研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

『日本の難点』:「大きい社会」を支える政府のあり方についてメモ

日本の難点 (幻冬舎新書)

日本の難点 (幻冬舎新書)

本書のまえがきはこちらで読める↓
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=724

宮台真司の新著、『日本の難点』を読んだ。第一章(コミュニケーション論・メディア論)、第二章(若者論・教育論)は、宮台真司らしい、偏ったサンプルと偏った個人経験に基づいた(が故の)読み応えのある内容である。第三章(幸福論)は、自殺率の話から政府と社会のあり方の議論へと展開している部分が特に示唆に富む(後述)。

第四章(米国論)や第五章(日本論)では、米国と日本の時事問題を、マル激トーク・オン・ディマンドのゲストの知見も参照しながら縦横無尽に議論している。「あとがき」で説明しているように、まさに宮台版「日本の論点」である。また、他の宮台真司の文章と同様、全ての段落が約150字以内に収まっており、テンポがよい。

本エントリでは、第三章(幸福論)の「自殺率は下げられないのか」(pp.130-136)についてコメントする。この節で宮台氏は自殺対策支援NPOライフリンクの「自殺実態白書」を参照しながら、援交率や自殺率の高い地域の共通要因として「地域社会の包摂性と家族関係の包摂性」が顕著に低下している場所であることを指摘する。

「自殺実態白書」
http://www.lifelink.or.jp/hp/whitepaper.html
*なお、この白書はまだ読んでいないが、この自殺実態調査の解析PTには開発経済・応用計量経済学者の澤田准教授(東京大)が参加しており、高いクオリティが期待される。白書はネットでダウンロードできるが、冊子も注文できる。

その上で、元々の新自由主義とはネオリベと揶揄されるものや市場原理主義とは異なり、「小さな政府」&「大きな社会」の枠組みであり、アンソニー・ギデンズもその意味では新自由主義者だと指摘する。また、宮台自身も「小さな政府」&「大きな社会」の流れは不可避と考えていると述べている。

では「大きな社会」とは何なのか。宮台によると、それは「経済的につまずいたりちょっと法を犯した程度では路頭に迷わずに済む『社会的包摂』を伴った社会」(P.135)であり、それを作り・維持するためには旧来の家族・地域・宗教のような「社会的排除」を伴う制度の復活・維持ではなく、機能主義的な発想が要求されるという。

つまり、機能主義的な発想からすると、昔の関係性と同様の「社会的包摂」機能を果たしつつ、「かつての『社会的排除』機能の副作用が少ない、新たな相互扶助の関係性(新しい市民社会性)の構築が必要」(p.136)であり、中長期的には行政は「個人の自立」ではなく「社会の自立」(「大きな社会」樹立)を支援する必要があるという。

非常にわかりやすい論考であり、いわゆる「既得権益」と呼ばれる層以外の多くの人々に受け入れられる主張であると思われる。ただし、事態は確かにこの方向に(遅々とではあるが)動いているという意味で不可避ではあるのだが、より重要な論点はこの先にあると私は考える。それは「大きな社会」をどう設計するかという点に関わる。

ここで宮台がいう、「新たな相互扶助の関係性(新しい市民社会性)による『社会的包摂』機能を持つ『大きな社会』」の具体像はこの本からだけでは読み解けないが、これまでの諸説を鑑みるに、その実現のために重要となるのは、「再帰的近代」における新しい形態の家族や中間集団(NPO等を含む)であろう。

戦後家族の空洞化への処方箋
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=151
全体性の消失──IT化に最も脆弱な日本社会──【後半】
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=369

一方で、「小さな政府」は何を意味するのか。この言葉は様々な解釈が可能であり、行政効率化(by財政・行政学者)、規制緩和(by経済学者)、地方分権(by財政・行政学者)、措置から契約へ(by厚労省社会福祉学者)、当事者主権(by障害者団体)、分配する最小国家(by立岩真也)などは全て「小さな政府」と解釈可能である。

宮台自身は「小さな政府」について具体的に論じていないので、これら様々な「小さな政府」論――国家の権限縮小は目指すが財政規模や再分配の観点から「大きな政府」論と位置づけられるものも含まれるがーーの中で彼の描く「小さな政府」像がどこに位置づけられるのかは明確ではない。

しかし、ここに重要な論点がある。第一に、これら様々な「小さな政府」論者が描く「大きな社会」像は異なる。そして第二に、であるが故に、彼らの「小さな政府」論も異なる。つまり、「小さな政府」&「大きな社会」という合意が形成された後にも(あるいは後だからこそ)、鮮明な対立点が見えてくる。

このことは、個別政策をより具体的に見ることによって明らかになる。高齢者・障害者・乳幼児の社会的ケア、積極的労働政策、ワーキングマザー・シングルマザー支援、障害者の就労支援、学習障害児の教育などをを支える「大きな社会」の構築では合意できても、その具体像は論者によって大きく異なるからだ。

例えば、国の一般会計の多くを占める社会保障地方交付税について考えてみよう。社会保障については、「準市場」(公的財源による社会サービス需要・供給に基づいた競争的な市場)の構築という方向で概ね進みつつあるが、その財政規模・スキームに依存して利用者負担や給付水準などの制度の根幹部分は大きく異なり得る。

