ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

ハーバーに行ったら、Chaさんとばったり会った。


エッセイ教室のあと、ハーバーにいくとChaさんがいた。
買い替えた新艇のキャビンに入って見学した。使いやすそうで、いい感じだった。

今日、提出したのは、



          栄西と為朝と定秀                   中村克博

 演武で汗を流した人たちは湧き水で体を清め衣装を整え拝殿の前に並んで神殿を参拝した。そのあと為朝は一人、拝殿に上がって膝を組んで座り、長らく黙座していた。警護の武士たちは遠くから半数ずつ交代で目を配っていた。
皆が、つどって朝粥をいただいた後しばらく休息したが、その間は栄西と丁国安が若い武士たちに治承の乱のあらまし、壇ノ浦合戦以降の世の成り行き、さらに鎌倉や南宋の近時のようすを説き聞かせていた。全員が騎馬で芦辺の館に向かったのは昼下がりだった。
芦辺からの二騎を案内に、そのあとを行忠と配下の二騎、栄西、為朝、丁国安夫婦そして武士八騎が並足で進んだ。ちかの姿は見あたらないが先に館にいって出迎えるようだ。春の日差しがほどよくていい天気だった。まもなく川向うに見える芦辺の館が近くなると、表門から出迎えの人数が橋のたもとまで長々と続いていた。出迎えの人たちの後ろには近隣の漁民や農民たちも大勢いるのが見えてきた。女に負ぶさった赤ん坊も子供も農具を手にした老人もいる。珍しいものを見物するように集まってきたようだ。 
栄西と為朝それに丁国安夫婦は館の主人が主殿の表座敷に案内した。ちかも後から付き従っていた。ちかは、小袖の上に裾の短めの小袿衣(こうちき)をはおり、袴をはいて少し改まった装いだった。行忠と配下の武士たちは為朝が主殿に入るのを見届け、館の重臣たちに連れられ別棟の広間に通された。
部屋に入ると為朝は無造作に太刀を体から外して、ちか、に手渡した。ちかは、太刀を小袖の袖で受けたが、どのように扱ったらいいのか戸惑っていた。館の主人、ちかの父が無作法を為朝に詫びて太刀置きを上座の壁ぎわに用意させた。ちかは太刀を太刀置きに立てかけたが横の押し板が近すぎると思い、押し板の上の生け花をおろして押し板を一尺ほど遠ざけた。そしておもむろに切り花の向きを為朝の方に少しあつかった。
部屋には膳が二列にしつらえてあり、為朝と館の主人が向き合って座った。為朝の横には栄西が、その前には、ちか、がかしこまっていた。ちかの横には丁国安の妻たえがいた。たえに向き合って丁国安が座った。左の膳には切り身の魚の焼き物と白い酒を盛る杯(さかずき)があった。右の膳には里芋の煮つけ、栄螺(さざえ)のつぼ焼き、鴨と蕪のあつもの、白魚の刺身、姫飯(白米)が並んで、奥の高杯には少量の揚げ菓子が懐紙にのっていた。改めて館の主人は挨拶の口上を述べた。
「印通寺からの道ゆき、遠回りになって申し訳ありません」
館の主人、西文慶が、かさねて謝意をあらわして箸をとった。
「いや、いや、久しぶりの遠乗り、楽しみました」
為朝がこたえる。
「ほんとに、馬の背に揺られるのは心地よいものですね」
丁国安が白い酒を飲んだ。
「きのう、きょうと暖かく、月読様にもお参りできて、ありがたい」
たえが言った。
「苗代時は寒くなるのですが、ほんとに日差しもおだやかで」
館の主人、西文慶が言った。
「ちか殿、押し板の花はなんという名ですか」
為朝がたずねた。ちかは、あつものの器を手にしたままで、
「万作の異種だと聞いております。花弁が紅のように、あでやかで・・・」
「枝ものだけで、思い切って鋏を入れ、さっぱりと清々しい」
と、たえが言った。
「おそれいります。花木を一種だけでこころみました」
ちかは、ほほえんで少しうつむいた。
「このような性の強い花は他との盛合はできませんな」
丁国安が里芋を口に入れた。
「葉物となら互いを引き立てあうと思います」
ちか、がこたえた。
「両雄並び立たずと申しますからな」
丁国安は栄螺(さざえ)の蓋を開けようとしている。
「ちか様、花入れの器との取り合わせがいいですね」
たえが言った。
「ありがとうございます。花生けは、それを活ける器とは一体だと教えられます」
「国のありようも、住む人と土地との取り合わせ・・・いや、もそっと、ややこしい」
丁国安は栄螺の蓋をもてあましたように皿にもどして、うらめしそうに見ていた。
「あなた様、なにが言いたいのですか花の話ですよ」
たえ、は箸を休めて夫をみた。
「いや、国のなりたちを花生けに例えるのは一興ですな」
館の主人、西文慶が揚げ菓子をつまんだ。
「生かすためには、切らねばならぬ枝もありますか・・・」
栄西がぽつりと言った。
壱岐では長年の血縁のつながりもあり田畑も海も豊かで争いもなかったのですが・・・近ごろ肥前松浦党が鎌倉の御家人となって地頭職に任じられてからは壱岐に影響がでて地元勢力の均衡がおかしくなりました。さらには頼朝様が送り込んだ武藤資頼大宰少弐として肥前筑前豊前壱岐対馬の守護になるよしでございます。そのため、秋月、蒲池、菊池、原田には合従して鎌倉に対する不穏な動きがあるようです。そして、博多、箱崎、香椎には宋人の綱首(ごうしゅ)の勢力があり、そこに頼朝さまの御威光で栄西様の聖福寺が・・・」
 為朝は目を閉じて西文慶の話を静かに聞いていた。ちかは自分の生けた花から始まった話題があらぬ方に移っていくのに困惑していた。
「昔、八郎為朝様が任じておられた鎮西職を武藤と大友が、ともに分け持つそうで両家は親族らしいが、これで九州は、てんこ盛りの生け花ですな」
丁国安の開いた口に、たえが、箸にとったさざえの身を丸ごと押し込んだ。夫は口をつぐんで目を大きく見開いてもぐもぐさせていた。栄西は膳の料理を食べ終えて、箸を両手の親指の根元にのせ素知らぬように頭を下げて口元をほころばせた。   
和泉式部集に、比叡の山の念仏の立て花になんもてまかる、というのがありましたね。我が国では僧侶が仏花を添え、家々では、いにしえより切り花をめでる風がありますね」
「ほんとに禅師様、四季おりおり花のたえることのない、ありがたい国柄であります」
 西文慶は食事を終え、膳に箸をもどして頭を下げた。

