片瀬久美子氏の付録への疑問(その5)-リンゴペクチンに関する論文検証について

リンゴペクチンに関する論文の「重大な不備」とは何か?

リンゴペクチンについて片瀬氏は、シノドスの記事の中で次のように批判している。

林檎ペクチン放射性物質を排出させるとして宣伝されているが、それに関する効果を確認したという研究報告を調べてみると、いずれにも重要な不備があり、実際にはその効果は期待薄である。

◇IRSN(フランス放射線防護原子力安全研究所)−Evaluation of the use of pectin in children living in regions contaminated by caesium 
http://www.irsn.fr/EN/news/Documents/pectin_report.pdf

本「もうダマされない....」の中では

林檎ペクチン放射性物質を排出させるとして宣伝されている。しかし、それに関して効果があったとする研究報告を一通り調べてみたが、いずれにも重要な不備があり、きちんとした証明には至っておらず、効果はあまり期待できないのが実情である。
参考
IRSN(フランス放射線防護原子力安全研究所)−Evaluation of the use of pectin in children living in regions contaminated by caesium 
http://www.irsn.fr/EN/news/Documents/pectin_report.pdf

としている。

この記述でよくわからないのは、「重要な不備」がどういうものなのかという点である。「重要な不備」というなら端的に指摘できるのではないかと思った。とりあえずすぐにIRSNの英文を読むのはつらいので、
松永氏の記事を見てみると、IRSNの報告書で「実験設計がおかしく、説明されるべきことが説明されていない、被験者の数に矛盾がある」等の指摘があること、
セシウムが消化管内に分泌してくるので、食べたペクチンセシウムと化学的に結合して排出される、という“仮説”」の根拠が示されていないこと、またその仮説に無理がありそうなことが述べられている。
こちらの方が余程説得力があり、しかもそれほど字数もかからない。このくらいの記述は当然あって然るべきだと思う。
それからもうひとつ、これは片瀬氏自身が原典の論文にあたった結果なのかどうかがよくわからない点も疑問だ。IRSNが指摘しているだけなのか、自分で論文を読んだ上で「重要な不備がある」と指摘しているのかが判別できないと、片瀬氏自身の記述の信頼性にかかわると感じた。

リンゴペクチンの効果に関する論文検証記事

そうこうしているうちに、片瀬氏がブログで、「科学研究の組み立て方−アップルペクチン(ビタペクト)論文の検証付き」という記事を書き、具体的な論文の問題点を指摘した。
次にこの記事を検討してみたい。

片瀬氏はこの論文について「信頼性は低いだろう」と結論している。その根拠は大きく分けて2点ある。
1.記載するべきデータの不足。(実験年月日、計測方法、統計手法、体重データなど)
2.セシウム137の生物学的半減期に関する従来の知見との整合性。

しかしこの批判には次のような疑問が当然残る。

片瀬氏はペクチン群とプラセボ群との間に現れた有意な差について一切言及せず、単にプラセボ群のデータに問題があることと記載データの不備だけから信頼性を断定している。片瀬氏はなぜ有意な差、特にペクチン群でセシウム137の排出効果が明らかに通常の排出効果よりも高くなっているという事実について何も述べないのか?

率直に言って非常に不可解であるとしか言いようがない。

  • 実験年月日はもちろん記載したほうがよいだろう。しかし年齢に対する相関があるというのなら、生まれた年が同じグループで比べればよいだけで、生年が明示してあればそうした比較は可能だ。
  • 計測手法も記載した方が良いだろう。しかし60名の計測手法がそれぞれ違っていたとはあまり想定できないから、全員が同じ手法で計測されたのだろう。やはりこれがないからといってペクチン群とプラセボ群の比較の信頼性を覆すのは無理があると思う。
  • 統計手法も記載しておけば良いだろう。しかし実測値のデータを見れば、そもそも統計などを持ち出さなくても、ペクチン群とプラセボ群の減少率に有意な差があることは明白だ。統計手法の記載の有無でこの数値の比較の信頼性を覆すことはやはりできないと考える。
  • 体重データの不記載はさしあたって傾聴に値する。片瀬氏の挙げている文献Melo DR, Lipsztein JL, Oliveira CAN, et al. A 137Cs age-dependent biokinetic study. Health Phys 1994; 66(6): S25-S26はいろいろなところで引用されていることは確認できたが、私はHealth Phy誌の原論文をonlineでは見られなかった。少し調べてみるとIAEAの論文誌に掲載されている類似論文に次のような表があった。*1


