inarticulate loss, Sarunas Bartas:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、6月、176日目。


Day 176: Jonas Mekas
Monday June 25th, 2007
3 min. 38 sec.

Sarunas Bartas
at San Francisco
Film Festival
---

サンフランシスコ映画祭の
サルーナス・バルタス

歩道で三人の正装した男がサンフランシスコ映画祭の会場らしき建物に向かってトロンボーンを吹いている。「祝賀」のトーンの曲。楽器には赤い旗がぶらさがっていて、"GABADEC'S TRIO"と読める。未同定。

建物の中、エスカレータ前のスペースで、盛装した中年女性5人が踊りながら歌っている。

カフェの中、テーブルをはさんでカメラ=メカスの前で若い男が煙草を吸っている。サルーナス・バルタス。テーブルには飲みさしのビールのジョッキと藤の籠に入ったフランスパン。メカスとの間に会話はない。会話はないが、二人の間では激しいコミュニケーションが進行しているような強い気配を感じる。メカスは隣の席のカップルの様子や注文を取りに来たウェイターの後ろ姿や、調理場の中の女性シェフの様子、湯気をあげる鍋、食材の入ったフライパンを撮る。サルーナス・バルタスはどこか落ち着かない様子で煙草を吸い続ける。壁のゴールデンゲートブリッジの絵が大写しになる。

サルーナス・バルタスは1964年リトアニア生まれ。20世紀後半生まれの中で最も有名なリトアニアの映画監督である。Harvard Film Archiveの監督紹介によれば、「バルタスはソ連邦崩壊後に続く、荒廃した生活や力ない精神を10年以上にわたって記録に留めてきた東欧の映像作家グループに属している。ロシアのソクーロフに似て、バルタスは言葉にならない喪失感や、過去からも未来にも不自由な人々、余りの希望の無さ、絶望の深さによって言葉によるコミュニケーションが不要になってしまった人々の映画を作る。バルタスの映画では、美学はイデオロギーと溶け合う。対話を削り、映画的語彙をもっぱら表情、身ぶり、景観に還元することによって、彼が描くミニマルな語りの状況は、今日の現実に根ざしているとはいえ、原型的かつ普遍的なものになっている。『三日』、『我々のうちの少数』、『廊下』、『家』、『自由』といった映画のタイトルそのものが、個別性よりも一般性を喚起する。」

Harvard Film Archiveでは、バルタスの六作品、Freedom (Laisve, 2001)、Three Days (Trys Dienos, 1991)、In Memory of a Day Gone By (Praejusius dienos atminimui, 1990)、The House(1997)、The Corridor (Koridorius, 1994)、Few of Us(1996)の各々に関する要を得た簡潔な解説を読むことができる。

バルタスの生い立ちは不明だが、彼自身彼が映画で描く人々に近いのだろう。

今日のフィルムでは「サンフランシスコ国際映画祭」の開催年は不明であるが、今年で43歳になるバルタスにしてはかなり若く見える。公式サイトの過去上映作品のデータベースを検索してみたところ、1991年にThree Daysが、1994年にThe Corridorが上映されたことが知れた。ということは、フィルムの中のバルタスは27歳か30歳である。

ちなみに、1957年創設のサンフランシスコ国際映画祭は今年で50周年を迎えた。日本からは『美式天然(うつくしきてんねん)』で2005年トリノ国際映画祭グランプリ&観客賞を受賞した北海道の長万部町出身の坪川拓史監督の第二作『Aria』が出品されたが、受賞は逃したようだ。

カボチャの花

札幌、曇り。

藻岩山。

カボチャ(南瓜, Pumpkin, Squash, Cucurbita maxima)の花。野菜ではジャガイモとカボチャが花盛りだ。

トウモロコシ畑では、時期を少しずつ遅らせて植えられた苗が2グループ順調に生長している。手前が丈40センチくらいの第二グループ。左手奥が丈20センチくらいの第三グループ。右手奥に一部見えるのが以前から記録している第一グループ。

この第一グループはすでに丈1メートル弱。

未同定の花1。

未同定の花2。

Tosh Berman presents Walles Berman's photographs:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、6月、177日目。

"Sunday"はタイプミス

Day 177: Jonas Mekas
Tuesday June 26th, 2007
5 min. 05 sec.

