新年(信念)の挨拶

皆様、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

先月26日、グッドウィルから派遣されたフジフーズ船橋第二工場にて冷却機を洗浄中に誤って転倒、右肩骨折全治三ヶ月の重傷を負いました。現在、京成津田沼駅から徒歩五分のところにある、習志野第一病院407号室に入院しています。7日には手術を予定しています。今は、爽風会佐々木病院に通院するため、一時外出中で、自宅のPCに十日ぶりに触っています。

手術が万一失敗したら、──などつい悪い考えを持ってしまうのですが、それに負けずに今年も頑張りたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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■新年(信念)の挨拶

哲学者・音楽家・革命家の攝津正 "Linda"です。皆様、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

先月26日午後4時過ぎに、グッドウィルから派遣されたフジフーズ船橋第二工場にて冷却機を洗浄中に誤って転倒、右肩骨折全治三ヶ月の重傷を負いました。現在、京成津田沼駅から徒歩五分のところにある、習志野第一病院407号室に入院しています。7日には手術を予定しています。今は、爽風会佐々木病院に通院するため、一時外出中で、自宅のPCに十日ぶりに触っています。

手術が万一失敗したら、──などつい悪い考えを持ってしまうのですが、それに負けずに今年も頑張りたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。今年はプレカリアート革命の年にしたいと意気込んでいます。先ずは、グッドウィルフジフーズと闘争していきたいと思っていますので、是非支援をお願いいたします。ぼくは、副執行委員長は辞任しましたが、いまだフリーター全般労働組合の執行委員でもあり、自らの問題として日雇い派遣における労災問題を追及していきたいと思っています。

グッドウィルに業務停止命令が下りました。われわれの闘争は一歩前進、です。しかし、真の権力者なり資本家は、まだ平然としているはずです。ホリエモンもそうでしたが、新興の成り上がりが脱法行為によって叩かれるという構図はありがちなもので、日本の権力関係を変えません。真の敵、真の金持ち、真の権力者は何処にいるか、われわれは調査を継続する必要があります。闘争は長く続く、のです。

僅か二日間でしたが、日雇い派遣労働を自ら体験してみて考えることを書きます。先ず、日雇い派遣労働は、現代における奴隷労働です。ヘーゲルの『精神現象学』における主人と奴隷の弁証法の要点は、奴隷が労働を通じてスキルを身に付けることによって主人に対して優位に立つということです。ところが、日雇い派遣の労働力には、事前研修も教育もなされませんから、スキルを身に付けて労働者として自由を手にするという道は閉ざされています。収入的にも、一日八時間労働、拘束時間九時間超で手取りは6,000円強(交通費・食費は自前のため)というふざけた労働賃金です。

工場の現場で出会ったのは、女性、外国人、高齢者らでした。これら社会的弱者が、
工場に掻き集められ、底辺で労働しているのです。フジフーズでは一日に二万五千食もコンビニ弁当を作っています。その工場で働く労働者は百人超、帽子の色で区別されているのですが、直接雇用と派遣の割合は7:3と見ました。もっと派遣のほうが多いかもしれません。一日八時間立ち通しの肉体労働で賃金も安いとなれば、まともに募集しても人は来ません。そこで派遣会社が登場するのです。これらの企業は、もう派遣なしではやっていけません。

派遣会社についていえば、純粋な搾取・収奪の具現化だといえます。マルクスは労働を管理する労働の賃金を問題にし、それが不当に高く支払われず、労働者ら自身によって管理されるありようを労働者協同組合だと考えましたが、現代の派遣会社はまさにその理念の逆を行っていると言えます。単に労働者を右から左に流すだけの管理労働が、工場で立ち通しで八時間肉体労働をするよりも高く支払われているのです。このようなナンセンスには断固抗議し、廃絶していかねばなりません。

とはいえ、労働者側からいっても、派遣会社は意義があります。それは、派遣会社には履歴書を送る必要もなければ、面接で落ちることもない、という点です。正社員であれパートであれ、募集して面接で落とされる経験を繰り返した労働者は、それなら派遣で働くほうがましだと考えるようになるかもしれません。しかし、そこから始まるのは地獄巡り、最低賃金を巡って女性・外国人・高齢者などの弱者が争うこの世の地獄の体験です。

この世の地獄を天国に転換するには、或る種の統合不全の術=ブルースが必要でしょう。が、そのような主観的逃避ではない、真の客観的現実の変革が求められています。それは派遣法の見直しと、労働者協同組合法の制定です。搾取のないオルタナティブ労働の草の根的な現場を数多く作り出すことによってのみ、この世の地獄は終焉します。皆さん、その道に向けて共に歩んでいきましょう!

ところで爽風会佐々木病院での主治医H先生は、精神分析全般に関心をお持ちとのことですが、911以来長く続くぼくの不安障害を瞬く間に快方に向かわせた名医です。ここに記して感謝したいと思います。

ついでながら、ぼくの精神分析についての考えを述べます。ぼくはドゥルージアン(というか、正確にはガタリ派)なので、精神分析全般に批判的です。が、精神分析がそもそも根付いていない日本では、彼らの精神分析批判の言説はどこか空回りするようにも感じています。とはいえ、精神分析を日本に導入すべきだ、根付かせるべきだ、──などと考えているわけではありません。フロイトの時代から今に至るまで、カウンセリングは富裕層のためのものでした。それを変革せねばなりません。

分析治療には金銭(貨幣)が絡みます。それが転移と結びつけられて説明されるわけです。が、貧しい者は支払えない。では、どうすればいいか、というところから考えるべきです。ぼくは、日常の言葉のやり取りや遊戯などから、自然発生的に悟りや治癒に向かう瞬間があると考えています。「豊かな」言葉とラカンが呼んだものが、分析の現場の外部で生じ得ると思うのです。そうした大切な「気付き」の時間を多く持つことが、養生なり癒し(厭な言葉ですが!)につながると考えています。

ぼくは精神分析が、理論的にさえ人間存在の真理を露わにするとは考えていません。哲学にしても同じで、哲学は人間学とは違うのです。問題は人間が非人間的なるもの──怪物──に生成する契機であり、そうした生成をもたらす欲望です。ドゥルーズ=ガタリの哲学を乱暴に要約するならば、それは欲望する生成の哲学なのです。精神分析が症候を見るところに、ドゥルーズ=ガタリ派は欲望や生成、或いは地図作成法を見るのです。

デューイ風に言うならば、主体は必ず環境と相互作用(inter-action 或いは trans-action)にあるのだから、そのなかで環境を巻き込みつつ自ら変化するということが大事です。カフカに『変身』という中篇がありますが、われわれにとって一番大切なのは、日常のなかで生起するもろもろのミクロな生成であり、革命の契機はそこにしかないのです。(非同期的な組み替えによる、主体/環境関係の刷新。)

中学時代の先生が出てくる夢

中学時代の小塚先生が宴席にいる。ぼくは国語の試験の答案用紙を持っていき、「昨日先生があまりにお怒りだったのでお渡しできなかったのですが…」と言う。小塚先生は「攝津にお汁粉をやれ」と言う。中学時代の同級生の佐伯君がぼくを無視して無表情に通り過ぎる。