ブログで何ができて、ブログから何が始まるか

こうしてブログを続けている一番大きな理由は、ブログで何ができて、ブログから何が始まるかに関心があるからだということに今更ながらはっきりと気づいた。

金城さんの「合同会社simple A」の法人登記完了を知った矢先に、「翻訳」関連の情報源から「合同会社翻訳オフィス駒田」の存在を知った。駒田さん(?)がブログで何をしようとしているか、そして現実の会社ではどんな仕事をしようとしているかについては、「はてなダイアリーで合同会社をはじめる」(2007-10-17)を是非参照していただきたい。その中で駒田さんは「合同会社翻訳オフィス駒田」を立ち上げようとした最も深い動機についてこう書いている。

2007年は大きな変化の年になりました。日本では「団塊の世代」と呼ばれる戦後世代の一斉退職がはじまり、これによって再雇用、定年延長、年金受給、新規雇用、雇用形態、技術継承といった、誰もが自分とは無関係ではいられない話の内容について大きな変化が一気に噴き出してきたのが「2007年問題」と呼ばれています。郵政民営化も実施され、早い話が「自分のお金について自分で考えなければいけない」世の中がはっきりと姿を現したということになろうかと思われます。そのなかで、自分で考えるということは「かなりしんどい」ことになろうかと思われます。さあ、どうしたらよいのでしょうか。

これは単に「どうお金を稼ぐか」という問題ではなく、私を含めてすべての日本人に突きつけられている「どう生きるか」という問題であり、はてなダイアリーの「合同会社翻訳オフィス駒田」はそれに対する駒田さんなりの真摯な「答え」の現場になっていると感じた。そこでは「合同会社」を立ち上げる苦労話もオープンに赤裸裸に綴られているし、駒田さんが「翻訳」という主戦場で何ができるかが控え目なスタイルながら実は強烈にアピールされてもいる。

私は「合同会社simple A」と「合同会社翻訳オフィス駒田」に、ブログで何ができて、ブログから何が始まるかという個人的な問いにひとつの明確な解答を見た。

色色

札幌、曇り。降雪なし。昨日の日中気温が上がり、雪が少し融けた。藻岩山の「白髪」も少し減った(→ Mt. Moiwa, December 18th, 2007)。今朝は冷え込み、融けた雪は薄氷になって多くの路面を覆っていた。つるつる滑って何度か足をとられてオッ、トッ、ト、と態勢を崩したが、なんとか転ばずに歩くことができた。

黄色い消火栓。こうして雪に囲まれた姿を切り取ると意外と可愛いらしく見えた。

赤いナナカマド(七竈, Japanese Rowan)の実。昨日はみんな分厚い綿帽子を被っていた。

赤いベニシタン(紅紫壇, Rock cotoneaster, Cotoneaster horizontalis)の実。

明るい青緑色のコロラドトウヒ(Picea pungens)。

トウモロコシ畑の雪に足跡。

アルチュール・ランボー「岬」:「海角殿」という小林秀雄の訳語



一昨日の「ジョナス・メカスによる365日映画」に登場したアルチュール・ランボー(Jean-Nicolas-Arthur Rimbaud, 1854-1891)に関して、手元にあった懐かしい薄い本、小林秀雄訳『地獄の季節』(岩波文庫、1982年第27刷発行)を何度も手に取ってぱらぱらと捲っていた。二十歳前後の頃には目もくれなかった一編の詩に惹かれた。「地獄の季節」(Une Saison en Enfer)ではなく、併収された「飾画」(Les Illuminations)のなかの「岬」(Promontoire)という散文詩だった。小林秀雄訳はこうである。