このデータによれば、例えば30kgの人と70kgの大人を比較する場合、半減期には1.5-2倍程度の違いが出るということがわかる。体重に対する相関関係はあることがわかるので、体重のデータを記載しておくことは他の3つに比べるとより重要な指摘であるように見える。しかし、常識的な感覚で言えば、60人の子供達の体重がそれほどばらついていたと考えるのは無理があるように思う。私はこの不備だけで、ペクチン群とプラセボ群との間に出た有意な差を棄却できるとはちょっと思えない。

私は片瀬氏がこの論文の信頼性を棄却する根拠として掲げた第1の論点は、上記のように、体重に関する点は若干問題があるものの、論文筆者たちが意図的に何かを捏造しているというのでもない限り、マイナーなコメントであると考えざるを得ず、この有意な差を棄却する根拠にはなっていないと考える。

片瀬氏の批判の第2の点である「従来の知見との整合性」について検討してみる。
確かに片瀬氏が挙げている文献による値とこの論文の結果には乖離があり、片瀬氏の掲げている文献の中でも
評価書(案)食品中に含まれる放射性物質2011年7月食品安全委員会放射性物質の食品健康影響評価に関するワーキンググループ
には相当詳細にわたって様々な核種のデータが掲げられていて興味深い*2セシウム137は1960年代ごろからヒトへの経口摂取によるデータが取られていて、生物学的半減期に関するデータの蓄積はかなりあるようだ。しかしそうは言ってももともとそう簡単にデータが取れるわけではないので、ボランティアに経口投与した例は被験者の数が少ないので除くとすると、110人の不特定集団に対するデータやブラジルのゴイアニアの事故後の調査などが注目するべきものなのだろう。それらについておそらく個体差がかなりあるのだろうから「従来の知見」といっているものがかなり幅のある中での平均値であると考えるほうが自然だと思う。確かにその値に比べると減少の速度が遅いのは事実だ。片瀬氏の指摘するような「セシウム代謝に関わる様な何か別の要因が関与して」生物学的半減期が長くなっている可能性はある。

しかし仮にそうだとしても、それはペクチン群とプラセボ群との有意な差が現れているという事実の信用性を棄却するだけの根拠とは言えないと思う。プラセボ群だけが「セシウム代謝に関わる様な何か別の要因」に影響されたとするのは無理があると考える方が自然だからだ。実験に関わった60人の子供達全員にひとしく「セシウム代謝に関わる様な何か別の要因」がある可能性はある。その要因が全員に働いていた以上「有意な差」を棄却することはできないわけだ。

というわけで、私は片瀬氏が挙げた第2の批判も、指摘の有効性はあるにせよ、本論文の主要な結果であるところの「ペクチン群とプラセボ群の間に出た有意な差」という主結果の信頼性を覆す根拠としては甚だ不十分であると結論せざるをえない。

片瀬氏はここにあるコメントの中
「肝心なデータの確からしさの範囲が示されていないと、比較も満足にできません。とても基本的な科学データのお作法としての重要なポイントです。」
と述べて本論文を批判している。「お作法」を守らない悪い子がいても、言っていることがある程度信頼できるならその点は相応の評価を与えなければならないだろう。条件記述の不備だけを掲げても主結果の信頼性を否定するだけの根拠にはならないと思う。やはり冒頭に掲げた疑問、「なぜ有意な差が出たということに対するコメントが何もないのか?」という点に戻ってしまうのだ。

「有意な差」を生んだ原因は何か?

さて「有意な差」についてもう少し検討を進めてみたい。
これに関してはshanghai_ii氏がツイッターの中で興味深い指摘をしている。それは「カリウムの効果」である。
カリウムが摂取されることによりセシウムの排出速度が増加することは、先ほど掲げた評価書(案)食品中に含まれる放射性物質の中のp.76(排泄項の最後)に、ラットの実験結果(1961)が報告されている。
また、片瀬氏が掲げているChernobyl Consequences of the Catastrophe for People and the Environmentの中に、与えられたアップルペクチン粉末というのは、ビタペクトと呼ばれる製品で、
"Vitapect powder, made up of pectin (concentration 18–20%) supplemented with vitamins B1, B2, B6, B12, C, E, beta-carotene, folic acid; the trace elements K, Zn, Fe, and Ca; and flavoring."
と明確に記述されている。特にカリウムが含まれていることは注目に値する。
私の見た限りでは、片瀬氏の検討しているReducing the 137Cs-load in the organism of “Chernobyl” children with apple-pectinという論文の中には、

"The study was a randomised, double blind placebo-controlled trial comparing the efficacy of a dry and milled apple-extract containing 15–16% pectin with a similar placebo-powder, in 64 children originating from the same group of contaminated villages of the Gomel oblast."