At Spoonbill
bookshop
,
Williamsburg, B'klyn,
Tosh Berman
presents a book of
his father's
photographs ---

ブルックリンのウィリアムズバーグにある
スプーンビル書店で
トシュ・バーマンは
父親の写真集を
紹介する…

通り(Bedford Ave)の反対側からスプーンビル書店(正式名はSpoonbill & Sugartown Books)の正面を撮るメカス。通行人の内の一人が書店に吸い込まれるように中に消える。店内は人で混雑している。いきなりトシュ・バーマンと鉢合わす。元気?何してるんだい?

あちら(アメリカ)では、作家が書店とタイアップして新作本についてトークする、サイン会を兼ねたイベントが頻繁に行われる。ファンを中心とする聴衆との形式張らない質疑応答の時間も設けられる。トシュ・バーマンはあと二日か三日の予定でいくつかの企画をこなすらしい。

トシュ・バーマンの肩書きは、詩人、学者、独立出版者、そしてあのテイラー・ミードも出演したアンディ・ウォーオルの映画Tarzan And Jane Regained ... Sort Ofの共演者である。

トシュ・バーマンは立ったまま一枚の原稿を読み上げる。写真家だった父親のワレス・バーマン(Walles Berman)の写真集について、父親の思い出を織り交ぜながら、ユーモアに溢れた紹介をする。背後の壁には父親が彼を撮影したホームビデオの断片と父親の写真集からの写真をコラージュした映像が映し出されている。その写真集のしどけなく横たわった女性のカバー写真をめぐって、聴衆とのやりとりが少しだけある。

イベント終了後、メカスはその写真集を捲っている。一通り見終わって、その表紙の印刷された文字をゆっくりと追う。

Walles Berman, photographs
Rose Gallery, Santa Monica California

二年半前、サンタモニカを周遊したことを思い出した。現在、Rose Galleryの出版物のリストにはその写真集は入っていない。ところが、偶然、滞米中に購入した数少ない写真集の内の『Wim Wenders, Written in the West』がそのリストに入っているのを発見した。それは、ヴェンダースがカリフォルニアを中心に西部(West)の浦ぶれた町から町へと移動しながら撮った写真のアンソロジーで、「乾いた悲哀」が見事に定着された写真集だった。空気の乾きと甘い香りに激しい拒絶反応を起こしていた体を思い出した。

情報文化論2007 第11回 ウツワの情報文化史:縄文土器から織部の沓形茶碗まで

今回は、世界とのつながりを視野に入れつつも、極東の日本に焦点を合わせて、縄文土器から古田織部沓(くつ)形茶碗までの「やきもの」と「うつわ」の変遷に注目しながら、日本の情報文化的特質を概観します。

日本人の器物に対する感受性は世界でも類をみない特殊な質と方向性を持っています。自分専用の器を所有する風習は同じ漢字文化圏の中国はもちろん、お隣の韓国でもありません。中華料理店や韓国料理店へ行くだけでも、それは感じますよね。しかも食器として陶器、木製の汁椀にこだわるのも日本人だけのようです。他は金属器が多いのです。このような文化的な癖の違いの面白さもさることながら、食器や鈴、さらには楽器などを含めた器(うつわ)一般に秘められた、人間と世界、宇宙に関する観念は非常に興味深いものです。

ところで、いま使っている茶碗はお気に入りですか?茶碗?湯呑み茶碗のこと?それとも御飯茶碗のこと?とひっかかった人もいるでしょうね。そもそも「茶碗」という言葉には「茶」が入っているから、お茶を飲むための碗=器のはずだし、白湯(さゆ)を飲むことはめったにないから、湯呑み茶碗じゃなくて、ただ「茶碗」でいいんじゃないか、そして、御飯茶碗は御飯とお茶が居心地悪そうに同居しているようで、むしろ御飯碗の方がすっきりしていていいんじゃないか、と思ったことのある人もいるでしょうね。実は茶碗をはじめとするやきものの歴史は縄文時代にまで遡る壮大かつ深遠かつ複雑な事情をもちます。一度陶磁器専門店かデパートの陶磁器コーナーで自分が惹かれる茶碗はどんな種類のどこの窯で作られたものかをチェックしてみることを勧めます。例えば、陶磁器を「瀬戸物」と呼ぶこともありますが、瀬戸は13世紀半ばに出揃う、いわゆる「六古窯」の、常滑備前丹波信楽、越前と並ぶ一つのブランドでしかありません。もしかしたらあなたはもう少し後に登場する佐賀県の「有田焼」(別名「伊万里焼」)が好きかもしれません。