どのような社会保障の規模・スキーム(あるいは「準市場」)が望ましいと考えるかは、論者の「社会」観に依存している部分も大きい。そして、その「社会」観の違いは、宮台の指摘するような道徳的伝統VS新しい市民社会というよりも、むしろ新しい市民社会のあり方(e.g.市民の「自立」のあり方)を巡る「社会」観の違いである。

また、地方交付税を一つの柱として構築されている地方行財政の改革の方向性については、同じ「地方分権論者」の間でも同床異夢であるのは周知の事実であり、この対立点も、社会保障と同様に、論者の「社会」観に依存している部分も大きい。つまり、地方分権のあり方(e.g.地域の「自立」のあり方)を巡る「社会」観の違いである。

次エントリでは、地方分権改革推進委員会における神野直彦東大教授(当時)と田近栄治一橋教授の地方分権論議を紹介し、若干テクニカルなコメントをするが、それ以上に重要な論点として、このような「社会」観の問題がある(「社会」観はなかなか顕在化しないので「背景にありうる」といったほうが正確だが)ことにも留意していきたい。

関連エントリ:

富永健一(2001)『社会変動の中の福祉国家 家族の失敗と国家の新しい機能』
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20050314#p1
『「資本」論』に対する素朴な疑問
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20050925
『障害者の経済学』が日経・経済図書文化賞に選ばれた件について
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20061111#p1
リバタリアン宣言:追記あり
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20070213
続・リバタリアン宣言
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20070214#p1
フローレンスモデルについてのメモ
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20070523#p1
社会的企業の近辺メモ
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20070829
NPOと公共サービスの関係についてメモ
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20080210

[地方財政][学問]第76回地方分権改革推進委員会メモ

第76回 地方分権改革推進委員会
http://www.cao.go.jp/bunken-kaikaku/iinkai/kaisai/dai76/76gijishidai.html

資料、議事録ともに興味深く、勉強になる。

議論の要約は、下記ブログも参照↓
http://d.hatena.ne.jp/sunaharay/20090408/p1

しかし、田近氏の資料のP.6およびその元となっている田近・宮崎(2008)論文の分析結果の解釈、したがってそれに基づいた田近氏の主張については、慎重に検討する必要がある。

田近氏資料のP.6では「交付税地方税収確保の努力を阻害している」というタイトルの元、地方税比率と普通交付税比率の負の相関図が掲載されている。そして、議事録では、田近氏の説明コメントとして、この図について以下のように記載されている。

ここで申し上げませんが、交付税依存をしていればしているほど税収が上がっていない。もちろん、税収がないから交付税依存しているのだろうという逆の関係もあるので、結論はそう簡単にはいえませんが、論文ではそうした問題にも対処した結果として、交付税への依存が高まると、税収が減ると指摘します。

(議事録の8ページ)

ここでいう「論文」とは下記論文である。

田近・宮崎(2008)「地方交付税地方自治体の財政改善努力―全国市町村データによる分析―」会計検査研究 No.38
http://www.jbaudit.go.jp/effort/study/mag/pdf/j38d03.pdf

本論文の分析では、被説明変数を1人当たり税収(地方税、個人住民税、法人住民税、固定資産税、都市計画税)とし、説明変数としては交付税比率の1期ラグの他に、コントロール変数として、人口(対数)、人口(対数)の2乗、面積(対数)、15歳未満人口比率、65歳以上人口比率、第2次産業従業者比率、第3次産業従業者比率を用いている。分析は1980年から2000年まで(5年刻みの5期分)の市町村パネルデータを用いて行われ、交付税比率の1期ラグの係数は、都市計画税のモデル以外で全て1%有意水準で負に有意との結果になっている。

論文では、1人当たり税収と交付税比率の内生性(ここでは逆の因果)に対処するために交付税比率を1期ラグとしたとしているが、注記されているように、1期前の税収水準は、1期前の交付税比率と強い負の相関があり、今期の税収水準とも強い正の相関があるのは明らかなので、他の説明変数で税収水準の決定要因を適切にコントロールできなければ、(歳入確保努力のインセンティブとは無関係に)交付税比率の1期ラグと今期の税収水準の間には当然強い負の相関があることになる。

そして、実際にコントロール変数として用いている人口、面積、人口比率、産業比率だけで1人当たり税収の主要な決定要因をカバーしているとは考えにくい。従って、交付税比率の1期ラグの説明変数は、「歳入確保努力のインセンティブ」を示す代理変数ではなく、コントロール変数では説明しきれない市町村の経済格差などの代理変数として機能していると考えたほうが自然なのではないか。

地方分権改革推進委員会の議事録においても、露木委員に

「私の実感から言うと全く違って、交付税が減るから云々ではなくて、より確実な交付税に頼らない税収がほしいというのが地方自治体を運営する人にとっては強烈なインセンティブなのです。少なくとも開成町の実情から言えば、田近教授の認識は違うというのが1点あります。」

と反論されている。

追記:実際、本論文と同内容の論文を掲載している宮崎氏の博士論文の審査報告書でも、「自治体間の経済力格差が、十分にコントロールできていない可能性がある」と指摘されていた。


関連エントリ:

地方分権ナショナルミニマムメモ(*追記あり
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20070506#p1
お勉強メモ:地方交付税には「ソフトな予算制約」効果はあるのか?
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20070506#p2
地方分権改革推進委員会メモ
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20090222#p1