複数(関心)通貨フリーマーケット構想

レインボーリング(r)、LETS-Q、CCSP、WAT(i-Wat)などは、狭義の「地域」通貨というより、「関心」通貨と言ったほうが良いように思います。ネットコミュニティ通貨、グローカル通貨などいろいろ呼び方はあるわけですが、狭義の地域に制約されていないわけですから。

勿論、狭義の地域に根差したローカルの運動、まちおこしの運動は必要です。ただ、他方、インターネットによって、共通の興味関心を持った仲間と繋がることができる。TwitterUstreamFaceBookmixigreeYouTubeニコニコ動画などでコミュニティもできるわけです。その仲間内の交換(物々交換、技能交換)から貨幣が生じてくる可能性もあります。

オンラインのオルタナティヴ通貨或いは補完通貨がなかなかうまくいかない理由の一つは、輸送費や交通費にあります。例えば、地域通貨を使うために、国分寺のカフェスローや摂津富田のカフェ・コモンズなどまで足を運ばなければならないとしたら、地域通貨を使う利得よりも、円で交通費を使う損のほうが大きい、ということになりかねない。だから、フリーマーケット、市場(いちば)、「市」は、オフラインでは多数の地域で分散的に開かれる必要がある、と思います。多分、地域通貨或いは関心通貨のフリーマーケットにも適正規模というか、このくらいの市や町で開くのが適当、という目安があるんではないかと思う。それも、経験的に分かってくる、と思います。

例えば、私はジャズが好きですが、地域通貨、関心通貨、オルタナティヴ通貨、補完通貨…に興味がある人がジャズが好きとは限らないわけです。また、同じ地域に住んでいる住人と趣味が合うとも限らない。私は二和向台という町に住んでいますが、ここで、ジャズを商売にして喰っていくのは非常に難しい、と思っています。しかし、インターネット掲示板では、同好の士が集まる場所が幾つもある。そこでは、コミュニティが成り立っています。但し、そこでは地域通貨etc.は流通していない。専ら「言葉」というメディアによる交流なわけです。メーリングリストSNSもそうでしょうが。ただ、FaceBookmixiなどの「イイネ!」ボタンは、言葉と貨幣の中間的なものだと思います。それは経済的なものではありませんが、名誉や信頼の指標になり得る。

当面、オルタナティヴ通貨etc.が爆発的に普及、流通する見込みは余りありません。興味がある人が使う、ということしかないと思う。山城むつみさんの表現でいえば、資本主義の周縁部分で辛うじて流通する、ということでしょうか。それではグローバル経済、グローバル資本、グローバルマネーに対抗し打ち勝つ有力な力にならない、という反駁は勿論あり得ます。ただ、緩やかな友情による繋がりを作っていくことが、過度のグローバリズムや「加速」から身を(ひいては、コミュニティを)守ることに繋がるのではないか、と思います。

地域通貨がうまくいかない理由

地域通貨がうまくいかない原因はいろいろあるが、まず仲間なり友達という友情や信頼関係が築けるかどうかが壁だと思う。インターネットで、言葉で(無料で)交流するのはよくても、たとえ地域通貨であっても経済的な取引、交換をするほどまでには、相手のことをよく知らない、信頼できない、という部分が大きい。これは、実名主義であるかないか、などとは余り関係ないと思う。

逆説的だが、共同体が成り立っていれば、地域通貨はいらない。共同体が十分成り立っていない時には、地域通貨は役に立つけれども、その時、メンバー間の信頼関係が問われる。
FaceBookで「イイネ!」を押すのと同じくらいの気軽さで、地域通貨の取引がなされるようになればいいのだが、それも心理的な障壁があって難しい。この心理的な障壁、未知のものへの恐れが大きい。

よく知らない相手と取引し、繋がるのには勇気が要る。言葉でのコミュニケーションでも同じだが、貨幣での交換はもっと心理的な障壁が高いということだ。地域通貨の困難もそのへんにあるのではないか、と推測する。

様々な地域通貨批判

様々な地域通貨批判が提起されています。それらはどれも、検討に値するものです。が、私はだから、地域通貨は意味がないとか、やるべきではない、とは思わない。地域通貨はなくてもいいもの、けれども、あっても困らないものでしょう。mixiTwitterなど、自発的にやる無償の活動は多い。地域通貨もその一つであっていいのではないか、と思います。

ヒト・モノ・カネと言いますが、地域通貨はヒトやモノの部分をカヴァーするものです。無償贈与や物々交換、技能交換の領域に、地域通貨は適合的である。

地域通貨の困難〜需給の不一致

地域通貨には沢山の困難があるが、そのなかで最大のものは、需給の不一致ではないかと思う。要するに、売れるものがない、欲しいものがない、ということで、地域通貨「経済圏」とか地域通貨「市場」形成が困難ということである。
資本制の市場では、お金さえあれば、欲しいものはほとんど何でも手に入る。賃労働すれば、お金は手に入る。だが、地域通貨の市場では、そのようにシンプルにはいかない。地域通貨を持っていても、或いは(LETSやWATのように)自ら発行できたとしても、それを使えるところが少ない。また、地域通貨を稼ぐ手段も限られている。いきなり裸の労働力を売りに出しても買うところは少ないであろう。何らかの技能が必要になるのである。尤もこれは、資本制の労働市場でも同じかもしれないが。

円を地域通貨的に使う

円を地域通貨的に使えないか。
例えば、私のUstreamYouTubeに対して、多額の投げ銭ではなく、1円、3円、5円などの投げ銭をネットバンク(楽天銀行など)で行う。課題は振込手数料かな? やっぱCCSPがいいか?