 金色の曙か、そぞろに身も顫(ふる)う暮方か、俺たちを乗せた、二本マストのささやかな帆船は、沖合からこの別墅(べっしょ)と付属地とを、正面から見渡す。それは、エピールやペロポネーズの半島のように、日本の巨島やアラビヤのように、拡がっている。神殿は、使節の還りを迎えて輝き、近代海防の素晴らしい展望、砂丘は生き生きとした花と乱酔とに飾られて、カルタゴの大運河、模糊たるヴェニスの堤防。エトナの噴煙のまどろみ、花と水との氷河の亀裂。ドイツの白楊樹に取り巻かれた洗濯場、『日本の樹』の頂きを傾ける奇妙な公園の斜面、スカーボロとかブルックリンの『ロワイヤル』とか『グランド』とか名のつきそうな円形の門構えが立ち並び、鉄道は、この『ホテル』の結構に寄り添うて、穴を穿って、傾斜する。これは、イタリヤ、アメリカ、アジヤと歴史上の大建築の粋を集め、今、その窓や露台は、爽やかな風を受け、酒と燈火に満ち満ちて、旅人や高雅な人々の心に放たれ、------昼となれば、巧みを尽くしたタランテラの踊り、------谷間のリトゥルネルの曲を揃え、『海角殿』の正面を、夢のように装飾する。(107頁)

原文はこちら門司邦雄(Kunio Monji, 1949-)氏による最近の和訳と詳しい解説はこちら

「海角殿」という小林秀雄の訳語に唸った。「海角」とは文字通り海に角のように突き出た岬のことである。

門司氏が指摘するように、原文末尾は専門家の間でも解釈の分かれるところらしい。


「岬」の手書き原稿の末尾の部分です。
出典:Rimbaud / L'oeuvre integrale manuscrite / VERS NOUVEAUX ILLUMINATIONS 1872-1875
Les editions Textuel, 1996

活字にしてしまうと、

du Palais.Promontoire.
A.R. (Illuminations)

と無表情になってしまうが、門司氏は「手書き原稿を見て、ランボーは、この詩を書上げ、サインをして、総タイトルを書いた後、終わり具合が落ち着かないので『岬だ。』を書き加えたのではないかと考えました。Promontoire. の筆跡は、後で書き加えられたように見えます。」という理由から、この末尾部分を「宮殿の正面を素晴らしく飾るに任せている。岬だ。」と訳した。門司氏の判断は「翻訳」としては正しいのだと思う。だが、ひとたび、詩の翻訳というものが、日本語による詩作という域に入ったときには、小林秀雄の訳もまた間違ってはいない、というか、非常に鋭いものであるように感じる。フランス語の語法上の問題ではなく、正に詩的ヴィジョンの問題として見た時に、"Palais(宮殿)"と"Promontoire(岬)"が並ぶ言語的事実としての姿は言わば地理的かつ心的形象としては「繋がっている」と小林秀雄は感得していたに違いない。それが詩というものだ、と。「海角殿」という異様な造語には、詩の翻訳に関する小林秀雄の詩人としての洞察が籠められているように感じた。

地獄の季節 (岩波文庫)

地獄の季節 (岩波文庫)

Elle Burchill's Miami Diary, December 6-8, 2007:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、12月18日、352日目。



(紹介用サムネイル写真が上から下に差し替えられた)
Day 352: Jonas Mekas
Tuesday, December 18th, 2007
6:12 min.

a video postcard
from Elle Burchill
Miami Diary
December 6 - 8, 2007

エル・バーチル
からのビデオ葉書。
マイアミ日記
2007年12月6日 - 8日

美術館、ギャラリーを中心にマイアミ市内各所を三日間精力的に動き回ったことが窺えるエル・バーチルのビデオ日記である。行った場所の説明は一切ない。

ビデオ中盤、場所はおそらくリトルハバナLittle Havana)だと思うが、露店で子豚の丸焼き料理に遭遇し、戸外の薄暗い場所でキューバ人のバンド演奏に遭遇したシーンが一番印象的だった。

7月15日にもエル・バーチルのビデオ葉書が紹介されたが、彼女はベン・ノースオーバー、セバスチャン・メカスと並んでJONASMEKAS.COMの「編集者兼共同映像作家」の一人に名を連ねている。一般にはブルックリンに住む実験的ビデオ・アーティスト兼ライターとして知られる。

ちなみに、一生行くことはないだろうマイアミMiami)を調べていて、パラグアイ在住の田中裕一さんの「マイアミ市(米国・フロリダ州)」が面白かった。「南米からの視線」が新鮮だった。