不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

休日派ヤマト日記

 9時くらいに目が覚めて、二度寝して目覚めたら9時15分。こんな事もあるもんだと三度寝してしまい、次は11時過ぎ。寝まくってしまった。不覚。洗濯をしてから外に出て、マフィン(パン?)がうまいカフェで昼食。久し振りに行ったのだが、「また一段と大人になったみたいで」。お、おとな? 老けこんだってことか?
 ぶらっと吉祥寺へ行き、kjと待ち合わせ。まず本屋へ行くと、筒井康隆『漂流 本から本へ』が発売されていた。朝日新聞日曜版に連載されており、いつまでやるんだろと思うほど長く続いて、単行本化を楽しみにしていた。ところが開いてみると、連載時、毎回一緒に掲載されていた写真が一枚も載っていない。あの筒井氏の若かりし頃の写真がアクセントになってよかったのに。なんだかガックリしてしまい、今日は買わずにスルーしてしまう。
 映画は『SPACE BATTLESHIP ヤマト』。大風呂敷を見たい俺と、戦艦大和の浮上を見たいkjと利害(?)が一致したのでこれにした。感想は下記。公開一カ月経っているので、200人以上入る映画館に30人くらいしか客はいなかった。
 鑑賞後、再び本屋を覘いてから海鮮丼。あら汁をつけて。うましうまし。コーヒー飲んで解散。お互い風邪っぽいので、とっとと帰って、養生する事に。なんせ、明日は新春初ライブだからな。

はるかかなたへ

 SPACE BATTLESHIP ヤマトを見た。監督、山崎貴。出演、木村拓哉黒木メイサ柳葉敏郎緒形直人西田敏行高島礼子堤真一橋爪功池内博之山崎努
 TBS主導の映画だし、木村拓哉主演だし、原作はあの「ヤマト」だし、どう考えてもクソ映画だろうと誰もが思うだろう。俺もそう思った。しかし、あえて見に行ったのには理由がある。
 宣伝文句曰く「日本人が初めて挑むSFエンターテイメント!」。この文句を鼻で笑う人々は多いだろう。しかし、現代劇でも時代劇でもこじんまりとまとまる作品が多い昨今の日本映画界で、あえて大風呂敷を広げて世界に挑もうとした作品だ。その心意気を失笑、苦笑するのではなく、俺は見て、受け止めたいと思ったのである。

 俺はそもそもの原作「宇宙戦艦ヤマト」シリーズをきちんと見ておらず、ほんの少しの知識しかない。思い入れは一切なく、上のように思いつつも期待値は相当に低かった。
 結果から言えば、悪くない。それなりに楽しめるSF映画になっていた。15点を予想してたら30点、2倍だ2倍……みたいなものだが。
 陳腐なセリフや突っ込みたいシーンは多々ある。たとえば乗組員同士の会話がつまらなかったり、軍隊なのに組織統制がぐちゃぐちゃだったり、作戦が行き当たりばったりすぎたり、古代進と森雪とのアレコレもちょっとどうかと思うほど唐突だったりと、どうにも脚本が荒い。細かい気の配り方があって、初めて大舞台は整うものなので、もう少し気を使ってほしかった。
 具体的にあげればキリがないが、とにかく「タメ」や「抜きどころ」がないので、最初からクライマックスの割には、終始平坦な印象を受ける。人物描写も、人間関係も、背景描写も、全て深く踏み込む事ができず、何でそうなったんだろうと疑問が所々で浮かんでしまう。観客が想像して補う事はできるが、「観客に想像の余地を与える」のではなく「想像して補ってもらう」演出は、手抜きと言われても仕方がない。
 心配していたVFX、特に戦闘シーンなどは意外と見られるものに仕上がっていた。ハリウッドに比べてしまえば、さすがに資本力の違いもあってか、迫力不足どころか子供だましと言われても否定できないものの、日本でこのレベルまでいったのは、初めてではなかろうか。しかし、それに比べてヤマトの内部など内装がお粗末だったのはガックシ。繰り返しになるが、細かいとこまでやってほしかった。
 木村拓哉が、しょっぱなからいつもの木村拓哉口調で出てきたのには、ちょっと参ったけど、あれも演出の一つだったと見ているうちにわかった。俺は木村拓哉の事は、実は結構好きだし、古代進というキャラに思い入れがないので、すんなりと見ていられた。その他の俳優陣も、いつも通りの演技の人もいれば、やや過剰な人もいて、文句はあるけど、だからといって悪くはなかったので、これでいいんじゃないでしょうかね。
 特攻精神を美化しすぎではなかろうかと感じる部分もあったが、言わんとするところはわからんではない(これは原作がそうなっているのかな?)。しかし、上にも書いたが、「タメ」がないせいで、圧倒的にリアリティや緊張感が欠けてしまっているのが、一番痛い。何もかもが中途半端なために、クライマックスにおいて感動が一切ないのだ。それに、ありがちな「時間がないのに、長々としゃべる」シーンがあって、思わず「早くしろよ」と呟いてしまった。監督は「SFエンターテインメント!」だけを意識して、そもそも「映画」である事を忘れてしまったのでは、と思ってしまうほどだった。
 監督以下スタッフの「ヤマト」への情熱や愛情は、きちんと伝わってきた。それがあるから、まだ見ていられた。言ってしまえば、これはかつて「ヤマト」に憧れた少年が大人になって実現した「ヤマトごっこ」なのかもしれない。そういう夢や憧れがあるからこその、大風呂敷だったのだ。
 ま、大風呂敷は広げたものの、畳み切れずに、ぐちゃぐちゃに丸めてしまった作品となってしまってはいるけれど。
 エンドクレジットでスティーヴン・タイラーの歌が流れた。誰もが『アルマゲドン』を思い出すが、『アルマゲドン』の方がよほどよくできている。日本映画は、この映画で1998年に公開された『アルマゲドン』の足元くらいにようやく到達したのかもしれない。この先の道のりははるかに遠いな……。