とあるだけで、ビタペクトを与えたとは書いていないようだ。これは重大な点であると思う。

カリウムの効果に関するマウスの実験結果が比較的古くて先行研究として認識できていれば、当然投与したものの中にカリウムが含まれているかどうかを明らかにするべきだとコメントするだろう。つまり、この論文の重大な問題点は、与えた粉末がアップルペクチン以外の成分を含んでおり、その成分によってセシウムの排泄が促進された可能性があること、より具体的にカリウムの効果である可能性が予想されることを無視している点にある。従って、この論文は、アップルペクチンによってセシウムの排泄が促進されたという因果関係の証明はできていない。証明できたことは、ビタペクトを与えることでセシウムの排泄が促進されているということに他ならないと考える*3。もし私がこの論文のレフェリーでそうした先行研究に造詣があったとしたら、"with apple-pectin"というタイトルは、アップルペクチンそのものがセシウムの排出を促進しているという証明できていない事実を想起させるので適切ではない。"with Vitapect"と書き直すべきだとコメントするだろう*4

片瀬氏がどんなに記載情報の不備を批判しても、「ビタペクトを投与したら、セシウムの排出時間が早まるという有意な差が現れた」という「事実」は覆せない。その原因がアップルペクチンであることは証明できていないし、カリウムの効果である蓋然性の方が高いというべきなのだ。片瀬氏の批判のポイントはずれているといわざるを得ない。

片瀬氏の記事にはカリウムのカの字もなければ、投与したアップルペクチン粉末の成分に関する疑問もかかれていない。
私には片瀬氏が「アップルペクチンの効果=Vitapectの効果」であると思っているとは信じられない。
片瀬氏が評価書(案)食品中に含まれる放射性物質にあるカリウムに関する記述を見落としたとも思えないし、Chernobyl Consequences of the Catastrophe for People and the Environmentの中のVitapectに関する記述を見落としたとも思えない。
あえて穿った推測をするなら、片瀬氏は、マウスによる実験結果をヒトに適用することに疑義を呈してきたために、カリウムの効果がマウスによる結果であることを根拠にしてその知見を軽視してしまったのではないか。
もしそうだとすれば、片瀬氏の批判は二重の意味でポイントを失しているといわなければならないだろう。

補足

いくつか補足しておく。

第1に、片瀬氏の指摘する「ビタミンやミネラル類のペクチンによる吸収阻害」も副作用として考えられるのかもしれないが、カリウムの効果という点では、「高カリウム血症」に関する注意喚起が必要かもしれない。アップルペクチンによる効果を期待してVitapectを過剰に摂取することでカリウムの摂取過剰になる可能性である。

第2に、片瀬氏はこの実験に関してデータの記載不足が「再現性」を毀損しているかのように批判しているが、もともとこの種の実験は、再現性を担保することがかなり難しい部類に属していると思われる。厳密に同じ子供達で実験することは不可能だし、セシウムに曝露した時期をこの実験と同じ状況にして追試するということも不可能だ。この実験は、セシウムの排泄に関わる多くの治験のうちのひとつとして扱われていくだけで、この実験のデータが十分に記述されていたからといって再現性が担保されるわけではないと考える。この実験結果は、「ビタペクトを与えるとセシウムの排泄が促進される」ということであり、「そのメカニズムについてはまだ何もわかっていません」という以上のものではない。「再現性」を毀損している実験はもちろんいろいろあるだろうが、少なくともこの実験に関してそのような批判を浴びせても仕方がない。

第3に、IRSNのペクチンに関する報告書にあるこの実験への批判はよくわからない*5
今まで述べてきたように、この論文の問題点は、データの不備や対照実験の不備などではなく、立証できてない因果関係があたかも立証できたかのように書いてしまっている点にある。それは片瀬氏のいうようにデータを十分に記述してみたり、過去の治験のズレの説明を考えてみたりしても解消されないし、IRSNの報告書にあるような実験をしてみても解消されない性質のものではなかろうか。

片瀬氏はツイッター

「あの論文は、どうせやるのでしたらもっと上手い方法も選択できたのにと思います。ブラッシュアップするにはどうしたら良いのかという提案も解決法として付けました。もうちょっと工夫すれば、きちんと効果が証明できて信頼性も上がった可能性があると思います。」(発言ログ

