半坪ビオトープの日記

須我神社


松江駅の南10数kmの雲南市大東町須賀に、須我神社が建っている。出雲神話で有名な「八岐大蛇」伝説があるが、肥の河上において八岐大蛇を退治した須佐之男命は奇稲田姫を妻とし、新居の宮を造る土地を探して出雲各地を回る。この鳥居は二の鳥居である。

そうしてこの地に来た時「私はここに来て清々しい心になった」として、「須賀」と命名し、ここで宮造りをした。これが「日本初之宮」とされている須我神社である。近年再建された入母屋造瓦葺きの随神門の手前には文化13年(1816)生まれの出雲丹後狛犬が鎮座している。

そして宮を造り始めたところ盛んに雲が立ち上ったので須佐之男命は次の歌を詠んだ。「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」。これが日本の最初の歌とされ、「和歌発祥之地」とされている。またこの歌の中の「出雲」が、出雲の国名の起源といわれる。天平5年(733)の『出雲国風土記』大原郡条に記される「須我社」に比定されるが、延長5年(927)の延喜式神名帳には記載がない。
拝殿は、唐破風向拝を有する入母屋造である。

拝殿の手前に建つ狛犬は、明治24年生まれの出雲構え獅子である。

神紋は亀甲に八雲である。祭神は、須佐之男命と奇稲田姫命、および両神の子の清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと、八島士奴美神)を主祭神とし、諏訪大社の分霊の武御名方命を配祀する。しかし、本来の祭神は大原郡海潮郷の伝承に登場する須義禰(すがね)命であったものが、記紀神話の影響により須佐之男命に結びつけられたのではないかとも考えられている。

透し塀の玉垣内には、大社造銅板葺きの本殿がある。背後にある八雲山には夫婦岩と呼ばれる巨石と小祠があり、当社の奥宮となっている。
その巨石は磐座であり、元は須賀の地の総氏神として信仰されていたものである。

社殿の右手には境内社がいくつも並んでいる。手前の海潮(うしお)神社は、注連縄のある拝殿と出雲造りの本殿からなる本格的な社である。
この海潮神社には、天神神社、大石神社、山神神社が合祀されていて、祭神は、宇能遅比古命、須我禰命、櫛名田姫命、手名椎命、事湯津比古命、少彦名命、足名椎命、伊邪那岐命大山祇命が祀られている。
同じ大東町南村に海潮神社があり、『出雲国風土記』大原郡海潮郷の条に「古老の言うには、宇乃治比古命が御祖の須我禰命を恨み、北方の出雲の海潮を押し上げて御祖神を漂わせたが、その海潮がここまで来た。ゆえにウシホという」という地名起源伝承が記されている。

海潮神社の右手には、一番左に小さな弁護荒神社があり、中央には若宮神社、一番右に御仮殿と並んでいる。
若宮神社には、稲荷神社、秋田神社、火守神社、琴平神社、木山神社が合祀されている。

御仮殿の右手奥には、山上にある御親神社、社日神社、義綱神社への参道入口の鳥居が建っている。

拝殿そばには大きな神木が立っている。