講義の骨子です。リンク先に飛んで遊んでください。

縄文土器から茶の湯まで
 縄文土器の謎
 中国の場合(青銅器、饕餮文(とうてつもん)彩陶黒陶施釉陶(せゆうとう)*1
 鋳造技術と釉薬(ゆうやく)の関係
 縄文の神々から弥生の神へ
 弥生土器の「静謐」
 須恵器(すえき)土師器(はじき)
 奈良三彩唐三彩
 越州青磁猿投窯(さなげよう)灰釉陶(かいゆうとう)
 分焔柱六古窯
 瀬戸焼の発祥と北条氏
 好み(趣向)と白磁幻想
 喫茶の風習と中国の飲茶の継承

2利休から織部
 桃山陶器の誕生と発展の背景
 千利休の「侘び茶
 瀬戸焼の脱落と美濃焼の台頭
 古田織部の「へうげ*2

3「ウツワ」と「サナギ」の現象学
 「ウツワ」という言葉
 「からっぽ」に宿るもの
 物語、おとぎ話の原型
 人間とは器である
 「ウツ」観念の分岐
 「サナギ」と「おとずれ」

At Raimund Abraham's house:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、6月、175日目。


Day 175: Jonas Mekas
Sunday June 24th, 2007
10 min. 45 sec.

Another episode
of my ongoing
sit-pod series--
an afternoon stop
at a friend; Raimund
serves food for
body and mind ---

私の目下進行中のシリーズの
もうひとつの挿話…
ある友人の家に立ち寄った午後。
ライムントは体と心によい料理を
振る舞ってくれる。

<午後>
仕事は止め、と言いながらも、カメラを回し続けるメカス。特別なワインだ、と氷の浮かんだ白ワインの入ったグラスを掲げるメカス。見知らぬ若い女性(おそらくライムントの娘さん)が対面式のキッチンの中からメカスの相手をしている。ベンが木の床に座り込んでギターをつま弾いている。パイプ(Pip Chodorov, 1965-)が彼女と立ち話している。室内にはところ狭しと油絵が壁にかけられたり、立てかけられたりしている。油絵を描く奴は少なくなったな、とメカス。

<夜>
大きなテーブルを囲む、メカス一行(メカス、パイプ、そして見知らぬ若い男)と見知らぬ婦人二人(そのうちの一人はおそらくライムントの奥さん)。<午後>に登場した若い娘さんとベンの姿は映らない。ライムントが建築論をひとしきりぶった直後、東洋系の見知らぬ女性舞踏家が駆けつけ、メカスとの再会を喜ぶ。その後さらにワインボトル一本を土産に元気のいいフォン(Phong Bui, 1964-)が駆けつける。

テーブルに置かれた湯気の立ち昇る大きな深い鍋からライムントは客のひとりひとりに貝の蒸し料理を取り分ける。美味そうだ。ワイン蒸しだろうか。貝の種類は不明。ムール貝(Blue mussel)かな?メカスが意図的かどうか分からないが、食べ終わった貝の殻を、捨て碗用に用意された少し深めのエビが描かれた東洋系の磁器の碗に落とすと、殻と器がかち合う音が美しく響いた。「いい音だ」とメカス。すると、他の者も次々とそれを真似し始めた。ほんと、きれいな音。貝殻と磁器による合奏。ライムントがジョークを繰り出し、皆が受けた後、フォンがメカスをからかおうとして、ジョナス(メカス)はマドンナのコンサートに行ったんだ、と言い出す。え、ほんと?と他の皆は怪訝な表情。何、何?と合点の行かない様子のライムント。ジョナスはマドンナに惚れてるのさ、とフォンが追い討ちをかける。受け笑いしながら、メカスはいう。"Jonas remains Thailand !" 一同爆笑するが、何が可笑しいのか分からない。なぜ、タイなのか脈絡不明。

気の置けない仲間とのディナー・パーティーのホストをつとめる、ニューヨークの現代美術館(MoMA)やパリのポンピドー・センターの設計で知られるオーストリア出身の著名な建築家ライムント(Raimund Abraham, 1933-)は、2月14日5月11日に次いで三度目の登場。

サクランボ、トウグミ

昨日6月25日の記録。札幌、曇り。

藻岩山遠景。

原生林の木々を振り仰いで見て撮った。逆光で電線が途中で消えていたのが意外だった。

お気に入りの一角のサクランボセイヨウミザクラ, オウトウ, Wild cheerry, Mazzard, Prunus avium)の実が色づいてきた。

何十年ぶりに見ただろう。グミの実。トウグミ(唐茱萸, Elaeagnus multiflora var. hortensis)の実。ナツグミ(夏茱萸, Elaeagnus multiflora form. orbiculata)の変種。

未同定。