 食事の後、みんなは西文慶にいざなわれ屋外に出て歩いた。的場が見える。行忠と十人の武士たちが左袖を脱いで片肌をだし静寂に弓術の鍛錬をしていた。三人立ちの射撃場にかわるがわる的を射るようすが見える。
「弓と矢をお借りして、ご配慮ありがとうございます」
「いえ、いえ、斟酌にはおよびません。折がよければ、為朝様のご指南を受けられれば、当方の郎党は武術の励みになると思いますが恐れ多いことです」
「弓術は甥の行忠に資質がみうけられます。指導し伝授することも巧みなようです。しかし、戦と的場での弓とでは・・・」
 草ぶき屋根が灌木の先に見えてきた。掘っ立て柱で壁はない。細長い床几が二つ並べて置いてあった。赤い毛氈が敷いてある。草ぶき小屋のそばに幔幕がはってあり陰で人の気配がする。
「抹茶のしたくができております」
 みんなが床几に腰かけた。幔幕の陰から夫人が出てきて挨拶した。西文慶の妻であった。
「こたびは遠路お越しいただきましていたみいります。それに、ほうがいな望みを叶えられぬとは思いながら、芦辺の行く末を思いますに、月読さまにおすがりする思いで・・・」
「これ、まだ、まだ、おちつきなされ、わきまえなされ」
 館の主人、西文慶はうろたえて妻の話をさえぎった。栄西が声を出して小さく笑って為朝をうかがった。為朝はいたわるようなまなざしで口元をゆるめていた。丁国安は神妙な顔をして大きな体を固くしていたが、静かに息を鼻から吸って、ゆっくり深く口からはいた。
 文慶の妻がさがって、すぐに二人の侍女が幕内から長角盆に茶碗と菓子をのせて出てきた。一人が為朝に近づくと為朝は太刀の柄頭を少し引いて狭い空間に配慮した。入れ替わって二人目の侍女が栄西の右膝横に長角盆を運んで丁寧なお辞儀をした。すでに新しく次の二人の侍女が盆を胸元の高さにして待っていた。
「月読神社と西一族とはかかわりが深いようですね」
為朝が西文慶にたずねた。
「はい、神代の話になりますが月読様は秦族のながれだと伝え聞いております。西の名字も秦のさらに西域のかなたを意味するといいます。そのためか、いまでもわが西家の中には髪が茶色がかった者や目の色が少し青い者がおります」
「そうですか、京の都にも立派な月読神社がありますが壱岐から勧進されたものと・・・」
 為朝は、よもぎあんころを半分にして口に入れた。
「はい、顕宗天皇三年(四八七年)壱岐の県主に祀らせ(まつらせ)たことに始まります。のちに勅祭と定められ正一位の神階を受け、子孫は卜部氏を称し代々神職をつとめております」
栄西は、為朝にこたえている西文慶に茶碗を軽くささげてお辞儀をして一口飲んだ。
「薄く点ててあるが芳しい薬味の茶ですね。滋味もふかい。それに茶碗からの温もりがいい」
「ありがとうございます。茶は昨年摘んだ壱岐もので、茶碗は高麗からの青磁でございます」
「茶も器も壱岐で使うものは優れておりますね。京や鎌倉にも伝えたいですね」
「まもなく袖の港が修造され聖福寺も完成して博多は生まれ変わります。私の住まいも箱崎から博多に移ります。京にでも鎌倉にでも船を出しますぞ」
 丁国安は茶碗を両手でおしいただいて、お辞儀をして、ゆっくり味わいながら顔を上げて飲み干した。ずぅずずっと、しまいまで茶を吸い込む音がした。西文慶はその音で意を決して、
「為朝様、恐れ多いこととは存じておりますが、壱岐はこのままでは勢力が分散され松浦に飲まれてしまします。為朝様のお力添えがあれば秋月、蒲池、菊池、原田はまとまって松浦と武藤資頼壱岐の勢力は結集して挟み撃ちにもできます。なにとぞ、わが娘、ちかに、源家の貴種をお与えくださいますようお願い申し上げます」
 為朝は、こうまで分かりやすく率直に言われて、しばらく目線がうごかなかった。ちかは、茶碗を膝の上に両手でかかえて顔を上げることができなかった。     
 平成二三年一〇月三日