FREEexを考える。

実に魅力的だ。感想を述べたい。
メジャーなものほどタダになる構造、例えば、「金曜ロードショー」で見られるということについては、CM(広告)を考慮していないんじゃないかな、と思う。テレビもラジオも、NHKは受信料収入、民放は広告収入で成り立っている。視聴者である私達はお金を支払っていないようにみえるが、CMを視聴することで間接的に支払っている。この構造はインターネットでも同じで、何故Google、Yahoo、TwitterFaceBookYouTubeニコニコ動画Ustream等が無料なのかといえば、広告収入があるからだ。そうでなければ、資本制企業は成り立たない。
だから、真の無料=自由(FREE)の世界を目指すには、資本制企業、株式会社という構造にメスを入れなければならない。カネがなくてもコネで生きていける社会、無償贈与の循環で「安心・安全」が保障される社会、そのような社会に転換するには、利潤を上げ続け、そのことで存続している資本主義システムを問い直す必要がある。
実は、優秀な経済思想家ほど、資本主義の終焉、資本主義以後の社会を構想していた。経済学の創始者アダム・スミスだが、資本主義の終焉を初めて予測したのも、彼だと言われる。スミス以降も、利潤率が低下するから、定常状態に至るから、など様々な理由で、資本主義の終焉と資本主義「以後」の社会のありようが構想されてきた。
私達は資本主義の世の中にいるので、お金がなければ生きていけないと思っている。そしてそのことは、部分的には正しい。お金を一切、放棄してみるという生き方を「実験」するのは余りにリスキーだ(そのような「実験」をやってみた人もいるのだが)。お金や所有を一切、放棄して、それでも優雅に暮らせているというのは、僥倖だと思う。そうはいっても、お金や所有にしがみつかない生き方を目指したいものだ。
私も、FREEex的な生き方をやっているつもりだ。文章はhtmlで無償公開し、音楽はYouTubeUstreamで無償配信する。地域通貨も含めて一銭にもならない。が、それで良い、と思っている。少数ながら私の「ファン」がいる。それで十分、満足すべきだと思っている。

草の根的生産

湯本さん
私の演奏聴いていただけたとのこと、嬉しいです。
十年前にRAM-catalogのMLで「草の根的生産」について私と湯本さんで意見交換したのを覚えていますか? 私の毎日のYouTubeへのアップは「草の根的生産」ですよ。一日三本(以上)と決めてやっています。

湯本さんのサイト拝見したのですが、地域通貨はやめてしまったのですね? 残念ですが仕方ないですね。インターネット会計をやられているとのことですが、私は今、簿記の勉強をしています。何かで繋がるかもしれませんね。

まあ地域通貨とか、十年やって駄目だったら大抵諦めるのが普通ですよね。私もそう思うんです。ただ、私はまだ何とかなるのではないかとも思っているんですね。
最近の流行りはベーシック・インカムですが、私は流行りものはどうも苦手で…。勿論、政府が生活費を支給してくれるんなら嬉しいけれども、財源もないだろうし、とか思ってしまう。

経済学の勉強もしていますが(アダム・スミスから最新の学説まで)、経済学的思考の平坦さには飽き飽きしますね。でも、勉強してますが。

ではまた。

KY

松尾さん、
http://6009.teacup.com/byouki/bbs
で作家の石田衣良がKYを「空気読み過ぎ」と言った、とありますが、確かに周りの空気読み過ぎで気疲れする、或いは空気を読み過ぎて何も言えなくなる、などあるのではないでしょうか。水谷さんもおっしゃるように、人に迷惑を掛けない人間などいない!と、堂々としていればいいんだと思います。

私も、地域通貨族や9LOVEなどなくなったものにばかり言及して、KY(空気読めない)な人だなあって、自分でも思いますよ(^^;
ナマクラ会員の皆さんにご迷惑でなければいいのですけれど。

無能な者たちの共同体

水谷さんとはナマケモノ倶楽部以前に、柄谷行人が立ち上げたNAMというグループで出会ったんだけれども、当時から自分とは感覚が違うなと思っていて、今もそう感じているのは、私は「無能な者たちの共同体」(そういう題名の本があります、哲学書ですが)を目指しているということですね。当時も今もそれでは一貫している。
ファストな能力主義に馴染めないのも無能で駄目だから当然であってね。

というわけで、ナマケモノ倶楽部の会員の皆さんと交流したいのですが、どうすればいいのかな? カフェスローに行く?

無能な者たちの共同体

無能な者たちの共同体