夕方の回に見たが、マンハッタンでは2館のみの上映のせいもあってか、ほほ満員だった。「ピアノ・ティーチャー」でのカンヌ受賞(これは監督賞受賞)と、いろんなところでベストオブ2005に取り上げられているからかな。
去年の映画で、印象に残ったのは、これやA History of Violence, Land of the Deadなど心理的精神的な暴力を考察したものが多かった。

Land of the Dead

'78年公開のDawn of the Dead(ゾンビ)は、ショッピングモールを舞台に、腹の皮一枚だけでくっついているようなこわさとおかしさだけでなく、物質主義への風刺が鋭い、ゾンビ映画の最高傑作で、今見ても古くない。その監督ジョージ・A・ロメロの、20年ぶりのゾンビ最新作はDawn of the Deadをしのぐ勢いの傑作だ!

いきなり説明なしにゾンビが世界中で人間をバリバリ食ってるイントロから、有無を言わせないテンポの速さで、ぐいぐいと作品に引き込まれる。夜一人では外を歩きたくないと思わせる、真に迫った説得力も、過去のゾンビ映画最高で、28 Days Laterなんて比べ物にならない。それに対応して、社会風刺もより差し迫っている。暴力に対する考察を性の部分からも行っているA History of Violenceに対し、笑いからアプローチしている分だけ深く身につまされる、ともいえ、アメリカの良心、と呼びたい作品。

ゾンビが世界中を徘徊し、Dawn of the Deadのショッピングモールを連想させる完全防御された高層タワーの中で、特権階級だけが楽園を享受している。他の人々は、その足元の、バリケードが築かれたスラムで生き延び、タワーに雇われたはみ出し者ライリーたちは、改造戦車に乗り、ゾンビと戦いつつ、タワーへの物資調達を行っている。ライリーの仲間チョロ(ジョン・レグイザモ)は、タワーの特権階級の汚い仕事のもみ消しも行っているが、トップのカウフマン(デニス・ホッパー)にタワー入りを拒否され、タワーに向けて爆弾を打ち込むことを宣言する。

ゾンビ・グランギニョールとでも呼びたい、影やガラスを効果的に使うなど、バリエーションとアイデアに満ちあふれた、ゾンビが人々を殺す方法と状況は、芸術の域に達したスプラッターで、ギャーと言いながらも笑わされる場面の連続。街路をゾンビらしく歩くお決まりのショットだけでなく、川を集団で渡っていく場面は、息をのむほど美しい。「死霊のはらわた」シリーズなど、Dawn of the Deadは多くのゾンビ映画に影響を与えたが、それらすべてを踏まえたうえで、ゾンビの帝王ロメロしかできない余裕の技の数々だ。ちなみに、ゾンビ映画のパロディーShaun of the Deadの脚本を書き、主演したサイモン・ペグも、ちょいゾンビ役で出ていた。憧れの監督の作品への出演は、まさに夢心地だったろう。

バリケードを乗り越えて、街に侵入しようとするゾンビを、目覚めたアメリカ人ととらえることも、イラクなどアメリカに虐げられている第3世界の人々(私は後者の見方)ととらえることも、どちらも可能で、このオープンさも優れた映画の条件だ。元給油係のゾンビの黒人リーダー、タンバリンを持ったミュージシャン、チアリーダーなど、ゾンビたちには、過去のロメロ作品のどれにもまして個性が与えられ、アメリカ人が痛い思いをしながら、ムスリム世界の人々を理解していこうとする態度と呼応している。

ジョン・レグイザモの役も、アメリカ国内の体制迎合派ととらえるも、サウジアラビアのような第3世界でのアメリカよりの国が、アメリカの搾取に耐えかねてのテロリスト転向、となぞらえることも可能だ。ジョン・レグイザモは超はまり役で、金持ちタワーには住めない普通の人々を救うライリー役のサイモン・ベイカーを完全に食っていた。この人に、たけしかジョン・ウーやくざ映画に出てもらいたいなあ。面構えも、ボディランゲージも、しゃべり方も、これぞチンピラだよ。


金持ちタワーのトップ、デニス・ホッパーは、ゾンビたちとレグイザモに向かい、You have no right(お前らに人権はない)と言い放つ。ブッシュだけでなく、代々のアメリカの支配者が第3世界の人々や一般大衆は、人間ではないと思ってきたように。給油ゾンビが、ホッパーとレグイザモと対決する場面は、特権階級も、それを利用してのし上がろうとする側も、どちらもくだらない、という強烈な風刺とカタルシスになっている。

A History of Violence

久々に面白くて、ずしんとくる、新作娯楽映画でした。
まだ単館上映なので、アップタウンまで行ったかいがありました。
ロード・オブ・ザ・リングス」のヴィゴ・モーテンセン主演でクローネンバーグ監督というだけで、キャーっと見にいってしまいましたが、よかった。

アメリカの小さな町でダイナーを経営し、妻と子供2人との幸せな家族生活を営むトム・ストール(モーテンセン)。が、ある日、ダイナーに強盗が入り、自己防衛のために彼らを銃殺したトムは、一夜にしてアメリカンヒーローに。
メディアの注目が集まり、ストール一家は、静かな町には不似合いなギャングたちにつきまとわれるようになり、普通で平凡な家族に影が。。。。

スリラー仕立てなので、これ以上は言えませんが、モーテンセンは、何ともはまり役でした。Mr.Everymanだけの役者にはできない役です。
ギャング役のエド・ハリスウィリアム・ハートも、相変わらず手堅く存在感のある演技でした。

題名のとおり、世代と時代に層をなして暴力が描かれ、現実と映画のアメリカにおける暴力への優れた歴史的考察となっています。
設定と雰囲気は「ケープ・フィアー」など50〜60年代初期のB級スリラー映画を思わせ、町自体は時が止まってしまったかのように穏やかですが、子供たちの服装を見ると現在が舞台。ダイナーでの事件の後、トムが「静かな日常を取り戻したいんだ」と言うのは、911後の、日常を取り戻したいと思いつつ、恐怖におびえるアメリカを思わせます。
トムだけでなく、いじめられっ子である彼の息子が、暴力に暴力で立ち向かってしまう様子も描かれます。つきまとうギャングへの一家の恐怖は、ユーモアを交えて、現実と虚構の境が曖昧に描かれます(NRAなど銃所持を支持する人々が.この映画を見てどう思うのか興味深いところです)。トムと妻とのセックスも、暴力的な要素を交え、支配関係が入り乱れます。

色々考えさせられましたが、終わり方も含めて、良くできた娯楽スリラー映画です。また見直してみたい。ヴィゴかっこよかったしね。でも、アメリカの暴力に対して優れた考察をするクローネンバーグが、近くて遠いカナダ人であるということ自体、アメリカ映画の、そしてアメリカの病を体現しているように思いました(この映画についてのみ9月25日記)。