と述べている(色付け強調は私)。ここでいう「証明できた可能性」のある「効果」とは何の効果だと片瀬氏は言いたいのだろうか。片瀬氏の提出した問題点がVitapectの効果を否定するだけの論拠にはならないことを上で述べてきた。仮に片瀬氏の考える問題点が改善されたとしても、Vitapectを使う以上、カリウムの効果である可能性を否定することはできないため、アップルペクチンの効果を証明することもできないし、これ以上信頼性を向上させることは難しいと私は考える。「もうちょっと工夫」するだけでアップルペクチンの「効果が証明できて信頼性も上がった可能性」はないと私は考えざるを得ない。

「私なんかは、同業者(理学系生物分野の研究者)の中ではマイルドな方ですよ。(^^;) ブログでは解決法も付けてフォローもしていますし。研究者同士の批評はお互いにもっと容赦なかったりしますよ。研究レベルを向上する上で、なあなあで甘くするのは良くないので。」
私は、論文の批判に関しては周囲の同業者の中ではマイルドな方ですよ。(解決法としてフォローも入れましたし) その論文を雑誌会に出そうものなら、もっとこっぴどくコテンパンでしょうね。(^^; プロの目は甘くないです。」

と片瀬氏は述べている。片瀬氏の提案した解決法は、Vitapectの効果に関する信頼性の向上には若干なりとも寄与するかもしれないが、Vitapectの効果がカリウムによるものであるという可能性を否定することはできないし、それはつまりアップルペクチンの効果を証明することになんら寄与しない。片瀬氏は、自分はもっと容赦なく批評する能力も持っているが、あえてマイルドにしているとでも言いたいのだろうか。マイルドか否かが問題なのではない。批判のポイントがずれていることが問題なのだ。
もちろん私はプロではない。

第4に、「従来の知見との整合性」について。もちろん自然科学の営みの中で得られた成果が従来の知見と一致しているかどうかは重要な点であることは疑いの余地がない。例えば最近話題になっている「光速を越えるニュートリノ」という特殊相対性理論に合致しない結果というのは、当然慎重に吟味されるだろう。
 他方で、片瀬氏が批判している「ニセ科学」の側に、そうした「従来の知見との整合性」に関して十分ではないものが多くあるのだろうということは想像に難くない。
 しかしそうは言っても、「整合性」についてどれだけシビアに見る必要があるかは、対象となる成果の射程によって様々ではなかろうか。少し荒っぽく言えば、物理学における理論との整合性と生物学・医学に関する疫学調査における従来の知見との整合性というのには、どの程度厳格に見なければならないかという点に自ずから差があると思う。
 今回対象となっているような疫学的調査における従来の知見との整合性は、極めて厳格に見なければならないというものではないと私には思える。「セシウムの排出速度」に関して言うならば、従来の知見とされるものでさえ、プロットした点をうまく通るような曲線を取ったということに過ぎないし、データそのものもそうした意味で平均値に過ぎない。その理論値や平均値から外れたデータが出たところで、直ちに従来の知見を見直さなければならないというものでもないし、数ある疫学調査の端っこに置かれるというだけのことだ。それだけを取り出してこの論文の主結果の信用性を問うのは一面的過ぎると考える。

第5に、私は片瀬氏の「論文検証」記事の内容以外にも、書き方やその意図に問題があると考えている。それは節を改めて書くことにしたい。→(その6)

*1:おそらくHealth Phyの論文は一般の人は簡単に見れそうにないし、片瀬氏があげているほかの文献でも「高い相関性」という以上の具体的な数値が書いてあるものがなかった。片瀬氏自身はおそらくもとのHealth Phy誌の論文をチェックしているのだろうが、こうした記事にする以上、何かもう少し数値データを記載するべきだと考える。

*2:例えばストロンチウムプルトニウムでも排泄に関する実験結果が述べられている。プルトニウムではPuを含んだ軟体動物や堆積物を摂取したヒトのデータやヒヒ・げっ歯類に対するデータがあるようだし、ストロンチウムでも事故やラジウム塗装工の調査、経口投与なども行われている。

*3:私は、shanghai_ii氏が指摘しているような「貧カリウム食が与えられていた可能性」についてまでは当否を判断することはできない。

*4:私はカリウムによる効果ではないと証明できなければ論文として認めないといっている訳ではない。そのことを証明するには別の実験が必要だから、この論文ではそこまで断定するのは避けるべきだと主張したいのだ。

*5:片瀬氏の訳したものがここにある。